『黄金の約束』 第29章 (大天使ミカエル)

一般大衆の流れに逆らって、

大衆意識の羽交い絞めから抜け出すためには、

大胆でなければならないのです。

 

大いなる勇気を持ち、成功の波動に共鳴する言葉を語り、

勝利者としてのスタンスをとって、

勝利するのに必要な行動をとらなければなりません。

 

スピリットと調和のとれた状態にある時、

愛情を込めて自由に与えるものは、すべて十倍になって返ってくるということを

自分自身に証明するためには、

あなたが持っているもののすべてを賭けるだけの勇気を持たなければならないのです。

 

いまや、かつてなかったような形で、顕現の道具をいつでも使うことができます。

慣れ親しんでいるがために快適になっている場所を飛び出して、

もはやあなたのためにならないことは、すべて解放しなければなりません。

それがどのようなものであるか、あなたは知っているはずです。

それは、この数カ月の間、いや、この数年間、あなたを睨みつけてきたはずです。

あなたがついに断念して、あなたの前進を妨げているものを解放するまで、

それはますます耐えがたいものになっていくでしょう。

 

うん、そうだな。 大きくなってる。 すごく・・・

 

私の中にあるトラウマだろうか?

パパという存在を通して見えてるけど、

「私の考えはおかしい」と、徹底的に批判してくるエネルギー。

これが、ある。

 

わたしは自分の考えを、微塵もおかしい(変だ)とは思っていなくて、

自分をおかしいと思っていないにも関わらず、

強烈に「それはおかしいだろ!」と、見せられる。 

冷静に考えれば考えるほど、

パパをおかしいと思わざるを得ないほどなんだ・・・。

これが、消えない。 なぜだ?

(プリシラのご主人であるパパさんは、優しくてとてもいい人なのですが、

スピリチュアル、宇宙人、オカルト系が大嫌いなのです。

今の社会情勢に関し、その手の話をちょっとでもしようものなら、

完全にシャットアウトされてしまうのです。)

 

キャンキャン吠えたてる犬といっしょ。

だから相手にしないけど、

相手にしないから、よけいキャンキャン吠えてくる。

言葉で言ってこないけど、

常時、そのエネルギーをぶつけてくる。もう、ほんとやだ・・・。

(お互い様・・・?)

 

このエネルギーの正体はなんだろう?

悲しいわけではない。 なぜなら、自分を100%信じているから。

でも、いくら話しても、相手が変わらないことが悲しい。 

どう話しても態度を変えないから悲しい。

 

でも、あたりまえの話だ。

絶対、人を、家族を、コントロールなんかできないんだ・・・。

 

何を手放せばいいんだろう?

相手がそうであっても、ぜんぜん構わないと思えるには、

相手に、自由に好きなことを信じていいと、

完全な自由を渡す事なのかな?

 

プリシラ・・・ 愛だよ、 愛・・・。

 

相手がそうであっていいと、ただ愛してあげるんだ。

プリシラが愛せないから苦しいんだよ。 

愛せないから、「プリシラを愛せない」と返してくるんだ。

 

自分と同じものを信じてもらえば、愛して貰えると、勘違いしている・・・。

プリシラがそこでほしいものは、ただ「愛してほしい」なんだよ・・・。

プリシラはただ、どんな状態であれ、「愛してほしい」と、

間違っていてもいいから「愛してほしい」と、

そう思っているだけなんだよ。

 

だが、

信じることが違っていても、「ただ、愛し合う」事・・・

本当に得たいものはそれ、

それが得たいんだ、本当のプリシラは・・・。

 

愛に、正しい、間違っているは、関係ない。

その考えは正しい、その情報は間違い・・・関係ないんだよ・・・。

 

これは、大きな課題だ。

 

違う宗教を信じる者たちの間でも、何千年と起こってきている観念だ。

違うことを信じる・・・ただ、それだけの事が、

愛し合えない状態を作っているんだよ・・・。

 

もっと例えていうと、

味の好みは家族の間でも違うのに、

同じ味を好きになれないだけで、家族を愛せない自分をおかしいとは思わないかい?

一緒にアイスクリームを楽しめない・・・だから自分のパートナーを愛せなくなるのかい?

 

え? そのレベルの話なの?

 

そのレベルの話が・・・

何千年と起こっている「対立」、「愛し合えない状態」を作っているんだ。

 

ただ単に、好みの問題だよね?

 

そう、好みの問題。

どうして、違うものが好きだったならば、その人を愛せないんだろうか?

 

だって、一緒に楽しめないから。 一緒にいるときに、一緒に楽しめないから。

 

一緒に何かを楽しめるから、その人が好き・・・

それは、愛ではないよ。

 

お父さんが言いたいこともわかるけど・・・

一緒に何かを楽しめないのは、とても苦しいことだわ。

 

そうだろうか? 

プリシラは、一緒に何かを楽しめている、その時間の事を忘れているよ?

ご主人と共に過ごしている、楽しい時間の事は忘れているよ?

 

じゃぁ・・・かみ合わないところを、無理にかみ合わそうとしなくていいの?

 

もちろんだよ。

 

そのまま、スルーでいいの?

 

ああ、それでいい。

 

・・・・・

 

・・・・

 

 

あーーーーーーーーーーーー・・・わかったーーーーー・・・・

腑に落ちたーーーーーーー。

 

私は・・・

相手に合わせなきゃいけないと思っていたから、苦しかったのか・・・

私は相手に歩み寄ったつもりになって、

ほんとは、合わせてきただけだったんだ・・・。

 

だから、私が大事にしている情報に

パパが合わせてくれなくて、

おなじ情報を共有できないことが苦しかったんだ・・・

 

自分が苦しくなればなるほど、相手に情報を強いたんだ・・・

 

私はパパと、一緒に楽しめるところで楽しみ、

合わせられないところでは、無理に合わせる必要なかったんだ・・・。

それが、たとえ、どんなに重要な情報であってもだよ・・・。

 

相手が、自分で判断する自由意志の権利を持っているんだから、

それがたとえ、命に係わる、どんなに重要な情報であっても、

意志に反して合わせる必要などないんだ・・・。

 

私はいつも人に合わせてきた・・・。

パパは比較的人に合わせない人なんだ・・・。テンチも・・・。

でも、私はいつも人に合わせて、家族に合わせて、妥協してきた・・・。

 

だから、□型といるのは、苦痛な時がある・・・。

だって、彼らは人に合わせないから・・・。

△型家族で育った私は、人と息を合わせないのが嫌だった。

(□型とか△型とか、レベルの低い話ですが)

彼らは絶対人に合わせないくせに、やたら社会常識には忠実なんだよ・・・。

そこさえしっかり合わせておけば、あとは、全部自分ペースで生きていいと思ってて、

相手の心を思いやる気持ちがあんまりない。

いや、ちょっと言い過ぎ・・・ 彼らは自由意志をよくわかってるんだ。

 

常に、私が妥協しなきゃいけなかった・・・。

気が付きもせず、私は妥協してきたんだ、人生で・・・。

自分で勝手にやってたんだ・・・。

 

でも、このスピリチュアルなことに関してだけは、私も絶対妥協できない部分で、

妥協ができないから、妥協を相手に強いたんだ。

だって、スピリチュアルって、私の核だから!

 

・・・

 

折り合いつかないことのその我慢が、もう限界にきて、

今度はこっちの言い分を、少しは信じてよ!

って、言ってるのに、

彼らが絶対信じないから、私は腹をたててるんだ・・・!!

 

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・見えた―ーーーーー

お父さん、みえたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

何が起こっていたのか、みえたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・

 

彼らは、常識を盾に取っていて、

実は、それって、すごい賢い存在の仕方だったんだ・・・

これまでの社会では・・・

 

私は、その常識を壊すようなことばかりしゃべるからこそ、

パパは超機嫌悪くなるんだ・・・。

 

私は反対で、常識の羽交い絞めならぬ互い締めが嫌いで・・・

心での理解とか、相手の気持ちとか、自分の気持ちとか、

そういうところでの合意というか、理解というか、その辺りを相手に強いるから、

パパとはスタンスが逆で、かみ合わないんだ・・・。

 

でも、かみ合わなくていいんだな・・・。

私ももう、家族に合わせたりとかしないで、

嫌なものは嫌だとしっかり認識したあと、相手の在り方を尊重したらいいんだ。

それが愛なんだ。

 

ぱぱって、不思議な人なんだよな~・・・

自分を心から解放する相手がいないのよ・・・

誰ともシェアしなくても平気でいるところ、私には理解できない・・・。

話をしようとしても、閉じた貝みたいに心を開かないときもある。

・・・って、これ、私自身をそのまま映し出してるのかい!!

 

パパがどうあろうと、

私は自分の問題を常にパパに投影するだけなんだ!

 

私の問題は、

自分が相手に対する理解を深め、常に合わせる生き方をしてきたから、(勝手にだけど)

合わせてほしい所で、相手が合わせてくれないと、

気分悪くなって、相手が嫌いになってしまうところだ・・・。

みんな、誰一人、私の一番大事にしている信念を理解してくれなかった。

でも、それを悲しい事だなんて思わず、

ただ単に、気にしないことにしよう。

 

私の信じるところを、信じようが、信じまいが、どっちでもいいんだよ、

たとえ家族でも!

 

ただ単に、

それは、私が「自分で」信じる必要があるもの、ってことで、

他人にどうこう、同行、してもらう話じゃない!
ってことなんだ・・・。

 

自分の信念は、自分で100%責任を取れってことだ!

 

(おかげさまでこの悟りの後、この問題は消えました)