プリシラ日記
2018年3月28日
急いで書き留める。消えないうちに・・・。
今日の朝、目が覚めた時に、すごく気持ちの良い次元を漂っていた。
体験したこともない、頭のすっきり感・・・
そう・・・いつも起きているときとはちがう、もっと気持ちの良い次元。
もう・・・本当に一言で言って、気持ちい~い次元・・・。
軽くて、頭で考えない次元。
ごちゃごちゃ重くない次元。
すごーーーーーくすっきりしてる。
「気持ちいい」「すっきりしている」そんな次元・・・。
昔、この感じに似ているものなら、よく体験した・・・。
野外学習での田舎の朝とか、日本海にキャンプいって、朝目覚めたときとか、
ニュージーランドに旅して、自然の中で過ごしたときとか・・・、
そう・・・なんか、全部日常から離れた時だな・・・
自分の日常の世界から、
「ごちゃごちゃ苦悩して考える」っていうところを抜けた、あの感覚。
ああ、その次元に生きたい。
全く、次元があがっている感覚だった・・・。
やっとわかった。
エイブラハムは毎朝感謝をするようにといった。
たぶん、それが一番近い感覚だからなんだ。
この次元がまさに、高い次元で目を覚ました感覚なんだな、って思った。
それは、感動、とか、わくわく感とか・・・かな。
感覚がすごく優位だった。
す~、っとエリーに話しかけられてる時と同じっていうか、
この感覚を、田村さんは「ニュートラル」っていってるんだな・・・。
そう、悟りってこれなんだ・・・
別に、頭で何も考えなくなることじゃなくて、
「感覚」がかわってしまって、重いことを考えるのが面倒くさくなる感じ・・・
体中についてるおもりが全部とれた感じ・・・
頭の中で、必死に祈りを捧げている状態とも違う。
頭の中で展開する空想(創作の世界)とも違う、別次元・・・。
今ここで100%感じていて、それも、とっても気持ちよく居れる感じ・・・
今ここにちゃんといなさい、いなきゃだめ、って感じじゃなくて、「居る事ができる」感じ・・・
そうだよ! 「空」!!
まさに 「空」 だよ!!!
この感覚をさして、「空」といったんだ!!!!
ああ、なのに、ノンデュアリティで「空」を説明されて考えたものは、
なんと別ものだった事か・・・。
今朝の、あの私の「空」のなかに、ちゃんと「意識」があった。
感じている意識だけ、というか・・・
別に意識が「空」なわけではなかった。
「私」がないわけでもなかった。
「私」はちゃんといて、
「私」に余計な、「思考」の重りが、なんにもついてなかった・・・。
テンチは、こんな感覚でいるのかなぁ、と思う・・・。
そりゃ、ごちゃごちゃ考えるのはしんどいだろう。
私の投げかける思考は重いだろう。
でもテンチの将来を考えるとき、この感覚で物事を推し進めることのできる仕事を、
そんな仕事をみつける手伝いができたらいいなぁ・・・。
ああ、前にあったなぁ・・・。
本を読んでて感覚が変わり、「意識が、車で言うサードに入ったような感覚」って書いた。
あの時も、急いでその感覚を書き留めたけれど、
今朝もこの感覚を絶対書き留めておかねば・・・って思った。
物理次元的に言えば、「やる気が出た!」って時で、
何やっても気分が重くない感じに、ちょっと似てるかな・・・。
これらの感覚の共通点は、
意識にまとわりついてる「重い思考」が、全部消えた感覚・・・。
まさに、あやこさんのいう「重たい周波数」・・・それらを手放していくことが
本当に大切なことなんだ。
つまり、本来の「私の意識」に、たーくさんの重い思考がくっついて巨大化したもの、
それを「自分」だと思っているのが、この物理次元の「私」だ。
重い思考ばかりじゃなく、+のものも・・・例えば、
価値観とか、私のお気に入り、とか、自分の性格とか、好き嫌いとか。
なぜ嗜好というものが発生するのかわからないけど、
「ほんとうのわたし」というのは、純粋に「感じ取っている私」
「体験しているそのもの」であって、あとは付属品て事なんだ・・・。
だから転生して男に生まれたり、違う立場に生まれたりすると、
「私はこういうものです」と、自分の定義を変えることができる。
ただ単に、そうやって「役」を着て、楽しんでるだけなわけだ!! 遊んでるんだ!!
ただただ単に、いろんな体験がしたくて遊んでるんだ!!!
目が覚めて、「え!? 今何時? 今どこ?」って一瞬思うとき、
頭が真っ白になるよね?
あの瞬間て、
まさに「この世に関する私情報がすべて脱落した状態で焦るんだけど、
あれもなんか超軽い感覚・・・。
記憶喪失って、この状態がずーっと続くのかなぁ・・・。
今、何時で、ここがどこで、自分が誰だっけ、って思い出せないのは、
さぞ歯がゆい思いだろうけど、
でも、軽いんだろうなぁ・・・。
自分の過去の情報が、まさに過去世になってしまう。
昨日、一昨日が、江戸時代を生きていた自分情報と同じになる。
これは正しいんだろうね。
時間軸なんてどこにもないし、
過去も未来もすべてが今同時に存在しているって、いわれている通りなわけだ。
遠いとか近いとかないし、
でも、何か思考という形で情報が来るなら、
すべて「ほんとうのわたしの意識」が体験して得たものから来るわけで、
しかも「自分だとおもっているもの」も「他人だと思っているもの」も、
もとはひとつのものだから、
「他人のものであろう」と「自分のものであろう」と、
それは「ほんとうのわたしの意識」の体験なわけだ・・・。
今朝は全く「空」であって、
⊕、⊖のどちらの思考もなかったけど、
周波数が調和しちゃった(統合)状態だったんだろうな。
だって、「うわぁ~・・・気持ちいいよ~・・・」って考えたように思うし。
まぁそれは言葉じゃなくて一瞬の思考で起きたわけだけど・・・。
あの感覚の時は、思考が感覚と合体していて・・・
意識は「感覚」であり「気持ち」なんだ・・・。
持ってる「気」が気持ち。
持ってる「気」が「いい」のが、統合状態。
気とは、「空・気」・・・そうか!
気とはエネルギーだ!! 光のことだ!!
「空」とはあの状態の「ほんとうのわたし」。
その私がもってる「気」はエネルギー。
2021年1月21日
「瞑想」・・・クリスタルの階梯を読んでいながら、
サナンダがしょっちゅう「瞑想」っていうので、
そんなにまで瞑想って大事なのか???と不思議に思っていたんだ・・・
まぁ、そのあと、ネットでもサナンダのメッセージを読んでいたら、
やっぱり「瞑想」してくださいって言葉が出てくるし・・・。
私が無視していただけで、ロナさんチャネルのミカエルも、その瞑想のことを話してるよね・・・。
我々人間にとっては・・・ちがうちがう、私にとってはなんだけど、
瞑想をして何かが得られたことが一度もないので、
瞑想やる気にならないのはあたりまえなのですよ・・・。
眠くなるか、眠くならない場合は「何も起こらないこと」を我慢する時間でしかないし、
無になる時間なんて、ほんと退屈以外の何物でもなくて、瞑想をする気にはならないのです。
でもね、今朝、この件に関する回答が突然来たのでありますよ。
そうです・・・
つまり、私が「覚醒」だと認識していた、あの朝の感覚・・・
あれを指して、サナンダは「瞑想」っていってるのかなって!
そうです・・・あの、「超絶スッキリ!空の朝」・・・
私はそれを、このように形容した→「無の境地」・・・
素晴らしく気持ちの良い空間にいた自分 と。
ひょっとして、この体験が瞑想で得られるのかな!?
もし、自分で瞑想に入ってこの体験を得た人であれば、
そりゃ・・・瞑想にも病みつきになるよ(笑)
わたし・・・これを瞑想で得られるのだとは、一度も考えたことがなかったので、
今朝、このことがぽんと浮かんだときに、びっくりした。
えーーー!? そういうことかーーーー!?
って気分ですよ・・・。
みなみさんが何時間も宇宙に浮かんで瞑想してる・・・って話を篤さんがしてたけど・・・
こんな感覚を得るんだったら、するよね・・・。
そりゃ、しますよ・・・。
なんていうか・・・脳みその重量が3分の1ぐらいになった感じで、
密度がなくなった感じで・・・
明晰とはこれぞ、って感じで・・・
あぁ、こうしてなんとなく覚えているのを、大変ありがたいと思いますが、
この体験を3次元の体験で別の何かに例えられる何かがあれば、
そりゃ、瞑想状態というものを人に伝えるのはたやすいのですが・・・
あの・・・スッキリ感は、
3次元にグランディングしててもたらされるものと違うので・・・形容する文章が・・・。
でもでも、これだけ、感覚として思い出せるので、
今日から、この時の感覚を想像・創造しながら、瞑想をやってみようと決意します。
だって、あれを得られるならやりますよ・・・。
そうです・・・空・・・って、何で空かっていうと、思考というモヤがないのです・・・。
あれを体験すると、思考がいかにモヤであるかがわかるのですよ・・・。
ついでに、なんで空海が空海って名前にしたのかもわかる。
最澄がなんで最澄って名前にしたのかもわかる。
つまり、空の海が広がってる感覚であり・・・最高に澄んでる感覚だからさ!
なーーーんだ、みーんな、あの状態体験して、好きになったんじゃん!(笑)
私だったら、なんて名前にしようかな・・・
うん・・・LIGHTだな・・・
そう・・・一言でいえば、脳みそが超軽い・・・
あ、そうか! エーテルの状態だ!
肉体感覚あるんだけど、エーテルの状態(ホログラム)だけな感じ!
それも、通常の肉体のもとになってるエーテルじゃなくて・・・
一番高い周波数の軽いエーテルに肉体がつながった感じ・・・。
あ・・・真澄っていい名前だなぁ・・・
澄子 いいなぁ・・・
そうだ、澄香って名前でお坊さんになろうかな!