鎌倉幕府を開いた源頼朝は大将軍の称号を希望し、朝廷側は征夷大将軍は坂上田村麻呂の嘉例があるとして任命したそうです。決定者は九条兼実と推定されているようです。

坂上田村麻呂の嘉例があるからだけなのだろうかと、以前作成した百済王氏と日本の支配者階層との系図(間違えもあると思われますので参考程度で)で確認してみたのですが、清和源氏は桓武天皇と坂上田村麻呂の娘の坂上春子の葛井親王の子孫であるという母系の血縁の要素も要因に入れて良いのではないかと感じました。「先祖ゆかり」の称号です。源頼朝が「大将軍」を希望した際に、「征夷大将軍」が彼の先祖ゆかりの称号として選定される事を、もしかしたら予め予見した上での「大将軍」の所望だったのかもしれませんが。母系の血筋からの征夷大将軍を選択する事は、母系の血縁で源氏とつながる九条家としては好ましい選択だともいえます。

それを後で足利尊氏や徳川家康が系譜をさわって征夷大将軍と清和源氏とを結びつけて利用したのでしょうか。

九条兼実の息子である九条良経の妻は源頼朝の妹である坊門姫の娘、その息子である九条道家の妻の西園寺掄子は、西園寺公経の妻となった坊門姫の娘の全子の娘。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経は、その九条道家と西園寺掄子の間に生まれています。

母系の血脈で王権とつながる藤原氏は興味深いです。

源氏と征夷大将軍と坂上田村麻呂

オオツタノハの貝輪は貝貨?

以前のURL

大河ドラマを最近観るようになったのですが、通説と科学的に精査された歴史学の知見の差異についての考察等を読んでも歴史小説に触れてこなかったので通説の方を知らず、なかなか話題についていけませんでした。最近歴史系の番組をちょくちょく見る様になったのですが、先日、縄文時代のオオツタノハ製の貝輪についての忍澤成視さんのとても興味深い研究について放映されていました。(貝の写真はツタノハ貝(Jan Delsing, Public domain)です)

オオツタノハ

畿内を除いて北海道から沖縄までみられるオオツタノハの貝輪ですが、オオツタノハ貝(Patella optima (Pilsbry, 1907))は伊豆諸島、屋久島以南で採取される暖かい海で生息する貝で、縄文時代の住民にとっては遥か彼方の場所の貝です。(生物多様性研究・教育を支える広域データベース https://bishogai.com/pic_book/data34/r003313.html)

縄文時代のオオツタノハ製貝輪の出土分布

東日本:北海道3遺跡4点、岩手県3遺跡4点、宮城県9遺跡26点、茨城県10遺跡42点、千葉県31遺跡73点、埼玉県2遺跡4点、東京都6遺跡43点、神奈川県6遺跡6点、静岡県3遺跡4点、富山県1遺跡1点、愛知県5遺跡29点、
畿内にはみられず
西日本:岡山県2遺跡2点、福岡県1遺跡1点、佐賀県2遺跡12点、長崎県1遺跡4点、熊本県1遺跡1点、鹿児島県23遺跡333点、沖縄県21遺跡76点
となっているようです。東日本は伊豆諸島、西日本は南西諸島が原産と考えられているようです。(田嶋,正憲. (2021). 南海産オオツタノハ製貝輪の分布圏から見た彦崎貝塚出土資料の評価. 半田山地理考古, 9, 49–80. https://doi.org/10.34552/00002557)。

縄文海進と海水温-松島義章先生の研究

貝類群集の調査による縄文海進時期の古水温について一木絵理博士の学位論文で"図3-10"として引用された松島義章先生の図(松島義章. 2004. 企画展ワークテキスト「+2℃の世界~縄文時代に見る地球温暖化~」神奈川県立生命の星・地球博物館編.)がとてもわかりやすかったのですが、だいたい7000年前~4500年前くらいの時期は三浦半島北限で熱帯種の貝類の分布がみられていたようで(1950年の北限は紀伊半島)、その時期「暖流は緯度で3~6度北上し、水温は3~5°上昇した。」とのことです(一木. (2012, March 22). 日本における縄文海進の海域環境と人間活動. Thesis. https://doi.org/10.15083/00005598)。縄文海進が起きた理由はとても複雑なようです(日本第四紀学会HP http://quaternary.jp/QA/answer/ans010.html)。

縄文海進時期は現在よりは南の海の貝は北方でもみられたようですが、それでも居住地域からはかなり遠方であったことには変わりありません。

希少性と威信性と貨幣と貝貨

貝や石が貨幣として機能する文化が知られています。ミクロネシア・ヤップ島の石貨フェイは「ヤップ島から400km以上離れたパラオ島で切り出し、カヌーで運んできたもの」で、その希少性と威信性から価値を保持し続け、貨幣自体が移動しないで交換を成立させています(お金の話あれこれ(2) お金をいろいろ比べてみたら. . . : 日本銀行 Bank of Japan. (n.d.). In 日本銀行ホームページ. https://www.boj.or.jp/about/education/arekore2.htm#p02)。

パプアニューギニア・イーストニューブリテン州のガゼル半島北東部に住むトーライの人々の伝統的通貨は「タブ」は居住地周辺では採取できない貝のムシロガイ製で、入手困難性がインフレ抑止機能を持つと書かれています(深田,淳太郎. “パプアニューギニア、トーライ社会における貝貨タブをめぐる現在の状況.” くにたち人類学研究 1 (May 1, 2006): 1–22. https://hdl.handle.net/10086/15636.)。

オオツタノハ製貝輪も、その希少性から金貨や金製品の装飾品の様な通貨としての機能-交換機能や財の保管の機能-を持っていたと考える事はできないでしょうか。

生島足島神社、信濃国分寺、別所温泉はレイライン?

以前のURL

2020年11月11日ルポライター・昼間たかし氏「オカルト歴史が「日本遺産」に!? 全国に広がる「偽史」町おこし」という記事がハーバー・ビジネス・オンラインで出ました。以前から興味があったレイラインについてだったので検証してみました。

考えた人は誰?

記事によると上田市は別所温泉HPを元にしたそうです。別所温泉HPによると、このレイラインを考えたのはレイラインハンター内田一成さん。

レイラインの内容は一致してる?

上田市は寺社と温泉が直線と書いてますが、内田一成さんは夏至の朝日を受ける方向で聖地が揃ってると書かれています。

山のふもとにある信州最古の温泉といわれる別所温泉、「国土・大地」を御神体とする「生島足島神社」、「大日如来・太陽」を安置する「信濃国分寺」は、1本の直線状に配置され、レイラインをつないでいる。……生島足島神社は夏至には太陽が東の鳥居の真ん中から上がり、冬至には西の鳥居に沈む。太陽と大地は、この神秘的な光景をレイラインとして現代に遺した。祝 日本遺産認定 - 上田市ホームページ
つまり別所温泉は、「太陽と大地の力(“光”と“気”)」を“龍穴“である別所温泉に導き、背後に控えた山々により受け止め溜める仕掛けによって、さらに増強される構造となっている場所なのです。太陽と大地の聖地温泉「別所温泉」

レイラインハンター・内田一成さんは元々は信濃国分寺跡-生島足島神社-泥宮神社-女神岳というレイラインを遊びとしてお考えだったようです。「デジタルマップを使った遊び -レイラインハンティング-2006/09/13」

 

実際はどう?

信濃国分寺と生島足島神社と別所温泉は一直線ではありません。

信濃国分寺と生島足島神社と別所温泉

夏至の朝日が鳥居の間から昇るのは動画によると本当のようです。

生島足島神社レイライン

ブリン・セリ・ドゥの夏至のようです。Bryn Celli Ddu Summer Solstice Celebrations 2015 - ITV News

冬至の夕日が鳥居の間へ沈むのも動画によると本当のようです。

冬至の日の生島足島神社での夕日

ニューグレンジ古墳の冬至は有名です(レポート)。Winter Solstice at Newgrange - Inside the Passage Tomb

メイズハウの冬至等もあります(レポート)。Winter Solstice at Maeshowe, Scotland 2015

いつも大変お世話になっている日の出マップ(超便利です!)によると、生島足島神社の鳥居は冬至や夏至の角度で通っているのがわかります。

生島足島神社と冬至・夏至

浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイライン

生島足島神社は式内社で歴史があるようで、お名前が十種神寶の「生玉」「足玉」に似ているのと、その神寶が死と再生に関わること、温泉も大国主命と少彦名命の再生の開湯伝説とかかわることから、温泉の熱源である火山とのレイラインを見てみると、
浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイラインを描けました。

浅間山火口-生島足島神社-別所温泉大師湯-夫神岳-光城山-明神岳山頂レイライン

超暴れん坊の浅間山と、穂高神社の穗高見命(穂高大明神)( 綿津見神(海神)の子)・槍穂高カルデラの穂高連峰の間に位置するのは何か古代の人々の信仰の現れでしょうか?

別所温泉開湯縁起

天保14年(1843年)豊田利忠『善光寺道名所図会』五巻にて、開湯縁起が記載されていました。

豊田利忠『善光寺道名所図会』(天保14〔1843〕年)
小県郡出浦郷別所七久里温泉に浴す、(中略)
夫当初七久里温泉の由来を尋るに、人皇十二代景行天皇の御宇、日本武尊東夷征伐し給ふ砌、此地を通行し給ひけるに、南方の山下に煙気畳々と立昇りけれハ、如何なる故ならんと暫く見給ふ所に、一人の老翁忽然と出来り、尊に告て曰、此地に七ツの温泉あり、其性異り、是に浴せん者七種の病苦を離れ、寿命延長ならん、君是を開き給ふべし、吾ハ大己貴なり、努々疑ふべからずとて失給ふ、尊奇異の思ひをなし、山の麓を尋ね、七ヵ所の温泉を求て浴し、従卒をも浴さしめ試み給ふに、病苦にかゝれる者共速に平愈しけれバ、惣名を七苦離の温泉と号給ひ、大己貴尊をハ温泉明神と崇祭り給ふ、猶今我開闢此温泉久しく、此里に繁栄たるべしと誓ひ給ひ、七久里温泉と書遣し給ひしとなり(15(『新編信濃史料叢書 第二十一巻』(昭53 信濃史料刊行会)))
「ななくりの湯」小考,p.33-45,西山秀人,観光文化研究所所報,1,上田女子短期大学観光文化研究所,2003年3月
善光寺道名所図会」巻之五……またこの地に二つの高山あり。 伊弉諾・伊弉冊の二尊影向したまひ、男女の道を教へ登りたまひし頂なることを尊聞こしめされ、男神嶽・女神嶽と号け、社を嶺に立てたまふ。 この二山に各御手洗あり。 その流の落ち合ふ川を相染川と呼ぶ。 両嶽の神祠嶺を隔つれば、これを合はせ祀りて結神と名号たまふ。
別所神社 長野県上田市別所温泉,本地垂迹資料便覧

信濃国分寺-生島足島神社-泥宮神社-女神岳-大明神岳-保福寺峠-乗鞍岳剣ヶ峰レイライン

信濃国分寺も、生島足島神社を挟んで乗鞍岳剣ヶ峰とのレイラインが描けます。別所温泉開湯縁起の日本武尊が老人から「七苦離(ななくり)の湯」を教えられた保福寺峠も登場。生島足島神社は丁度いいお臍のような位置に建設されているように見えます。女神岳は乗鞍岳で、明神岳の穂高連峰は夫神岳なのでしょうか?

信濃国分寺-生島足島神社-泥宮神社-女神岳-大明神岳-保福寺峠-乗鞍岳剣ヶ峰レイライン

夏至の日はどこから昇るの?

生島足島神社の夏至の太陽は神門から望めるようですが、その方角はちょうど信濃国分寺跡のようです。(^▽^;)ちょっとできすぎなようでびっくり。

冬至の日はどこへ沈むの?

生島足島神社の冬至の太陽は三才山峠へ沈みます。この峠は別所温泉開湯縁起の日本武尊が老人に「七苦離(ななくり)の湯」を教えられた保福寺峠まで歩いて一時間の距離。元々の伝承は三才山峠の方かもしれません。天皇は日嗣の宮で太陽神の子孫という神話上の設定なので、弱った日本武尊は冬至の太陽のようとも言えます。

レイラインとは?

以前もいわゆるレイラインについて考えてみたのですが、同じ緯度、すなわち日時計が同じ高さを時間差をおいて示す寺社というのは時間や天体観測や暦と関係してくるので重要だったのではないか?と想像しています。同じ経度の寺社は同時刻に南中や相対的に同じ位置へ天体を観測できますが、その天体と地表の高さは違ってきます。これも測定と関係していたのだろうと思うのです。

CIELO sundial tutorial

Inca descendents celebrate Inti Raymi, or winter solstice

冬至が太陽信仰において特別な意味を持つのは世界各国共通ともいえるでしょう。日本神話は太陽神が重要な神で天皇は日嗣の御子で太陽神の子孫という神話上の設定。
遥拝という考え方は直線状の遠くにある宗教施設への信仰ですから、このあたりの考え方の延長線上にあるのかもしれません。

宮中で今も行われている鎮魂祭は旧暦の時代、冬至の頃・新嘗祭の前日旧暦 11月中の寅の日の申の刻に行われていました。
物部神社 【猿女の鎮魂法】 11月24日鎮魂祭

Midsommar i Sundborn, 2017 - (Classical midsummer celebrations)

天=神の目線でみた配置を神を常に意識していた古代人が整えないのも逆に変なのかもしれません。ナスカの地上絵のようなものでしょうか?