皆さんもそうでしょうが職場内で相談する時は、私も自分なりの哲学と原則があります。

「あなたの言うことが正しいかもしれない」
5~6年ほど前からかなり強くなった、他の人の意見を聞く時の習慣です。
信じられないかもしれませんが、私は討論を始めると少しの間目を閉じ「あの人の話をちゃんと聞けますように」と祈ります。そして「教えたり、批判したり、指摘しないように導いてください」と祈ります。
私は相手が意見を出したとき、まず受け止めようと努力します。相手の意見の本質を探し、その中にある受け止めるべき部分を探す努力をします。
努力のひとつが対話する時の癖です。私は相手が話をする時、聞くことに集中するよう努力します。そして頻繁に「そうかもしれないね」「そうか」と相槌を打ちます。他の人は私が「そうかもしれないね」や「そうか」と言うと、そう言っていると感じているかもしれません。しかし私がそう言う時は、ほとんどの場合、そう思えるように努力している時です。
この点は自分で見ても、本当にかなり成長したなと思います。
若かった時はまったくそうできませんでした。それでも5~6年ほど前からは、他人の話を受け入れるために努力するようになり、その中で「そうかもしれないね」「そうか」と言う習慣がつき、その習慣によって実際に相手の言葉を受け入れられるようになりました。
私は自分は他の人の話をうまく受け入れるほうだと思います。勿論他の人はまったくそう感じないかもしれません。今でも幹部は私に「社長は本当に頑固だ」と言うのを見れば、他の人が見るにはまだ私は受け入れる能力が足りないと感じているようですが、自分を省みると、これでもかなり成長したのです。

とにかく私は以前に比べて相手の話を受け入れるためにかなり努力するようになりました。
その背景には、やはり自分の過去の失敗があると思います。
私は本当に多くの失敗をしました。高校の時も飛びぬけて優秀な人物にはなれず、大学もいわゆる最高の名門大学に入ったわけでもありません。40代まで政治をやりましたが政治で失敗しました。44歳まで企業を運営して、また失敗しました。勿論、小さな成功もありましたが、全体的に見れば何度も失敗しました。その中でも一番大きな失敗は、夫婦の関係が崩壊直前までいったことです。
この失敗を経てから、自分の能力に限界があることを真剣に受け止め、また自分の判断が正しくない時のほうが多いことを受け入れました。
今はそれでもCEOですから、それらしく見えるかもしれません。会社規模もそれらしく見えるかもしれません。しかし私はまだ国税を払えず経済活動を行うのに制約が多く、相変わらず自分の家もなく借家のままです。過去の失敗からまったく抜け出せずにいます。そのため会社を運営していても資金誘致のたびにかなり難しい立場に立たされます。
このような失敗と限界を認めているので、以前のように自分の主張を無理に進めることはしません。

だからといって全く主張しないという意味ではありません。
会社を作ったこと、低価格を固守すること、残業のない環境を作るために努力したこと、顧客サポートチームの応対時間を10時から5時にしたこと、顧客サポートを韓国で行うこと、自律の雰囲気を作るために努力したこと、伝言を続けていること、教育にかなりの時間を割愛すること、読書討論会の最初の本に24回もかかる『大望』を選び、なんとか最後までやりぬいたこと、オフライン営業本部を作り、その延長として営業店事業部を作ったこと、全て私が強力に主張して作ったものです。
そして組織から出さなければならない人がいる時は、あまり躊躇せず根気強く追い出すこともしました。

そんな点から、私もやはり頑固です。でも全般的には他の人の意見はできるだけ集中して聞き、まずは受け入れるように努力します。
それを通じて得る利益がとても大きいからです。
一番大きな利益は、いい関係を形成できるということです。これも私だけの思いかもしれません。私はいい関係を作れたと感じても、相手は全くそうではないかもしれません。でもまあとにかく、私自身はいい関係を結べるように成長したなと感じています。
会社やその他共同体との関係をうまく結べるようになれば当然、嬉しくなります。関係をうまく結んでいれば、人々から認められていると感じます。当然嬉しくなり、気が楽になります。そうなると関係はさらにもう一段階成熟します。
悪貨は良貨を駆逐するといいますが、その反対も同じです。悪循環の代わりに善循環が行われます。

即ち受け入れるために努力すれば相手も楽になり、相手との関係が良くなり、それにより相手からもっといい意見が出てくるのです。
「そうかもしれないね」「そうか」と口にする習慣を持ってからは、批判したり、指摘したり、教えようとする態度はだんだんと減っていきました。私は話をしながら自分自身、声のトーンが上がっているのに気付きます。指摘したり批判する口ぶりが出そうになるのを自ら感じます。そういう時は少しの間、話すのを止めてトーンを下げます。そしてまた言い方を変えます。
本当に相手の主張することが正しいかもしれないと、心から受け入れることで、私はかなり成長しました。


諦めず説得すること

私は「人というものは自分が悟らない限り動かない」と思っています。組織は究極的に指示と服従が基本です。上司は指示を出し部下はそれに服従します。これは揺らいではならない原則です。しかし指示と命令は最後の手段だというのも確かです。充分に説明し、充分に説得したのに同意できないのであれば、指示をして命令しなければなりません。部下は指示と命令が出されれば必ず従わなければなりません。ひいては組織の場合、部下は説明が充分でなかったとしても指示と命令には従わなければなりません。それが組織です。
しかし私は指示と命令を出す前に説得し、対話し、教育し、討論して、部下が納得して自ら動くという状況を作ったほうがいいと勧めるのです。
私は自分自身もそのようにしています。
私は営業店事業を始めるまでに、本当に長い時間がかかりました。
営業店に関連した伝言だけでも3つありました。

ㅇ2012年8月31日伝言 --- 代理店
ㅇ2012年9月7日伝言 --- 営業店2
ㅇ2012年9月14日伝言 --- 営業店3

この三度の伝言は全部営業店について説明するもので、この3つの伝言で全体伝言を行いました。その後、11月2日の伝言(方針を作る)、11月9日の伝言(2013年3月、売上げ1億5千万円目標は修正するべきか?)ではまた営業店について説明しました。そして主任教室、代理教室、課長教室でもまた説明し、幹部会議でも伝言を行いました。
私は粘り強く説明し、説得しました。


私ができるのはこれだけです。納得や同意は私ができる範囲にはありません。それは私の説明を聞いた人が選択する問題です。ただ私は自分の考えを伝え、説明し、説得するだけです。
充分に説明して説得してもダメだった場合は、私は2つのうちひとつを選択するでしょう。ひとつは私が諦めること、そしてもうひとつは指示と命令で私の方針を貫くことです。
しかしCEOくらいになると、粘り強く説得すると大部分はしょうがないと言って同意してくれたり、妥協案を提示してくれます。私はそこまでやります。勿論、指示と命令で解決することもできますが、その方法は殆ど使いません。
私はこの方法が正しいと思います。
この方法で得る有益な点は本当に多いからです。

まず関係が悪くなりません。しょうがなく同意したとしても同意は同意です。人は同意すると口に出せば、その言葉を守ろうとする傾向があります。そのためなんとしても説得する過程はとても重要です。
そして説得する過程で足りない部分を補強できます。もしくは見えなかった問題が見えてきます。そういう観点から、説得する過程が既に仕事の過程であるとも言えます。この過程を経て失敗の可能性を減らします。


他の人の限界も認めること

私は一緒に仕事をする時、自分の限界も認めますが他の人の限界も認めます。
言語学者らが研究したところによると、人は自分が話したいことをいくら上手く話しても70%以上は正確に伝達できないそうです。同じように「わかった」と言っても、その内心で怒りを我慢していることもあり、本当に喜んで受け止めていることもあり、ただ話すのが面倒だからそう言うこともあります。同じ言葉でも、その深い意味は言った本人もよく分かっていないこともあります。「ご飯食べて」という単純な言葉も、自分の感情を正確に込めて伝えるのは難しいのに、戦略と戦術、または哲学を扱う時には、考えることを正確に伝達するということが、ある意味では当初から不可能なのかもしれません。そのため、言葉と文章も自分の考えをうまく伝えること自体がとても難しいのです。

同じ研究によると、人がいくらちゃんと聞こうとしても、話者の意図を70%以上把握するのは不可能だそうです。しっかり聞くことを「傾聴」といいます。耳を傾けて聞くのです。傾聴しても話者の意図を70%以上は聞き取れないそうです。
話者が自分の意図をできるだけ正確に伝達し、聞く人ができるだけ傾聴した時にやっと49%伝わります。これが最大値です。

先週はエニアグラムについて学びました。エニアグラムで私たちが一番最初に学ぶことは、人は本当にそれぞれ違うという事実でした。人はそれぞれ違います。1番のタイプ、2番のタイプ、3番のタイプなどなど、9番のタイプまで全て基本特性が違います。そこに2番の属性が強い1番のタイプがあり、9番の属性が強い1番のタイプがあります。そして同じ1番のタイプも心が安定している時とそうでない時で受け入れ方が違います。
話し方も違い、聞き方も違います。これらを考え合わせると、私が話す言葉を相手が正しく理解できないのは至極当然なことです。私の話を理解できること自体がかえって不思議なことです。これを現実として受け入れられれば、私たちが組織で関係を結ぶにおいて大きく役立つと思います。

まずあまり腹を立てずにすみます。怒る理由は状況が自分の思うとおりに進まないからです。子供に「早く起きなさい」と言ったのに起きないので腹が立ちます。勉強しろと言ってもやらないので腹が立ちます。静かにしなさいと言っても騒いでばかりなので腹が立ちます。配偶者に対しても同じです。ある問題について解決してほしいと真剣に頼んだのに「忘れた」と簡単に言われて腹が立ちます。そして自分の意見を分かってもらえないので腹が立ちます。大部分腹を立て、イライラし不平を言う理由は、状況が自分の思い通りにいかないからです。
しかし状況や相手は「もともと自分の思い通りにいくものではない」ことを知っていれば、腹を立てる回数が減り、怒ったとしてもすぐ感情が納まるでしょう。

最近、営業店候補を登録してくれと朝会のたびに幹部に要請し、掲示板に書き込んでも、構成員たちはあまり動いていません。この状況さえも私は当然であると受け入れます。
こういう私の態度を見て、ある人は秩序と規律をCEO自ら乱しているのではないかと指摘します。そうかもしれません。ある面で私はちょっと度が過ぎるほどに規制しません。しかし私は今、構成員が私の指示や要請に対して今すぐ従わないからといって、指示事項をやらせるために褒賞や罰則などの手段を使うつもりはあまりありません。私はいくら自分が上司で構成員が部下だとしても、指示や要請をすぐに理解して実行に移す可能性は大きくないと思っているからです。
私は幹部らにビジョンを提示するような伝言の文章を書けと何度も頼んでいますが、ビジョンを込めたナヌムの文章を提示する幹部はそれほど多くありません。当然やるべき事だと幹部自ら認めながらも、実際にはできていません。勿論、強制的に書かせる方法もあります。しかしその方法は使いません。
私は自分の指示や要請が受け入れられなかったからといって、腹を立てることはそれほど多くありません。
その理由は、ある意味では人はそうなるのが当然だと思っているからです。


対話すること

私は他の人と一緒に過ごしたり仕事をする時、一番大切なことは対話だと思います。家庭でも一番重要なことは対話です。
対話は本当に大切です。話をしながら自ら整理され、聞きながら知恵と知識を得ることができます。足りない部分を補うことができ、いい点は更に発展させることができます。
しかし対話にも本当に大切な規則があります。
対話を一番うまく進める方法はやはり傾聴です。そして言葉をたくさん交わすことです。
対話を乱す主犯は主に上級者です。多くの上級者は対話ではなく訓戒や教えを語りだすからです。聞く立場としては本当に困ります。
私は対話をする時、ガイドラインを思い出します。ガイドラインでは対話の方法をこのように定めています。「『あなた』『私たち』という単語は使わず、自分についてだけ話しましょう。」

親が子供と対話する時、「あなたは」から始まると当然、訓戒と指摘に流れていきます。そうなると家庭教育ではなく家庭の小言になってしまいます。
私は子供と対話する時、徹底してるなと感じるほど、自分の経験だけを話します。やはりナヌムガイドラインに出てくる方式です。「感情を分かち合いましょう。自分の経験、力、希望を分かち合いましょう。」即ち子供に対して話をするのではなく、話したいテーマについて、自分はどのように扱ったのかを話します。勿論この方法でも傲慢で自己主張の激しい親は自分の自慢話ばかりをするでしょうが、幸いにも私は失敗を沢山してきたため、自分の失敗した経験を沢山お話しすることができます。
対話とは向かい合って話をすることです。上級者や大人は聞くことより話すことのほうが好きです。そして能力のある人ほど話好きです。沢山話をすると当然失敗も多くなり、関係も悪くなります。

待つこと

一緒に仕事をするということは結局、待つことなのかもしれません。理解するまで、そして行動に移す気になるまで、私たちは待つしかありません。牛を水場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないという言葉があります。牛が水を飲みたくなるまで待たなければなりません。
待っている間に上司がやるべきことは、よく理解できるように、ちゃんと成長できるように指導し、力づけることです。