『徳川家康』を読む

会社内で今回8回目の読書討論会がありました。
ご存知の通り会社内の読書討論会では『大望』を読んでいます。大望の原題は『徳川家康』です。
読書討論会では韓国の東西文化史本を読んでいて、全12巻です。
1巻当りだいたい650ページ前後で、1回につき320ページほどを読んで討論をします。
8回目が終わった今、4巻を読み終えました。全体の1/3です。本当に長いです。
初回は5月29日でした。本を渡したのが5月23日だったので、現在1/3を読み終えるまでにかかった時間は3ヶ月です。中間で5回いろいろな事情で休みました。

読書討論会をするなかで、会社に通いながら本を読むのは本当に大変なことだと感じました。
大望を読んでいる間、他の本は全く読めませんでした。
大望は難しい本ではありません。ただ面白い小説です。
それなのに1ヶ月にやっと1冊のうちの1/3しか読めていません。勿論、1冊が650ページなので少なくはありません。ページ数としては800ページになります。
1週間に小説180ページを読んだことになります。
私は学生運動をして収監された経験もあり、また社会運動をした期間が長かったため、本を沢山読み、またそれを楽しんできました。本に慣れ親しんでいるとも言えます。
そんな私でも会社に通勤しながら本を読むのは簡単ではありません。

違う話になりますが、ある人が自分の家には本が2千冊ある、3千冊あるという話を聞いたりそんな記事を読むと「フッ」と笑ってしまいます。
良くない言葉ですが、「変わっている」とついつい口をから出てしまいます。
2千冊という分量が、どれだけかも知らず話しているのが可笑しいからです。
1年は365日です。10年で3千6百60日くらいです。20年で7千3百日くらいです。本2千冊を読むためには20年間4日に1冊を休まず読まなければなりません。
勿論1日に10冊読める漫画なら分かりませんが、まともな本を読むなら2千冊という数字はとんでもない数字です。まともな本を1回読むのに1週間かかるとしましょう。1年は54週です。10年間休まず読んでやっと540冊です。
私の経験では本当にしっかりした本を理解しながら読むなら、一週間に1冊も難しいです。
読書は欲張ってやるものではなく、ただゆっくり、人生の一部として受け入れるほうがずっと正しい態度ではないかと思います。

YUSURUNの読書討論会は7人で出発し現在5人です。今まで3ヶ月かかって1/3読んだので、完読までにちょうど1年かかることになります。ちょっと飽きるかなもと思います。
最初からあまりにも大きな本を狙ってしまったかもしれません。

「愚公移山」という故事を見てみましょう。

北山に90歳になる愚公という人が住んでいました。愚公にはいつも気になっている事がありました。自分の家の近くにはひと周り700里、高さ万里にもなる太行山と王屋山が取り巻いており、北に行く道を塞いでいるという事でした。
いつも遠回りしなければならないことが不満だった彼は、ある日家族会議を開きました。
「2つの険しい山を平らにすれば、もう遠回りする必要はない。力を合わせて山を削るのはどうだ?」
彼の3人の息子はみんな父の意見に賛成しましたが、妻は呆れてしまいました。
なぜなら夫は余りにも年寄りだからです。

「あなたの力では小さな丘も削れないのに、あの大きな山を削るんですか?それに山を削った土と石はどうするつもりです」
愚公は自信たっぷりに言った。

「そんなものは渤海の端に、あの北に捨てればよいのだ」
しかし渤海は一度往復するのに1年もかかる場所です。妻は愚公の話に返す言葉がありませんでした。
翌日から愚公と3人の息子は何事もなかったかのように仕事を始めました。石を叩いて割り、土を掘ってざるに入れ、渤海の方に運ぶ仕事です。ひいては隣に住む未亡人の子供まで呼んで仕事を手伝わせました。
見かねた愚公の友達のチスは彼を責めました。
「まったく!まだそんな事をしてるのか。自分の歳を考えてみろ。山の毛ひとつも削れないまま終わるぞ」
しかし愚公は堂々と言いました。

「君はあの未亡人の子供よりも分かってない。たとえ私が死んだとしても息子たちが残っているし、息子たちはまた孫を生むだろうし、その孫はまた子供を生むじゃないか。子々孫々、代々続ければ、いつかは山を動かすことができるだろが、山は削った分がまた出てくることがないから、結局平地になって近道ができるじゃないか」

チスは友達の自信たっぷりな話を聞いて、もう何も言い返す言葉がありませんでした。
山神様が愚公の話をこっそり聞いていて、それを玉皇上帝に伝えました。
「山を削る人間の愚かな努力が続きそうで恐ろしいです。愚公のやっている事を今すぐ止めさせてください」
しかしその話を聞いた玉皇上帝は、かえって愚公の精誠に感動し、一番力の強い2人に頼んで2つの山を動かしたのだそうです。

時間はかかっても今の通り続けていけば、いつか読書討論会は大望を読破することでしょう。
もしかしたら読み終わる前に、残りは各自読むことにして別な本に移るかもしれません。
今一番読み進んでいる会員が7冊目を読み終えたので、どうなるか分かりません。

重要なことは、まず読む事です。
早く読んでもゆっくり読んでも、継続して読むことが大切です。

大望を読んで、読書討論会員の中で表現の上手いある会員は
「この本を読めて本当に嬉しい」と言いました。
他の会員も多くは「本当にいい本だ」と言います。

事実、YUSURUNに読書討論会がなければ、この会員たちも一生かけてもこの本を読んだり、または読む可能性はまったくないと言えます。勿論この本を読むこと読まないことはそれほど大切ではないかもしれません。しかし私には本当に大切な問題なのです。



私はこの本を読むのはこれで3回目です。手をつけたのまで含めると4回目です。
最初は中学校2年生の夏休みで、母が隣のおじさんの推薦で1冊目を持ってきてくれたのを覚えています。多分100ページ以下だったと思います。
どんな内容なのか全く分からずに読み始めたことが問題でした。それに日本人の名前が出てくるので全く理解できず、諦めた記憶があります。

本を読むことは映画を見るのと少し似ています。映画を見る時もだいたいのストーリーを先に知ってから見たほうがもっといい時があります。
私は映画の理解力はちょっと低いほうです。特に西洋映画を理解するのは苦手です。
まずは西洋映画の主人公が服を着替えてしまえば誰が誰だか分かりません。
そして最近の映画はストーリー展開が早く、ついていくので精一杯です。

『文学と芸術の社会史』という名著にそんな話が出てきます。
「最近の映画は過去の映画を理解する方法では見られない。読法が違うからである。」
最近の子供たちは慣れ親しんでいるゲームも私にとっては難しすぎます。
子供たちは小さい時から使っている簡単なゲーム機から始めていってパソコンのゲームに至るわけですが、私は簡単なゲーム機も使ったことがないので、今のオンラインゲームにはまったく慣れていないわけです。勿論、特にやりたいという気持ちもないからです。
慣れていないので映画を見るのもゲームをするのも苦手です。基礎知識が足りないからです。

大望をはじめて読んだ時も全く分からない状況ではじめたため、全く進みませんでした。勿論背景を知ったとしてもこの難しい本を中学2年生が読める可能性は全くありませんでした。
二回目に読んだのは1982年の秋でした。
あの時は学生運動をしてソウル拘置所に収監された時です。夏の間は独房にいましたが、秋になって寒すぎるため他の在所者と一緒の部屋を申し込んで13人部屋に移りました。
狭い空間に13人が暮らしているので、最初のうちはちょっと難しい本を読むのは不可能でした。その時に手に取った本が大望でした。その時は縦書きで編集された本でした。全10巻でした。しっかり読みましたがその時に読んだ大望が私にどのような影響を及ぼしたのかは全く分かりませんでした。その時読んだタイトルの中には徳川家康と豊臣秀吉が一度だけ戦った、雨の中の戦闘場面だけをぼんやりと覚えています。
勿論その記憶も全部歪曲されたものでしたが。本当にそんな場面があったのかも分かりません。

三度目はYUSURUNを作ってからです。2009年頃です。この時はすでに年齢が50近くになっていました。ずっと深く理解できたと思います。
私がこうしただろうと推定するのは2009年に読んだものは今の4回目に読んだものとオーバーラップし、正確に分からないからです。しかし三回目に読んで私が得た知識と知恵がとても大きいため、今回の読書討論会に本当に長いことを知っていながらもこの本を最初の素材に選んだのです。

8回目の分かち合い
今週あった8回目は、応仁の乱で始まった100年戦国を終息させる最初のランナーである織田信長が部下の明智光秀に本能寺で殺害され、織田信長の部下だった豊臣秀吉が電工石化の戦術で明智光秀を静圧する場面までです。この期間、徳川家康は明智光秀を攻撃するように脅迫し、明智光秀が豊臣に立ち向かうことに全力を集中できないようにする役割をします。

主な登場人物は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀の4人です。
ご存知の通り、織田信長は下級官吏の子で尾張(今の愛知県)の小さな城主から始まり、日本の2/3を統一した英雄です。奇抜で頭脳明晰です。そんな彼が部下に殺害されました。

豊臣秀吉は下っ端兵士の息子です。織田信長の忠臣です。若い頃、彼は織田信長のわらじを胸に抱いて温めていたという話があるほどです。織田信長のために難しい事は全て解決し織田信長の死後は明智光秀を倒し日本一になります。
徳川家康はこの本の主人公です。この期間、徳川家康は豊臣の執権を助けました。徳川家康は城主の息子として生まれました。そして織田信長が死んだとき、織田信長の部下ではなく独立した城主で、決して実力面で豊臣秀吉に劣ってはいませんでした。そんな徳川家康でしたが豊臣秀吉の執権を無言で手伝いました。

明智光秀は出身や身分ははっきりしませんが、何度か主君を変え最終的に信長の家臣になりました。明智光秀がなぜ織田信長を裏切り殺害したのかは、実は誰も知りません。この本には明智光秀が信長から何度も侮辱され、最後は織田信長が自分を左遷したと誤解して信長を殺したといいますが、事実かどうかは分かりません。とにかくこの本の明智光秀は誤解してカッツとなり信長を殺害した人物として描かれています。
この本を根拠に、私はいろいろ考えました。
まず大局を考えます。そして早さと待つ事について考えます。そして才能と本質について考えます。そして素性を考えます。

大局
織田信長は成功70%、失敗30%です。
豊臣秀吉も成功70%、失敗30%です。
徳川家康は成功95%以上です。
明智光秀は成功10%、失敗90%です。

成功者らは大局を見ることができました。織田信長は電光石火に象徴されます。
速く、奇抜で、明晰です。その代わり彼はとても速すぎました。その速さで彼は日本の2/3を制覇しました。織田信長の時代はそれこそ分裂を繰返す秩序のない時代でした。この時代には力で制圧しなければならず、戦術が何より重要な時代でした。織田信長は時代の流れを正確に読んでいました。大局を正確に把握していました。戦術が重要な時代に戦術で勝負しました。
豊臣秀吉は時代が織田信長を望んでいることを正確に読み取り、織田信長のために献身しました。
豊臣秀吉は織田信長が死ななかったら、最後まで織田信長のために忠誠を尽くした人物でした。勿論仮定ではありますが。

豊臣秀吉の失敗は自分の息子にそれだけの器がないのにも関わらず自分の息子に承継させたことです。豊臣以後は徳川になるしかないのに、その流れを拒否し自分の息子が結局は命を失い家門が途絶えました。
徳川家康は織田信長と約20年間同盟を維持し、ちんぴらだった秀吉の執権に助力し、秀吉の下で閣僚の役割をしました。徳川家康は戦国の終わりを告げる時代の要求という大きな局面を受け入れたのです。それで織田信長を助け秀吉を助けました。
簡単なことではありません。織田信長と豊臣秀吉は3歳差、豊臣秀吉と徳川家康は6歳差しかありません。同年代です。家康が秀吉の執権を黙認または力を貸したのはかなりの忍耐力です。

明智光秀は戦国終息が時代の要求だということを知っていましたが、その自分の没落を認めることはできませんでした。誤解でも事実でも、彼は信長が自分を捨てると思い、信長を殺害する戦国時代の終息に反対する道に進みました。信長を殺害した瞬間、日本全国は戦乱に巻き込まれるしかありませんでした。
多少陳腐な話ですが「正義(順天者)は栄え、悪(逆天者)は滅ぶ」という言葉と同じだと思われます。順理に従えば栄え、逆理に従えば滅ぶのです。
私はこれが本当に大切だと思います。大きな流れを読み込むこと、ここに成功の秘密が隠されています。

早さと待つこと
私は早すぎる事を警戒します。織田信長の早さは時代の要求でしたが、その早さにより信長は光秀に殺される運命を辿ったのかもしれません。織田信長は本人が余りにも明晰だったため、他人を無視しました。豊臣秀吉をサルと呼び、光秀が禿だったからとミカン頭と呼びました。
早すぎて、先が読めるので、他人もそうだろうと思ってしまうのです。その結果、幕府全体がひとつになれませんでした。
徳川幕府は早さとはまったく関係がありませんでした。それこそ黙々と進みました。徳川幕府の特徴は一致団結です。ゆっくり進むので全ての構成員が組織全体の目標を自分も気付かないうちに理解します。
動きが早ければどうしても落ちこぼれる人が増えますが、ゆっくり行けば落ちこぼれは減ります。徳川幕府の特徴は同行です。徳川幕府はそれこそ「みんな一緒に」です。

才能と本質
織田信長と豊臣秀吉の才能はあちこちで輝いています。織田信長の時代に戦争戦術が変わりました。この頃、ポルトガルから鳥銃が日本に伝えられ、鳥銃が作られました。その当時鳥銃は弓矢より装填に時間がかかりました。それで大部分の領主は鳥銃を主力の武器として使用しませんでした。
織田信長は鳥銃部隊を3列編成にしました。1列が鳥銃を撃っている時に2列と3列は装填し、連続発射できるようにしました。
この方法で1575年の長篠の戦いで当時日本最強の騎馬部隊を持つ武田軍に立ち向かい、3千名の鳥銃部隊で武田の最強騎馬部隊1万2千名をせん滅させました。
織田信長が殺害された後、秀吉が光秀を殺すまでにかかった時間は12日です。それこそ電光石火です。その間に彼は戦場の第一線で謀略を企て、敵軍の守備隊長の毛利を自決させ、軍士を奪い光秀を攻撃しました。
このような織田信長と豊臣秀吉の天才性はこの本の至るところに出てきます。
反面、徳川幕府にはその奇抜さがありません。ただ変化のなさだけが見えます。徳川幕府には一途さがあり、幕府のために犠牲になる献身者が多くても、奇抜な人はあまり多くありません。
しかし最後の勝者は徳川幕府です。

素性
豊臣秀吉は織田信長の家臣の出です。家臣は正統性がありません。織田信長には息子がいました。
封建制度の時代に織田信長が死ねばその息子が継承することになります。豊臣秀吉は作戦を立てるしかありませんでした。身分の限界です。
反面、徳川家康は独立した城主の息子です。織田信長の家臣でもなく、豊臣秀吉の家臣でもありません。それに彼は豊臣秀吉との距離もある程度保っています。豊臣秀吉が西で天下を治めている間も徳川家康は東に基盤を立てていればよかったのです。

思考
大望を読むのはこれで3回目です。一番大切なことは考えるきっかけが頭に入ったという点です。何度も読むのが大切なのではありません。いろいろな観点、いろいろな素材が頭に入ったということです。
私はそれが一番大切だと思います。
インプットがなければアウトプットもありません。
人々はいつもやっている事に慣れているので、新しい何かを受け入れるのを嫌います。思考も同じです。新しく考えることは簡単ではありません。しかし考えることを頭の中に入れておくと、新しい思考が自然と出てきます。
読書は新しく考える素材を頭に入れる作業でもあります。
ドラマは新しく考える素材とはまったく違います。大部分のドラマは新しく考えさせる素材というよりは、主に感動を狙った素材です。そのためドラマを通じて考えをまとめるのは殆ど不可能です。ドラマは情報ではありません。ぼーっとドラマを見たり映画を見る方法では新しい観点を持つのは殆ど不可能です。

経験も新しい観点を持つ素材になり得ます。しかし経験さえも読書を通じて訓練された頭脳でなければ新しい観点を与えることはできません。
知っている分だけ見えてきます。実力の分だけ経験を通じて得られるものが違ってきます。
私は今までやってきたことと違った考えをします。違う判断をし、違う行動をすることが発展と成長の本質だと思います。普段通りにやっていては決して発展しません。実務能力も判断力もいつも通りにやっていては絶対に発展しません。

発展して成長するには、新しい考え、新しい観点、新しい行動が必要です。新しい思考、観点はデパートでは売っていません。
読書が一番手っ取り早い方法です。
読書は難しい事です。
難しい事をする時はそれをやるしかないところに自分を置くのが一番いいです。行動が意思よりもっと大切です。

外国語の勉強をしようと思ったら、外国語の塾に申し込んでしまうのが一番いいです。
健康を守るにはジムにお金を払って申し込むのが一番いいです。
頭を冷やすためには山寺に行くか、祈祷する場所に行くか、または少しの間、田舎に行くのがいいでしょう。
意思より行動がもっと大切です。
読書しなければなりません。そのためには読書するしかない環境に自分自身を放り込むのが一番です。自分でやるしかない環境に追い込むのです。

読書討論会では討論しません。
5分ずつ、一人ずつ順番で本の内容や読む過程で感じたことを話します。そしてもう一度順番で話をします。この過程も強制で整理させる過程です。このように強制的に整理する過程に自分を置くのが、実は知恵だと言えます

随分長く読書討論会を紹介しました。読書討論会に参加せよという意味ではありません。
実は本当に言いたかったのは自分の考えを変えよということで、それにおいて読書が大きく役立つということです。大望を読みながらいつも自分の生活に適用させてみます。いろいろ素材があるので、新しい考えを持つことができます。
皆さんは新しい考えを持つのは簡単ですか?
どのようにしたら新しい考えができますか?
皆さんはいつもと同じやり方から抜け出すためにどんな方法を使いますか?
新しい方法を取り入れるのは簡単ですか?
分かち合ってみましょう。

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