こんにちはニコニコ 和みのヨーガ インストラクターひろこです。

訪れてくださりありがとうございます。

 


近頃、ステキな人にたくさん出会います。

自分を輝かせて、自分の才能を活かし、

多くの人を助け、多くの人に影響を与えている人。

自分の愛を惜しみなく周りに注いでいる人。

そんな人たちに出会うことはとてもありがたい

なと感じ、刺激を受け、勇気が出てきます。

こんなふうに自分を輝かせていきたいなぁと

理想の自分を描き、ワクワクする気持ちに

なります。

 

 

一方で、なぜかモヤモヤも感じていました。

ほんの少しなのですが、確実に何か

違和感がありました。

でもその正体はわかりませんでした。

 

 

そんな想いを大事に抱えつつ

日々を過ごしていると、

とある出来事がありました。

2つから1つを選ぶ大きな選択を

しなければならないという出来事。

どちらにしよう、と揺れに揺れました。

 

 

そのときに、

「自分は何を大切にしているのだろう」と

基本に立ち戻ってみました。

すると突然、ぱっと霧が晴れたようになり、

揺るぎない心で1つの答えを選ぶ自分に

出会いました。

 

 

自分が大事にしていることを見つけたとき、

すとん、と自分の居場所に戻った

感覚になりました。

うまく表現できませんが、

自分が輝けるステージがわかったというか、

自分の立ち位置が見えた感じです。

 

 

その瞬間、もう一つ大きな気づきが起こりました。

最初に書いたモヤモヤの原因がわかったのです。

ステキな人に出会って、私もこうなりたいと

描いた理想の自分。

それは、違う自分になろうとしていたこと

だったのでした。

 

 

今の自分とは違うステージで輝こうと

力が入っていました。

今の自分とは違う自分になりたい、

今の自分でいいのだろうか、という

焦りと不安、自己否定がベースに

ありました。

 

 

自分が今大切にしたいことに気づき

自分の立ち位置が見えると、

今ある役割をきちんと認識し大切に

しようという気持ちになります。

すると違う自分にならなくていい、

自分のままで大丈夫、という感覚が

身体に入っていきます。

 

 

今の私が最優先にしたいこと。

それは家族だとわかりました。

そのうえで、自分が置かれている役割を

大事にしたい。

高齢者施設での仕事、和みのヨーガ教室、

高校での和みヨーガ授業、幸せ創造劇場、

PTA活動、、、、、

いろいろな役割があることに感謝し、

誠実に取り組んでいきたいと感じ、

今の出会いを大切にしようと思いました。

この居場所で自分にできる最大限の

ことをしようと新たに決意しました。

 

 

目の前のことを大事にする。

目の前のことに集中し、心を込めて

行う。

日々をそう過ごしていくことで、

きっとそれが次につながっていく。

 

 

もちろん、こんな自分になりたいと

理想をもつのは素晴らしいことです。

でもそれが、今の自分ではだめだという

自己否定からの想いであると、

なんだか歯車がかみ合わない感じになったり、

違和感があったりします。

理想になかなか近づけないときは、

自己否定が潜んでいるのかもしれません。

 

 

今の自分を認識すると

自分はありのままでいいと思えるだけでなく、

こうなりたいということへの執着が消えていきます。

肩の力が抜けていくのがわかり、

流れに任せていくのもステキだなと感じます。

 

 

こんなゆるやかな感覚で過ごしていると、

意外とステキなことが訪れてくることに

気づきました。

どんなに予定が詰まっていても、

行くべきところにはちゃんと行ける。

そこで素晴らしい出会いと体験がある。

ワクワクするようなお誘いがある。

新たにやりたいことのアイデアが浮かんでくる。

苦手だった人とのコミュニケーションが上手くいく

ようになる。

 

 

今の私は、そんな状態です。

でもこれもまた変わっていくのだろうな。

ぐんぐん突き進んでいく自分が出て来たり、

どーんと落ち込む自分が出て来たり。

新しい自分に出会うこと、ちょっと

疲れるときもあるけれど、

一段落すると視点が変わっている自分に

気づく。

だから、これを信じて自分と付き合っていこう。

 

 

最後までお読みくださりありがとうございましたビックリマーク

 

 

あふれんばかりの感謝を込めてラブラブ

ひろこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはニコニコ 和みのヨーガインストラクター ひろこです。

訪れてくださりありがとうございます。

 

 

家の片づけをしていたら、4年前の手帳が出てきました。

その手帳は、なりたい自分や夢を書き込めるもの。

4年前の私は、どんな自分になりたいと思っていたのだろう。

ちょっとドキドキしながら手帳を開きました。

 

 

そこにはこう書いてありました。

「ありのままの自分で生きていきたい」

「自分のありのままを受け入れる自分になりたい」

「どんな自分も許せる自分になりたい」

「自分を愛する自分になりたい」

「変化を楽しみ、バランスを大切にする自分に」

「愛を素直に表現する自分に」

 

 

読んだ瞬間、驚きました。

この時からこんなふうに思っていたんだ、と。

なぜなら今も変わらず思っていることだからです。

そして今、そんな自分の姿に

4年前よりも少し近づけたように感じています。

自分を受け入れることや自分を愛すること。

完全にわかったわけではないし、

わかることでもないのかもしれないけれど、

自分が自分であることの居心地の良さ。

これを今、感じています。

 

 

あの頃の自分を思い出してみると、

結構、自分を責めていました(^^;)

結構、自己否定していました(^^;)

それがどんなふうにして手放されていったのかなぁ。

この4年間を振り返ってみました。

 

 

まず、なりたい自分を思い描いて手帳に書いたこと。

これが影響として大きいのかなと思います。

書くことで視覚的にも脳に入っていき、

そんな自分になるよう意識を向けていくことが

できたのだと思います。

 

 

そして、「なりたい自分になる」と決めたこと。

なれるかどうかわからないし、なれる自信もなかったけど、

「根拠もないけどとにかくなる」と決めました。

これは、強い意志をもって「なるぞ!」と思ったわけではなく、

むしろなれるかなぁと半信半疑な中、「ひとまずそうなると

決めておこう」、こんな気持ちだったことを覚えています。

 

 

その時は確か決めただけでした。

そうなるために具体的に何をしようかなどと

考えなかったと思います。

でも、決めると具体策も自然と自分の中から

わき出てくるんですね。

決めてから数ヶ月後、突然降ってわいたように

思いつきました。

 

 

・行動する

・挑戦する

・体験する

・表現する

・直感でいいと感じたことをやってみる

・感覚を使うことをして感覚を開くようにする

 

 

なぜこれをしようと思ったのか、最初は

わかりませんでした。

なぜならその時の自分が苦手としてできなかった

ことばかりだったからです。

安定を求め変化を恐れ、頭で考えることが多く、

なかなか行動できない、そんな自分でした。

 

 

だから行動することや表現することは

とても怖いと感じました。

けれども実際そんな自分に行き詰っているわけだし、

これからは違う自分に出会ってみたい。

そのように思ったら、チャレンジすることが

ワクワクの気持ちに変わりました。

 

 

この4年間、いろいろなチャレンジをしました。

(他の人には簡単なことなのかもしれませんが、

挑戦や表現が苦手な自分にとっては勇気のいる

ことでした)

 

 

朗読のワークショップに参加しミニ発表会をしたこと

和みのセラピストになったこと

和みのヨーガの教室を開いたこと

1000人で合唱するというプロジェクトに参加したこと

「幸せ創造劇場」という即興劇ワークショップに参加したこと

「幸せ創造劇場」を広めるための勉強をし始めたこと

 

 

このように行きたいところへ行き、したいことをし、

会いたい人に会うという、自分の想いのままに

行動や表現をしてみました。

(そうそう、こうやってブログを書くことも私の挑戦と

表現の一つですニコニコ

 

 

そしてたくさんの発見、変化がありました。

・怖いと思っていたけどやってみたら意外と

 簡単だった

・チャレンジした後は確実に自分の視界が変わった

・感覚は使えば使うほど開いていくとわかった

・周りの人への感謝の気持ちがあふれてくる

・自分への信頼が増していく

・自分に必要な情報や体験の機会がどんどん

 訪れてくる

・想いや価値観が同じ人と出会い、

 心が通じ合う体験が増える

・小さな幸せを見つけやすくなる

 

 

・・・こういった素晴らしい体験をし、

それが積み重なっていくことで、

なりたい自分に近づいていくのかなぁと

感じています。

 

 

なりたい自分を思い描き、

自分はそうなると決めること。

そこに意識を向けて行動すること。

なりたい自分になるのは

こんなシンプルな道筋なのかも

しれないな、と感じています。

でもどんな行動をするかは

もしかしたらあまり問題ではなく、

どんなことをしてもいいのかもしれません。

大事なのは、自分がしたいと感じたことを

することなんだと思います。

 

 

もう一つ感じた大切なことは、意識の向け方。

なりたい自分になることに執着しない、と

いうことです。

肩の力を抜く、という感じでしょうか。

私の場合、絶対なるぞ!という強い気持ちは

原動力にもなる反面、

まだまだ足りないからもっとがんばらなくては

と自分を責めることにもなりかねないのです。

だから矛盾しているかもしれませんが、

こんな自分でありたいと意識を向けた後は

それをいったん脇に置く。

そして目の前のことに集中し、日々を大切に

生きていく。

私の場合は、家族を大切にすることだったり、

PTA活動や仕事、和みのヨーガ教室など

今あるお役目に誠実に取り組んでいくこと

だったりします。

 

 

ゆっくりゆっくり、自分なりの歩みで、

本当の自分に戻っていく。

今はそんな旅の途中。

途中下車しながら、道に迷いながら、

旅を楽しんでいくのだろうな。

 

 

長い文章、最後までお読みくださりありがとうございます。

 

 

あふれんばかりの感謝を込めてラブラブ

ひろこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはニコニコ 

和みのヨーガインストラクター 

ひろこです。

訪れてくださりありがとう

ございます。

 

 

私には、なぜか小さなころから

気になる人がいます。

学校や職場など身近な生活圏に、

いつもライバルのような存在が

います。

でも自分が勝手にその人を

ライバルにしちゃうだけなんです。

 

 

部活や勉強など何かで競い合って

いるとか、

職場で比べられる立場にいるとか、

そういう状況では全くない。

でもなぜか気になる人。

この人には負けられない、

弱いところを見せられない、

なんて思っちゃう人。

他の人にはそんな気持ちに

ならないのに、

自分でも不思議です。

 

 

その人が活躍している姿を見ると、

ステキだなぁなんて思うと同時に、

勝手に自分で焦ってしまう感情も

起こります。

「それに比べ自分はできてない…」なんて、

自分で勝手にその人と比較して

落ち込んだり。

 

 

でも先日、大きな気づきとなる

出来事がありました。

 

 

1週間ほど前、私はひどい偏頭痛になりました。

たまにありますが今回はとても

つらい痛さでした。

ライオンズゲートが開き

エネルギーが降り注いでいた頃だったからかな…

 

 

その日は仕事を急きょ休ませて

もらい、1日眠っていました。

次の日は軽くなった気がしたので

職場に向かいました。

その日に一緒に勤務する同僚は、

私がライバルと感じている人でした。

 

 

朝は大丈夫でしたが次第に

痛みが出てきて。

すると同僚は我慢している私を見て、

「ゆっくりしていて。今日は忙しくないから大丈夫」

と言ってくれました。

私は別の部屋で休ませて

もらいながらゆっくり仕事を

しました。



私はその同僚の優しさに、

心からありがたいと感謝しました。

でもその反面、申し訳なさ、罪悪感のようなものも感じていました。

 

 

さらに、

こんな気持ちを自分の中に見つけてしまいました。

ライバルであるこの人に

弱いところを見せるのは快くないな…という気持ち。

 

 

この気持ちは正直言って、

自分では見たくない気持ちだ、と

その瞬間に感じました。

なぜって、優しくしてくれている人にこんな思いを持つなんて

ひどい人ですよね(笑)

 

 

でも、こんなときこそこの気持ちにフタをせず、感じてあげます。

イタイ気持ちだけど、その痛さを全身で感じます。

そしていつもしているように、

自分に言葉をかけてあげました。

こんな自分を認めて、受け入れて、許して、愛します、という言葉。



頭痛がひどいのでこれ以上

何もできず、

この後はただ痛みに耐えて

過ごしていました。

 

 

数日後、私は改めて自分の気持ちを

見てみました。

「この人には負けたくない、

弱みを見せたくない」

という気持ちは、自分の劣等感から来ている。

自分はたいしたことないという

「思い込み」がある。

 

 

表現は直接的になってしまいますがあえて恐れずに書くと、

自分の方がその人より上だと自分で

思っていたい。

だから、自分を優位に置きたくて、

弱みをその人に見せられない。

このことに気づきました。

 

 

ここまで気づいたら手放しています。

自分の奥の思いを見てあげたから、

その思いは消えていきます。

だからもう、ごちゃごちゃ考えることはしません。

そして自分の才能、可能性を信じることに決めます。

決めるだけでいいんです。根拠なくていい。

決めることで自分が喜ぶだろうから。



これが自分を大切にすることだ、と

私は実感しています。

これからもライバルが出てきたとき(笑)

はこうすればいいかな、と自分でも

安心しています。

 

 

この時から、その人はライバルではなく、

素晴らしい存在になりました。

とても頼りになる存在になりました。

困ったことを相談したり

アドバイスを素直に受け取るなど、ありのままの自分を

見せることができています。

何より、もう必要のないプライドを手放したのでとっても心が軽くなりました。

 

 

長くなってしまいましたが、

あともう一つ、

付け加えさせてください。

今回はまた違った視点がありました。

生まれ持った気質からとらえる視点です。



生年月日から読み取る陰陽六行占術によると、

私は、

「いい意味でプライドが高く、

気品と誇りを持って生きることを

運命づけられている」 気質、

とのこと。

 


このことを知ったとき、

自意識が高く周りと比べがちな

ことは気質なので仕方ないんだなぁと、

素直に受け入れることができました。

降参した感じです(笑)

 

 

(陰陽六行占術は、和みのヨーガ創始者

ガンダーリ松本さんが、「和幸」さんという

鑑定師として活動されています。

ピンと来られた方はこちらをどうぞ音譜



 


 

 

 

最後までお読みくださりありがとうございますドキドキ

 

 

あふれんばかりの感謝を込めてラブラブ

ひろこ

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはニコニコ 和みのヨーガインストラクター ひろこです。

訪れてくださりありがとうございます。

 

 

ナスのおいしい季節ですね音譜

この時期になると、私は小学校1,2年生のとき

担任をしてくださったS先生を思い出します。

そして胸がキュン、と甘酸っぱくなります。

 

 

S先生は、ナスが大好物でした。

ご自分をナスに見立て、ナスに顔を描いたキャラクターの

絵を自作され、よくそれをテスト用紙などに書き私たちを

楽しませてくれていました。

 

こんな感じの絵です

 

 

 

お子さんが生まれた後は、その横に小さなお子さんナスの

キャラクターが加わりました。

そんな生徒想い、家族想いの優しいS先生が私たちは

大好きでした。

 

 

S先生との思い出はたくさんあります。

いつも個性的な授業をしてくださいました。

 

 

「はだかマン」といって、真冬に半袖体操着になり、

男の子は上半身も脱ぎ(今ならNGなのかしら?

もちろん嫌がる生徒にはさせませんでした。

でも嫌がる子は1人もいなかったなぁ)、

廊下を走り抜けるのです。

 

 

先生が廊下を走ることを勧めるなんて、と

今思うとびっくりですが、

授業中なので他の生徒はいないし、走るのも

一方通行だし、廊下も普段使わない教室の前なので

危険はほぼない。

先生はちゃんと対策されていたんでしょうね。

 

 

私たちは楽しくて楽しくて、「きゃー」と叫びながら

走っていました。

その後、身体を布でこする乾布摩擦をしたりして。

 

 

「うそのはなし」という授業もありました。

これは、おそらく国語の授業の一つ。

うその話を自由に書くのです。

みんなこの授業も大好きで、集中して書いていました。

想像力を思う存分発揮できる時間だったと思います。

 

 

ちょっと恥ずかしいけれど、私の大作をここで紹介♪

「わたしはスリッパにのって空をとんだ」

私史上、これ以上のうそはない!

と当時の私が誇りに思っていた作品でした(笑)

 

 

先生オリジナルの数え歌もありました。

 

  いちご

  にぼし

  さんま

  しいたけ

  ごりら

  ろば

  しちめんちょう

  はっぱ

  きゅうり

  まんじゅう

 

この、数え歌を唱え終わるまでに

席につかなかったら、ちょっとした「おしおき?」みたいな

ものがありました。

こつんと頭をこづかれる程度のかわいらしいもの。

なので私たちは、これまた「きゃー」と楽しみながら

慌てて席につくんです。

その様子を想像するとクスッと笑ってしまいます。

 

 

男の子は結構、おしおきを受けていましたが、

私はとてもまじめでそれを自分で売りにしていたので(笑)

絶対におしおき受けないようがんばるぞーなんて

自分の中でゲームのようにとらえていました。

でも一度だけ間に合わず、おしおきを受けたときは

悔しくてたまらなかったなぁ。

ゲームに負けた気持ちでした。

 

 

そんなまじめな私が、一度自分でも不思議に思う行動をしました。

それは私の中で、とても印象的な先生との思い出になっています。

 

 

それは算数の授業。

3+2 とか、 4-1 などの問題が黒板に書かれ、

それを解けた生徒が手を挙げて黒板に書くという時間でした。

でも答えを数字で書くのではなく、黒板の隅に貼られた小さなタイルを

その数だけ取って貼り付けるという答え方でした。

 

 

私はふと、いたずらをしたくなりました。

先生がどんな反応をするか試したくなったんです。

 

 

問題は 「6-1」。

答えは5ですよね。

でも、黒板に貼られた残りのタイルは3つしかない。

普通なら、タイルはない、ということで手を挙げない。

 

 

でもなぜか私はそのとき、手を挙げました。

しかも堂々と。

他の生徒たちは、「えー!そんなのできないよー!」

「間違ってるよー!」とワイワイはやし立てます。

私は心の中で、「うん、知ってるよー」と思い平気な顔。

 

 

先生は、一瞬戸惑われました。

戸惑われている様子が1年生の私にもわかりました。

優しい先生はきっと、

まじめで算数が得意な私(注:当時のことです)が間違うなんて…

とか、

私が間違いだと気づいたとき、私に悲しい思いをさせてしまうかも…

とか、

そんなふうに思われたかもしれません。

 

 

手を挙げて指された私のとった行動。

まず3つの白いタイルを貼り、その後、白いチョークを探し、

そのチョークで2つタイルの絵を描きました。

 

 

一瞬、教室中が静まり返ります。

直後、どーっと一斉に沸きました。

大笑いする生徒、そんなのズルだよーという生徒、

納得する生徒…

私はこの反応を予想していたので、うれしくてたまりませんでした。

 

 

タイルは3つ、そしてチョークで描いたタイルは2つ。

ということで、5になります。

みごと正解(笑)

 

 

一番気になる先生の反応はというと…

キツネにつままれた顔をされていました。

今でもはっきり思い出します。

当時の私はそれを見て、もっと楽しんでくれるかと

思ったのでちょっとがっかりな気分でした。

でも、大好きな先生をギャフン(昭和の表現(笑))と

言わせたかったので、その意味では大満足!

 

 

でも、先生はどんな思いだったのかなぁ…

今ではそれを聞けないけど。

 

 

こんな胸キュンな思い出です。

思い出に付き合ってくださりありがとうございました音譜

 

 

あふれんばかりの感謝を込めてラブラブ

ひろこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはニコニコ 和みのヨーガインストラクター ひろこです。

訪れてくださりありがとうございます。

 

 

家族とのコミュニケーションって難しい。

関係が近いがゆえに、

わかってもらいたいと押しつけてしまう。

私は特に夫に対して、そんな想いが強くありました。

 

 

先日、こんな出来事がありました。

掃除と片づけをしていたときです。

棚の上に小さな黒いゴム製のものがあるのを見つけました。

大きさは2ミリ×5ミリくらいの、ごくごく小さいもの。

私は何かちぎれた部分だろう、とぽいっと捨てました。

捨てた次の日。

夫の、「あれ?ない。おかしいな。ここに置いたのに」と

ものを探してる声が聞こえました。

私はあ!あの黒いゴムだ!とすぐに気づき、

ドキドキしながら伝えました。

「ごめんなさい…。ゴミと思って捨てちゃった…。」

 

 

彼は怒ります。

「あれは仕事で使う部品の一部なんだ。

必要なものだからとっておいたのに。勝手なことしないでくれ」

 

 

私の心の中は、

「いつも散らかってるから不快で、ただ片づけただけなのに。

怒るなんてひどい!なら片付けてほしい!

あぁ、でも私、なんで捨てちゃったんだろう。

あのとき一瞬、捨てていいのかなと思ったのに。

仕事の部品だったんだ。勝手に捨てたら怒るのも仕方ないよね。

でもでも言い方ひどい!」

と怒りや後悔でぐるぐる。

 

 

でもすぐに、こう思いました。

「あ、これも多分、私の気づきと成長に変えられる。

この出来事を、見方を変えて意識を変えてとらえてみよう。

きっと何か見えるものがあるはず」

こんな確信が芽生えました。

不思議と落ち着いてきました。

多分見つかる、という根拠のない不思議な安心。

ううん、見つからなくても何とかなるよという

出来事への大きな信頼。

 

 

その日はゴミの日。

すでにマンションの集積所に置いていたので、

あわててゴミ袋を家に持ち帰り、広げてじっくり探し始めました。

 

 

探しているとき、彼はまだ怒っているようでしたが、

部品が見つからなかったときの対応をしているようでした。

ちゃんと対応し始める行動力は素晴らしいな、と

私も彼を落ち着いた目で見られるようになっていました。

 

 

そのとき、彼がこう言いました。

「だいたい、いつも余計なことをする。

肝心なことはしないで、外に出かけてばかりいる」

 

 

あれ?怒っているところはそこ?

私が捨ててしまった行為にではなくて、

外に出かけるところが気になってる?

そのとき私は、彼の奥の気持ちが見えました。

見えたというより、私から見るとこう感じているように

思えました。

「オレは放っておかれている。関心もってもらっていない。

自分を見てほしい。」

 

 

これはノロケでもなんでもなくて(笑)、

彼の言葉からそういうさみしさを感じたのです。

そして私は素直に心の中で反省しました。

そうだったんだ、ごめんね。

確かに、私は今、やりたいことがあふれるくらいあって、

外ばかり向いていた。自分のことばかり見ていた。

でもそれがいけないことではなくて、向き過ぎだったと

いうこと。一方にかたよっていた。バランスを崩していた。

外ばかり見ていた自分を責めなくてもいい。

バランスを崩していたことに気づいたから、

今度は戻ることをすればいい。

教えてくれてありがとう。

うん、そうだね。私が一番大切にしたいのは

家族だったね。

 

 

そして、ここで終わらせず、自分の心にもう一歩

踏み込んでみました。

そうすることで、奥に閉じ込められていた

感情にスポットが当たり、それが解放され、深い気づきが

得られるからです。

 

 

彼の言葉から「自分を見てほしい」と感じたということは、

和みセラピーの「認知真理学」的にとらえると、

私にも同じ気持ちがあるということ。

たとえば、もし彼の言葉から

「家事をきちんとすべきだ」という怒りを感じたとしたら、

自分が「家事をきちんとすべきだと思っていて、

できていないという自分への怒りや罪悪感を感じている」

ということ。

今回の私はそうではなく、彼からさみしさを感じました。

ということは、私にもさみしさがあるということです。

 

 

その視点で見たら、ありました!

私にも「彼は私に関心をもっていない。さみしい。

もっと見てほしい」という気持ちが。

 

 

やっぱり、ここにたどり着くんだ。

深い想いがよみがえってきました。

結婚当初は何度も自分のことを話してみて、

でも関心もってもらえない様子がさみしくて。

さみしさを感じるのが嫌で、いつしか自分を納得させる

術を見つけた。

自分がしっかりある人で、好みや興味もはっきりしている人。

私のことに全然興味がないわけではなく、

私がしていることがたまたま興味のない分野だっただけ。

こう思うようにして、伝えることを随分前にあきらめた。

 

 

その、フタをしていた想いがあふれてきました。

その想いを抱きしめました。

そう思う自分を認め、受け入れ、許し、愛しますと

何度か心で唱えてみました。「まなゆい」という方法です。

自分の身体をじっと感じたり、身体の中をキラキラした

光で満たしたりもしました。

 

 

自分がいとおしくなってきました。

身体が温かくなってきました。

こうなれば、もう大丈夫です。

 

 

ゴミ探しの合間にゴミの山の前でこの一連のワークをしました(笑)

くまなく探したけど見つからず、私も仕事に行く時間となったので、

ひとまず片付けて出かけました。

気持ちは落ち着いていました。

 

 

仕事が終わり家に帰り、もう一度ゴミ袋をひっくり返そうと思った瞬間、

ある映像が頭をよぎりました。

私がその黒いゴムを捨てた映像です。

あ!私はゴミ箱の中に捨てたのではなく、

ゴミ箱に行くのが面倒だから、近くにあったこの袋に

入れて後でまとめて捨てようと思ったんだ!

その袋を見ると、ありました!!

このときほど、モノグサな自分でよかったと思うことは

ありませんでした(笑)

 

 

やれやれ、一件落着。

私の心も、一件落着。

私の奥の感情を、私が気づいてあげられた。

自分を見て、という私を見てあげた。

これだけで、素晴らしい癒しが訪れた。

 

 

その日から、また自分の見える世界が変わりました。

彼が、自分のことをたくさん話すようになったのです。

自分に関心をもってほしいという気持ちを素直し表している。

もちろん、私はそれに素直に応え、相手をよく知ろうと

いう気持ちで話しを聞きます。

 

 

そして私自身も、気持ちを素直に伝えられるようになりました。

わかってほしい、という押しつけの気持ちが奥にあるのではなく、

自分が伝えたいから伝える、という気持ちです。

わかってもらえたらうれしいけど、そこにこだわらず、

言いっぱなし。受け取るか受け取らないかは相手の自由。

そんなフラットな気持ちで話しています。

確実に、コミュニケーションの仕方が変わりました。

 

 

起こった出来事から、また一つ気づきと手放しがありました。

 

 

長い文章、お読みくださりありがとうございます。

 

 

あふれんばかりの感謝を込めてラブラブ

ひろこ