パパトールドミーの11巻。

エピソード46。




指輪を自分へのご褒美に買う人。

指輪は買ってもらうものだという人。

買わせる人。





どのタイプの人とも
気持ちよく会話できそうだし、
割合は違えどどの分人も自分の中にあるけど

自分へのご褒美に指輪を買う北原さんは
とても素敵だなー、と子供の頃から思ってました。



編集の仕事をしている「けど」家庭的なのよ、
と他己紹介されたり

「今」に対して従順でも反抗もしないで
その価値観のお城に入らず外で一人で散歩をしていたり

編集者にあこがれて
努力して
夢を叶えて
自分で働いたお金で生計を立てて

居心地の良い部屋で
ちょこっとした贅沢をして

その生活を、自分で
うっとりするほど幸福なことだと感じている姿が素敵。


「どうして
一人じゃいけないんでしょ
プレッシャーなんでしょ

考えてみたこと
ありません?」

「私もよく言われるんです」

「素直にそうかなと思うときもありますけど

それよりも もっと不思議な感じが
してしまうんです

そういう言葉はどこから来るのかしらって」



そしていちごジャムを煮る




北原さんいいなぁ
ゆりこちゃんもいいけど
二人ともかっこいい。





独身と
そうでない生活と

並列に幸せになるひとつの選択肢だなぁ、

という姿勢はお気に入りの考え方です。




知世ちゃんが、
シングルファザーの父にお見合いを強引にすすめてくる叔母さんについて



「だけどぜんぜんわかってくれないんだから
簡単なこと

さみしいことだって
すてきなんだってこと 私には」



といっていて、

北原さんが

「みんな違う 自分の
すてきなこと を持っているのにね」

と返す。



「せっかくのすてきなことを
すてきじゃないことにしちゃう人って
許せないの

問題は想像力にあるのよね」


という知世ちゃんの言葉を胸に刻んで暮らしたい。





昨日読み始めた本は、
そんなつもりじゃなかったんですが
まさにこれでした。

さみしいことだって素敵なこと。

だと気づかせてくれる本。

たまたまパパトールドミーの11巻をその後の読んだので
おーーー、タイムリー、となりました。
こういう奇跡が楽しい。

 

 

慶應義塾大学の幸せについて研究している専門家が

あまりに簡単なわかりやすい言葉を使ってくれていて

実践的に解説してくれていました。


これは、さみしいと言われる孤独を

幸せな孤独にかえられますよという感じです。


コロナ後に書かれている本。




わかるなぁ、

さみしいことだって素敵なこと。


そう思えている時の心理状態の自分がお気に入り。


その時間を維持したいものだ。



 


11巻、ぜひ。

他のエピソードもとても好きです。



 

ナルニア国物語を読んだことがある人は

他のエピソードですが

ふふってなるかも。


開ける価値のない衣装タンスの扉は無い、わね!



パパトールドミーを読むと
心に良い隙間ができて
そこに幸福が流れ込んでくる感じがします。

おばあちゃんになっても読むだろうなぁ。