あのセットリストの意味がわからんなら、ただただ訳も分からんと盛り上がるかるーいアゲ曲と感動の安売りをしてるバラードだけ聞いとけボケ。


音楽やってんねんぞ?ミュージカルやってんちゃうぞ?一曲聞いて良い曲やったらそれで良いやろう。おまえらプロでもこの人のこの曲だけ好き、とかあるやろ?それと一緒。そのミュージシャンがどんなポリシーを持ってようと、客が感動する音楽を作れたらそれで良い。それが音楽の世界。

ステージ構成、MCは二次的要素。音楽をやってください。前提を忘れないでください。音楽の力をナメないでください。声の魅力を聞いてくださいと普段お前ら良く言えんな。アカペラちゃんとできもせずに他に逃げてるだけやんけクソが。ちゃんと音楽と向かい合って一つの和音にこだわってるアカペラを聞いたことあんのか?なんとなくすごいなーで終わってんちゃうか?それは聞く耳がなさすぎる。音楽を聞けって。もっと深いから。ベーパのニュアンスを語れるくらいに音楽論理自分で作れって。視野が狭すぎる。そんなつまらん音楽は、内輪以外ではなにも意味をなさない。
自宅から大学までの通学路は、高校の時3年間付き合ってた彼女の高校への通学路とほぼ被る。




つまり平日の朝早く出掛ける時などは、未だに3年間触れ合った彼女の制服をたくさん見かけることになる。




大学に2回生や3回生の頃は、制服を見かけるたびになんとなく切ない思いをしたが、なぜか痛みを伴わなかった。




僕の青春を捧げた恋は、3年間も付き合った末に、ほぼ自然消滅のような結末を迎えた。お互いが忙しかったのと、大学入学による環境の変化が大きかったように思う。







別れる直前には、連絡を取るのが煩わしくなった。忙しいことを理由に予定が合わない彼女に、責任を押し付けた様な形になった。自分名義で購入した2台のwillcomは、わずか3ヶ月ほどで存在意義を失った。







自分の環境が目まぐるしく変わっていったあの時期に、会えないというハンディは余りに大きかったのだろう。
あの恋は、時間がいくら経っても消化不良の様な感覚が残っていた。
思い出しても思い出しても、自分では掴めない不思議な感覚しか得なかった。






今朝、例の制服を見かけると、胸にズキッとした痛みを覚えた。理由を考えてみた。高校はまさに純愛だった。しかし高校生にできる恋人の喜ばせ方あるいは思いやりはたかがしれている。私の場合は精神的な幼さも関係していた気もする。
それを悔やみ、当時の彼女に対する申し訳ない気持ちが芽生えたのだろう。そんな痛みだった。別れて3年も経った今。何故だろうと考えた。



私は今高校の時のような純恋愛ができている。現在の彼女は真っ直ぐな想いを持ったやさしいこ。純粋にお互いを思いやることができる関係である。
いつまでもこの想いが持てるように、あの制服を見るたびに自分に誓う。
僕は恋愛においてそれなりに純粋なつもりだ。
自分の長所も真っ直ぐさや懸命さを挙げることができる。
高校に入るまで好きな人と手を繋ぐのにも緊張したし、ましてやキスなど勇気1000%くらいないとできなかったほどである。









しかし大学に入ってそれなりに様々な恋愛を経験した。
純粋さをウリにした僕だったが、目の前に広がる欲望の世界に対する好奇心に勝てる強さはまだ持ち合わせてなかった。








裏切り、裏切られた。









因果応報とはよくいったもの。身をもって学んだ。
身を引き裂かれるより苦しい痛みを。
麻薬よりも危険な思考異常を。












これを経験することになった相手は私にとって一種のトラウマになっている。
なにより辛かったのは別れてからも会う機会や何をしているかを知る機会があったということ。
元々同じコミュニティーにいてそこで知り合ったのだから仕方がない。




その子の声を聞くだけで脳が異常な反応を示す。
姿を見れば全身が凍る。
恐怖心や憎悪感やある意味で嫉妬に似たような感情や。
言葉に表すことのできない感情に体が支配された。










とてもじゃないが、まともな反応はできなかった。











今の時代インターネットでみんなが繋がることができる。自分が望まないところまで繋がってしまう。













心が痛むだけだ、マイナスしか生まない行動だと認識しているのに、なぜ情報を得ようとするのか。
自分が理解できなくなる。
ほら、やっぱり自分が傷付いただけだった。
なんてのを何回繰り返せばいいのだろう。










感情に勝てる大人になりたい。本当に強く願う。









できることならばなにもなかったかのように喋りたい。あっけらかんとしていたい。
それが客観的には理想に見える。
しかしなにもなかったかのようにするのが本当に良いことなのかはわからない。








私はあの時気持ちを真剣に持っていたし、向き合おうと努力した。それを、見事に、裏切られた。








この経験は今の私にとってある種大切な人生経験である。
それは間違いない。
ただこの気持ちをどう処理するのが自分にとって良いのかわからない。






いつかわかるのか。見えるのか。知るべきなのか知らないべきなのか。