幼少期、春季・夏季休暇を別荘に滞在した。
初夏の若葉に囲まれた森の一角で、
限りなく自然に親しむことが、
先祖からの慣習だったのだろう。
政治の世界にいた祖父が、ここに人を招いて
何を話し合っていたのか、今では知る術もない。

 

自宅から何十キロ・何百キロ離れた別荘。
ひと頃は3か所もあったが、
それらの維持に多大な負担を伴ったため、
両親の判断で15年ほど前に処分した。
初春には、雪に朽ちた箇所の修繕に、
晩秋には、屋根に降り積もる落葉の掃除に、
ため息とともに向かったことを思い出す。

 



母は、物心がついた頃から、
2人の「お付き」に身の回りの世話をしてもらっていたという。
母の父は、政治の世界にいた。
朝から晩まで来訪者の対応や長期の留守で、顔を合わせることが珍しかった。
一方の祖母は、来訪者へのお茶や菓子、食事の準備などに奔走する毎日だった。

幼少時から、常に家族以外の誰かが自宅にいる。
朝も、昼も、夕方も、さらには食事中にも、
見知らぬ誰かがいるという、特殊な環境で育った母にとって、
ことばでは言い表せないほど寂しい生活であったと振り返る。
『政治の仕事だけはしないでね。』
子どものころから事あるごとに諭された。

やがて、六法全書を携える父と結婚し家を継いで、学校の創設と運営に傾注した。
家庭の幸福が一番と説いていたが、祖父母と同じように、結局、多忙極まる母だった。

人生で本当の幸せとは何だろう。
たとえどんなに高い地位についていても、どれだけ大金を持っていても、
それが必ずしも幸せとは限らない。
愛情に包まれ、毎日笑顔で過ごし、家族が信頼し合って暮らすことこそが、一番の幸せなのだと、つくづく感じている。

 

 

 

秋から冬へと移り変わる11月下旬。
春のような陽気に誘われて、
久しぶりに自家の南庭を散策する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームベーカリーで作ったパン・・・
コーヒーは、ペーパードリップで淹れた。
バターを1つのせ、静けさと共に味わう。

庭のコスモスを一輪挿しに飾り、
深まりゆく秋を、この花の香りと共に感じる。
澄み切った空気が、この上なく愛おしい。
久しぶりに寛ぐ休日だ。

この時期は、美術館巡りをした。
絵の前に立ち止まり、思考せず感覚で眺める。
額に切り取られたその空間を、体いっぱいに注ぎこむ。
ことばは要らない・・・味わうだけで好い。

一時期、ジャズとシャンソンに凝ったことがある。
ジャズシンガーに、リズムを教わり、
シャンソニストに、物語を教わった。
恋人もいないのに、恋心に染まる身体を演出するように、
深い呼吸と繊細な息遣いで、1つの歌を何回も繰り返して覚えた。
シンケンサーで曲を作り、自作の詩を乗せて歌も作った。

この街は、秋が似合う。
落ち葉が、街の歩道に舞い散り、
乾いた葉のひとつひとつが言葉を発する。
コートを纏い、冷たい風の中を歩く、
黄昏のケヤキ道。

 

今日が立冬だと知らされ、思わず空を仰いだ。
自身の記憶域には、40℃を記録した夏の勢いが

つい先日まで続いていたせいで、心の片隅で

『秋本番はこれから』と密かに留めていた。

学生の頃には、秋を感じると、クラシック、

ジャズ、ボサノバ、シャンソンの音色を求めて

コンサートやライブに出かけた。
学生として送った、東京もミュンヘンも

マサチューセッツも、全身で音楽の世界を愉しみ、

ほんのりと酔いしれる中で、近くにいる見知らぬ人

たちと仲良くなっていた。
国籍も言語も、身分も性別も関係なく過ごした

あの頃が、「秋」の響きに呼応してアルバムのように思い出される。

秋を象徴する歌は何かと問われたとき、

今はこれを一番に挙げたい。
自身の心を撫でてくれているようだ。

ついでに、俳句を作ってみた。
詩に例えれば、抒情にカテゴライズするのだろう。
「褪せゆくは我が想いかや秋深し」