2025年7月くまろく←の部屋~Season17th | What aわんだふるワールド

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がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

午後・・・12時30分を回りました・・・。


Dear.みなさん・・・お昼休みですが、いかがお過ごし

 

でしょうか?

 

こんにちは!くまろく←です。

 

毎月18日は、月誕生日日として。黒い幕の自由枠として、

 

ブログ開始当初から書かせてもらっている日でございます。

 

気になる事や、気になる音楽やら映像を紹介しているのですが。

 

今月は・・・マンセル、グラハムのご両人は最初の映像のみ

 

ではちょっとだけありませんが。

 

2025年もまだまだ続きますよ。引き続き今年も書き続け

 

ますよ。懲りずにお付き合いくださいます皆様へは、

 

感謝申し上げますがずっとこのスタンスでやっていきます。

 

今日のところは、正直見ないでも良いですよ〜という感じの

 

記事になるのかとも思いますので・・・。

 

ここより先をご覧になる方は自己責任でよろしくお願いいた

 

します。ここ以後の記事の内容に関するもの全て了承した

 

ものと判断させて頂きます。

 

それ以外の皆様におかれましては、また明日。

 

お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ以後の映像を観た時点で承認したものと致します。

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(特に、彼等が出たからといっても・・・)

 

2025年7月のテーマは、

それは、会話とは言いませんです。

 

これは、トーキングライブの時のネタの中でも話した一部で

もあり。更にその時からより話を先に進めたような?感じの

記事としてここに残すが。

 

人間ってのがこの世に生まれ落ち存在し始めた時。

壁の引っ掻き傷から始まり、壁に自分の意思や意図を伝える

為に。壁画に書いて伝え、その様子が象形文字にもなり。

それが文字になり、その文字の羅列が単語になり。その単語が

どんどん連なり文章ともなり。

その文章をお互いに、共通認識、共通了解粋で認識しあう事

で。それがどう言う意図を相手に正確に認識させる事が可能

になった訳で。

 

ようやく人類が、自分達でどうにかコミュニケーションを取る

方法を思いついて。自分の意思や意図、意味を理解する事が

可能になった事で。

 

良い意味でも悪い意味でも、人間同士が”会話”と言う装置を

手に入れる事ができるようになった・・・。

 

そしてその会話というのは、地域性や文化。多様性を生み出す

事で、同じ人類というのが区分化、コミュニティ化され。

それが結束した集団を、”国家”として形を作り。

そしてその領域を広げたり狭めたり、国力が上がったり、

完全に絶滅させられたりと・・・。

言語が、地上に生まれた時。繁栄や衰退、拡大や絶滅というの

も繰り返しながら太古から現在に繋がってきている。

 

このブログやX、TikTokやYouTubeに、Instagramや

Facebookなど。それら様々なアプリも生まれや台頭し。

また衰退もしたり繁栄もしたりと、膨張や収縮もしたりしな

がら人類は使い続けている。

 

だがこれらも、基本的には何が重要か!?って・・・。

 

やっぱり、言葉なんですよね。文字だったりと・・・。

 

昭和の名曲、爆風スランプの歌。「大きな玉ねぎの下で」

という歌の歌詞にもあるように・・・。

 

ペンフレンドとの恋は、お互いのやり取りでもある手紙。

その手紙でも最も重要なもの・・・。

 

それは自分が書き記す、言葉だけが頼みの綱だ。

 

と、この歌の中では歌い上げられている。

そう、結局は回り回って、全ては言葉なんです。

 

もちろん、言葉だって日本語や英語ばかりではありません。

 

世界中に、地球上には調べてみたら幅がありすぎて困る

位で。3千〜6千なんていう回答があるくらい。

1国で何十もの言語が存在したりと、公用語だけではなくて

一部地域だけで使われている言語や、絶滅寸前の言語もあれ

ば。C国のように弾圧でもって撲滅を目指そうとしている言語

まであるのですから。

言語の数で言えば、国家の数を超えると思っても間違いでは

なさそうだ・・・。

 

それだけ地域毎、民族、文化、宗教云々まで踏まえたら。

多様性とかいう単語一つでどうにかなりそうではないもの

かもしれない・・・。

 

だが、みなさんが今私が書いている、長ったらしいだけの

この文章も読めて、理解ができて、音読熟読できるのは他

でもない。

あなたが日本人だから・・・。ではないんですね。

 

ある哲学者が言うように。

我々一人一人の人間は、国家に属してる訳ではなくて。

”国語”に属しているのだと・・・。

 

同じ共通認識、共通了解粋の中で生きている存在。

であるからこそ、ここまでこの文章が読めている訳だ。

 

アメリカ人でも、ドイツ人でも、フランス人でも、日本語が

スラスラと読めるのであれば。国籍は関係なくなり、国家を

超越した存在になる事で。

SNS上で自分の言葉で自分の意思を発信する事は、指先一つ

で国家や、マスメディアすらをも超越した情報発信源にも

なれば。喜びも悲しみも世界中へ飛ばす事ができるように

なってしまったのだ・・・。

 

地球の長い歴史を軸足に据えて考えた時。

 

何億年もの間、平穏無事に過ごした地球も。人類というバクテ

リアみたいなのが生まれて2000年やそこらで世界中に

増殖し。ちょっと前に火というものを手にしたかと思ったら、

ほんの僅かの時間で。

地球の表と裏側で、スマホという機械を開発し。フェイスTO

フェイスで会話をしてしまうという人類という名のバクテリア

に侵食され。地球が温暖化して気候変動までに害を成す存在

にまでなってしまったのだから。

さぞや地球も驚く事だろう。

 

つまりは、このブログを読めている人。とは、どこの誰とも

知らないにせよ。私とあなたは、同じ日本語という国語の

世界に一緒に暮らしている仲間であるという事なのです。

 

さ、前半にも書いたように。

お互いの気持ちを繋ぐのは、言葉という最後の頼みの綱。

その言葉というものをどんどん軽んじるようになり、最終的

にはどうなるのか?どうしようとしたいのか?

その辺の意図が全くわからない事で・・・。

 

今私とAさんとの間で会話しております。

 

私:Aさんとはまたどこかでお会いできますかね?

 

Aさん:今日はBさんのイベントに行っているので、あなたとは

今日は会えません。

 

みたいなやりとりの会話を目にしたとしましょうか?

 

話の本筋は、私とAさんとのやりとりさえあれば良いだけの

筈なのですが。なぜそこによく知らないBさんとかが出てくる

のだろうか?って不思議に思いませんか?

 

今、Bさんって出る必要ってあるのかしら?と・・・。

 

まあね、63歳にもなってですね。

一般的な?というのも、何が一般的かは避けていても。

自分の娘とか、親子位の歳の差がある男女の、人と人との会話

において。

今、自分達とは一切関係のない人の話をする必要がどこにある

のでしょうか?と・・・。

 

そして、そんなどうでも良いような話を会話だと思っている

この人・・・。絶対にモテないと思いますよ。

 

今、マンツーマンの会話している最中に、全く関係のない人

の話題を持ってくるとか。

この人は一体何を見て、何を経験して、何を人生の糧にして

今日まで生きてきたのか?と思うと。哀れという言葉しか

しっくりと当てはまるパズルのピースしか思い浮かびません。

 

同様に、自分の生まれ育ちや。今生きている環境や周辺の事情

にもよりけり。

嫉妬と誤解と不勉強と身勝手さが何重にも折り重なり。

会話というのが全く通じない人もいて、2025年の大半を

こんな人の為に掻き回されて困っておりますよ。

 

よく考えもせず、脊髄反射だけでモノを考え。沈思黙考という

ものすらないから。何か一つ、黙って深く考えるという癖が

全然ないものだから。全部の話がズレて会話になっていない。

 

そんな会話になっていないような人を、公の場で採用して使おう

だなんていう事が。果たして本当にまかり通るのか?っていう

事なんですよ。

全てにおいても、ホワイト社会を目指そう!みたいな世間の

風潮があるという最中。

突如、何の配慮もない、遠慮もない、深い思考や理念もあるで

も無い人が。

 

”普通なら言わない事を、あたかも当然のように言い放つ”

 

というのは、一見したら時代の寵児を彷彿とするものがある

だろうし。今のところ、〇〇ちゃん〇〇ちゃんと親しまれて

いるから許されるギリギリセーフのところなのだが。

このギリギリセーフから、アウトになった瞬間での反動が

今まで感じ取れない位に大きな反発となって自分へ帰って

来るんだという事を全く理解していないようで。

 

何かに飛び抜けて、秀でた才能がある訳でも無い。

ポッと出の人が、あらゆる事に秀出ている訳では無いですから。

言語に対して何の勉強も見識を深めてもいない、そんな人が

足を踏み外すのはあっさりと突然にやってきますからね。

 

自分の発した言葉で、自分の立場や、今の信用というものが

あっさりと砂上の楼閣のように。ボロボロと崩れ落ちる日も

そう遠くはないと思われます。

 

最近聞いたある歌の歌詞にあった・・・。

あなたと私で同じ夢を叶える事ができたなら、こんなに

素敵な事はないよね!と。

どんなに辛い状況でも諦めない、信じる心だけを携えて。

掴めそうで掴めない雲を掴もうよ!と・・・。

折角、同じ時代に一緒に生きて同じ時間を分かち合える

のに、同じ景色をそばで一緒に見られたら最高じゃない

ですか!と。

 

まあ、この言葉の意味が通じる人とだけこの先も一緒に

生きていこうと。我々は思う所存です。

 

という訳で、以上!