【今年も再掲載】あれから12年・・・。 | What aわんだふるワールド

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がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

午後・・・12時30分を回りました・・・。


Dear.みなさん・・・お昼休みですが、いかがお過ごし

 

でしょうか?こんにちは!くまろく←です!

 

東日本大震災から12年目を迎える事になりました。

 

震災による死者、行方不明者18、449人という。

 

約4万戸の家屋が全壊、半壊をし。避難者はピーク時で40

 

万人を超えており。

 

原発事故も発生し、現在もなお故郷へ帰る事が困難になってい

 

る被災者もおり。まだまだ原発事故の処理には時間もお金も

 

人手もかかるのでしょう。

 

徐々に解除になったエリアもあるとは言いますが、まだまだ

 

完全な復興というのは遠い歩みではあります。

 

しかしながら、徐々に記憶は遠くになりにけり・・・。

 

そんな心境が沸き始めている人もいるやもしれませんし、

 

現在のウクライナ情勢も鑑みると。生きているというだけ

 

でどれだけの奇跡と幸福の中にいるのか?と思うと、

 

今感じるこの体温も愛おしく思わない事はありません。

 

 

まずは、お亡くなりなられた方々へ哀悼の意を表します。

 

黙祷。

 

 

 

この12年間の毎年書いております。

今年もあの時の記憶を忘れない為、何度でも何回でも

あの日の事をお伝えしていきます。

 

 

我々は2011年4月当時、震災後1ヶ月後に郡山へ入り

ました。

その時の模様を再び、ここでご紹介させていただきます。

どーぞご覧ください。

 

 

 

さて、がむばるベアーズとしてですが。

この震災は決して他人事ではありませんでした。

 

幸いにも大きな怪我や、身内や親戚縁者には被害を受けた

という人はおりませんでしたが。

この震災の翌月ですが、家屋診断の為に福島県へ車で入り

まして。倒壊寸前のお宅からの避難の手伝いとか、家屋の

状況調査の為に向かいました。

 

そして、その日その時の状況を伝えようと。Ustreamで配信

を始めたのは4月25日でした。現地入りして戻って2週間

後のスタートで、計画停電等エンターテイメント控えろよと

妙な自粛ムードをぶっ壊す意味合いもあって始めたもので

したから・・・あの惨状を伝えるべきと思って始めて今日に

至っております。

 

あの日の事を忘れない為に、時間と場所を飛び越えて。

あの日あの時のあの場所へみなさんをお連れしたいと思います。

それでは中継先の郡山駅前には、マンセルくん、グラハムくん

 

がおります・・・伝えてください。

 

(はい、どーも!)

 

マンセル:みなさん、こんにちは!

12年前のマンセルです。

 

グラハム:どーも、グラハムです。

お昼休みですが、いかがお過ごしですか?

 

マンセル:こちらは現在、2011年4月10日。

場所は福島県郡山市の郡山駅前のロータリーにおります。

普段ですと、ここは東北新幹線、東北本線他、会津方面や、

茨城県へ向かう水郡線、日本海側へ向かう路線と・・・。

福島中通りと呼ばれる地域の中心地にいるのですが、殆ど

人の往来がありません。

なぜなら、全ての交通網は止まっております。

地元の路線バスも動いてません、福島空港も閉鎖されており

まして離発着もありません。

 

グラハム:実はぼく達はここまで、車でやってきてます。

東北自動車道がどうにか開通しておりますが、ここまで来る

間・・・。ガードレールが崩落して無い場所。

あるいは何百mと道路に亀裂の入っている箇所や、道路の

法面が崩落して狭くなっている場所等をすり抜けてやって

きました。

衝撃的だったのは、高速道路と平行に走る東北新幹線の架線

が垂れ下がったり。あるいは電柱が”ハの字型”のように、内へ

向かって折れ曲がっている箇所を何箇所も見てきました。

 

マンセル:ですので、今現在。郡山駅には電車1本バス1台

とやって来る事はありません。

そればかりか、現在も余震が起きておりまして・・・。

先ほど震度4を観測した地震が発生したところです。

 

グラハム:更に、ここから東へ直線で約40kmほどのところ

には福島第一原発がありまして。

現在燃料が溶け落ちているのかどうか?原子炉の中がどうな

っているのか?その辺の状況が全く分からない事態の中に

我々はやってきたところです。

 

 

 

マンセル:郡山駅前といえばこちら、ビックアイが象徴的

に立っております。

上部の丸い部分のところ見えますか!?

そこはですね、プラネタリウムなんですよ。

 

 

ギネスにも登録されているように、世界で一番地上から高い

ところにあるプラネタリウムとして掲載されている場所なの

ですけれども。

 

 

2010年11月掲載、震災前の郡山駅で、北側の景色。

ビックアイの展望台からの眺めです。

 

 

同じく2010年11月掲載。

郡山駅南、東京方面の景色。

 

 

こちらの映像は、同じく2010年10月掲載より。

普段の郡山駅の活気。

上の人っ気のない写真と見比べてもらえれば、一目かと思い

ます。

福島県を東西南北への要所ですから。しかもバスターミナル

もあり、路線バスだけではなく。長距離の高速バス

等も多く停まるので、常に人の流れはあるのですが。

この日は、通行人を見つけるのも一苦労するくらいで。

街から火が消えたような光景が広がっております。

 

 

グラハム:この付近でも最大震度6強とか6弱の地域でして。

高層ビル群のある駅前ですが、大きな建物の崩壊や火災とか

も特になく。

駅前の様子としては、震災以前のままですが。

ただ交通が全て止まっている為、駅を利用する人影が全く

いないという。まるでゴーストタウンのようです。

 

マンセル:それでは、全部をお見せする訳にはいかないので。

被災した建物の一部をご覧下さい。

 

 

郡山駅から北へ数百m程の場所。

 

黒い幕:この築40年の木造モルタルアパートなのですが。

この家の南側を撮影したものですが。

右のマンションも実は柱が雑巾絞りのようにねじれてしまい、

早速改修工事が行われていた訳ですが。

築年数に関係なく、外壁のタイルは剥がれ落ち下の車を一部

壊したり。

築2年目の大型スーパーも屋上駐車場が崩落し、営業が中止に

追い込まれたりと・・・。

震度の強弱や築年数には全く関係ない、むしろ古い建物の方

がしっかりとしていたのも事実ですが。

ここにとてつもない力、地震の威力をまざまざと見せつけら

れる被害が見て取れる訳です。

 

この写真をよーく見て欲しいのは・・・。

特に縦方向、垂直方向。

実はカメラのアングルの悪さもありますけれども、この絵の

垂直は実はマンションと万年塀でして。

このアパートは南へ数cm、建物全体が傾いているんです。

地面からまっすぐ上へ目線を送ると、アパートの建物がマン

ション側へ傾いているのがわかるはずです。

そして外にある緑色の塩ビ管の雨樋が大きく逸れております

がそれだけ南北方向に建物が動いたという証拠なのです。

そしてモルタルも剥がれ落ちてますが、その部分こそが耐震

壁だったのですが。その部分が崩壊してしまっている訳で。

建物の中では一番頑丈で肝心な場所なのですが、それがこれ

だけ壊れていた訳です。

で、ここの家の住人を避難させるべく。今回やってきたので

すけれども。

建物の崩壊が思った以上に酷く、既に市の職員総出で避難が

完了していたという感じでした。

 

ですが、こちらへ入って。ある方から、福島原発から飛散した

というセシウムが東京の水道から検出されたというニュースを

知り。福島から帰る日に、その方から1.5リットルの水の

ペットボトルを渡されまして。

東京も水で困っているなら、これを持っていけと渡された訳

ですが。それは救援物資ですから、皆さんで使ってください

と遠慮したのですが。

俺たちは大丈夫だ、いっぱいもらっているから。東京へ帰っ

た時に飲んでくれと強引に渡されて戻りました。

本当に帰りの車の運転が怖いくらい、泣きながら戻ったのを

今でも覚えております。

実はこの日以後、福島へ戻るチャンスを逸しているのもまた

事実でして・・・。

年内のなるべく近い時間を見つけて、我々は再びこの地へ

戻ろうか?と、検討しているところではあります。

 

さて、最後にですが・・・。

今年はこちらの曲で、亡くなられた全ての御霊へ捧げたい

と思います。最後にこちらをお聞きください。

 

 

福山雅治さんので、道標です。

 

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今年も引き続き、過去の記事を一部編集してお届けいたし

ました。

2011年3月11日の日の事を忘れない為に・・・。