忠臣蔵現地中継の補足取材をする、クマ。 | What aわんだふるワールド

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がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

午後・・・12時30分を回りました・・・。


Dear.みなさん・・・お昼休みですが、

 

いかがお過ごしでしょうか?

 

こんにちは!グラハムです。

 

今月はぼくの担当みたいですから、短いですが2月。

 

せーいっぱいオープニングトークやるね。

 

さてさて、去年の暮れと。今年に入って1月13日の

 

ブログ開設10周年記念企画でお届けした、忠臣蔵完全

 

現地中継。観てくれましたか??

 

あの記事を書くまでに調べ物とか、現地へ訪れて撮影したり

 

場所を確認したりと。

 

忙しい観劇の合間合間を縫って行ってきた訳ですけれどもね。

 

その、さらに捕捉取材っていうのもあったのでね。

 

その取材の模様を今回お届けしてみようかな?と。

 

それでは皆さんを両国アクアスタジオ前へご案内致しましょう。

 

(はい、どーも!)

 

マンセル:みなさん、こんにちは!

 

グラハム:お昼休みですが、いかがお過ごしですか?

 

マンセル:実は今ね、舞台を観終わったところなんだよね。

 

グラハム:この舞台観てきたところ。

 

(この日の目的地)

 

両国アクアスタジオ

BLUEBIRD

 

 

モデル:渡邊桃子さん

ブログ:所属事務所HP

http://www.earlywing.com/tag/%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%A1%83%E5%AD%90/ 

Instagram:

https://www.instagram.com/w_momoooo/

 


で、たった今。渡邉桃子ちゃんの舞台を観てきたところで

して。この後、この捕捉取材をしてくるという話をしてきた

ところでして。

2018年もお世話になりました。という事で、年の瀬の

ご挨拶もちゃんとできたしで・・・。

きっと2019年もここか?あっちか?でお会いできると

思うので。楽しみもまだまだ膨らむのですが。

きっとこの記事が上がる頃には・・・終わっているかな?

 

 

 

で、そのアクアスタジオから歩いて10分もかからない場所

にはこちらがありまして・・・。

 

(てくてく・・・てくてく・・・)

 

到着しましたね。

 

(今日はまた、吉良邸の跡へやってきました)

 

マンセル:あのねぇ〜一応取材開始の時にもお参りしてね。

今回使います!っていう報告をしに。吉良邸へ来ましたのよ。

 

グラハム:泉岳寺にはちょっと無理だけども、こっちは直ぐ

なのと。もう一つの取材で穴があるのに気づいて取材に来た

んだよね。

 

(吉良上野介邸正門跡)

 

気が付けば、ここの歴史の案内看板が新しく綺麗になってる。

 

(ここから、大石内蔵助は突入しました)

 

マンセル:表門なのですが、今はすっかりマンションです。

 

グラハム:詳しくご覧になりたい方は、1月13日のブログ

を開いてみてね。

 

(こちらにご挨拶を・・・)

 

マンセル:ピンボケしてますね。これ!?

 

グラハム:やぁ〜って、元気よく紹介しておこう!

 

(本所公園という事ですが・・・)

 

こちらが現存している、唯一の吉良邸跡という訳ですが。

この中には神社というか、お社がありましてね。

ここにはこの忠臣蔵の一件で亡くなった、22人が合祀さ

れておりまして。

今回の取材の報告の為にやって参りました。

事情はどうであれ、ここで人が亡くなっている訳ですからね。

そこはちゃんと武士道を貫いた、中小姓以上の士分の方に

リスペクトはないとダメですからね。合掌!

 

(そしてこちら・・・?)

 

こちらは、忠臣蔵とは関係ないのですが。上記の写真の真向

かいにあるのですが。

忠臣蔵事件以後、幕府からは吉良邸は全部召し上げられてし

まい。この場所は幕府から一般庶民へ払い降ろされた訳で。

その中に鏡師中島伊勢住居があった場所らしく。

後の葛飾北斎となる時太郎を養子に迎えるというのがここ

だった訳ですねぇ。

 

あの例の歴史散歩の企画でも、散々こことか葛飾北斎の

ミュージアムとかにも行ったらしいですがwww。

全然事前の準備や勉強なんかして来ないから、こういう歴

史的な隙間を全然カバーしてないでしょ。

ぼく達も自分で調べて初めて知ったんだもの・・・。

だから、いかにいい加減でテキトーにやっているのか?って

いい加減分かれよ!って話ですよ。

 

(で、お休みでしたが・・・)

 

吉良まんじゅうなんていうグルメもあったりという訳です。

 

(で、公園の中へ)

 

こちらは、あの討ち入りの時に竹に挿して地面へ打ち込んだ。

討ち入り口上の時のやつでして。

討ち入りする47人の名前と、この討ち入りの主旨みたいな

ものが認められている訳です。

 

(この口上の中身です)

 

(更にこちらは・・・)

 

赤穂浪士が作成して描き上げていた、吉良邸母屋の図面。

赤穂浪士達は吉良邸の母屋の柱の数、襖や戸の数まで全部を

網羅し把握していたのです。

しかも閉じ込めないとならない、長屋の東西方向。

南北方向の長さも全部彼等は把握してて。

その長屋もどこに扉があるのか?という事や、門の大きさ

までも全てつぶさに調査済みだったのがわかります。

 

恐らく現代の技術とかであれば、完全に3D化はもちろんの

事。宮大工さんとか、私も含めてこれだけ精密に柱の数から

間取りや他わかるので。

完全に建物を木造で再現できるほど、これはCADも要らない

位に完璧に描かれております。

 

これを1702年の侍が調査して描いているってのはね。

信じられないくらい精密なんですもの。

やはり泰平の世の中になっても、最後まで築城していたと

いう赤穂藩と元禄の武士達の情報収集能力の凄さは判る

逸品です。

 

(以前にも紹介した、首洗いの井戸)

 

この井戸だけは残っていたようでして、空襲にあったこの界隈

ですが。これだけはそのまま?残っていたのでしょうか?

 

(吉良邸の敷地に現在は・・・)

 

マンセル:ここに郵便局もあるんですねぇ。

 

グラハム:ここから投函したら、何か吉良邸とか忠臣蔵に

関する何かあるんですかね?

 

マンセル:今度営業している平日へ来て聞いてみないとね。

 

黒い幕:なかなか平日に来られませんけどもねw。

 

(だいたいこの辺り?)

 

マンセル:だいたいこの付近が吉良上野介の寝所があった

付近?と思われます。

 

グラハム:寝所から出て、割と裏口の近くにある台所。

その奥の物置に潜んでいたという。そこで吉良は最期を迎え

る訳ですね。

 

(ここが長屋のあったところ)

 

マンセル:ここを寺坂吉右衛門が伝令で右往左往と走った

場所でもあります。

 

グラハム:だんだん陽が沈むのが早くなって暗くなってきた。

 

(こちら、前原伊助宅跡)

 

ここの看板も綺麗に作り変えられてました。

 

(あれ!?)

 

マンセル:こっちの看板も綺麗になってるね。

 

グラハム:新たに作り変えたんですね。

 

(ここから赤穂浪士47士が出撃しました)

 

マンセル:実はね、ここに来たのもまた一つ別の目的が

生まれたから来たのですよ。

 

グラハム:ちょっとした補足とはここじゃないけどね。

 

(現在は、やっぱりマンションですが)

 

グラハム:この下の奥辺りで、大石内蔵助さんが着替えて

出撃して行ったんだろうね。

 

マンセル:ここで米屋を営みながら、前原伊助がここでスパイ

活動をする拠点にしていた。そして、ここから47人は武装し

て出撃したのですが・・・。

実は、ここの他に跡2箇所、出撃箇所があったんですよ。

 

(で!)

 

マンセル:今回そのもう一つ、出撃箇所を見つけましたので。

そちらへもこれから向かいますよ。

 

グラハム:楽しみだなぁ〜久々にまた行くね。

 

(で、その前に)

 

裏門へも。

 

(吉良邸裏門跡)

 

マンセル:あれ!?こっちも看板が綺麗になってるね。

 

グラハム:ほんとだ!この周りの看板。全部新しく交換

してあるんだね。

 

(本日の目的地、安兵衛公園)

 

マンセル:だいぶ陽が暮れてきてヤバイね。

 

グラハム:見えてます!?ここ!!ここですよ!!

 

(安兵衛公園)

 

からのぉ〜・・・。

 

(てくてく・・・てくてく・・・)

 

マンセル:ここは前原伊助の米屋跡から、歩いておよそ

10分。小松川を越えた反対側に来てますよ。

 

グラハム:名前見たら判るでしょ!?

ここ、堀部安兵衛の剣術道場があった場所なんですよ。

 

(こちらは現在の公園の様子)

 

グラハム:結構広い敷地残ってましてね。

ここで堀部安兵衛親子が剣術道場をやっていたんですね。

 

マンセル:婿養子で入った堀部安兵衛、以前は中山安兵衛

でしたね。

 

(子供達が遊んでます)

 

マンセル:1702年の事件から、316年の現在。

今は子供達が遊んでいる公園になりました。

 

グラハム:実はここも47人集まって出撃するための拠点

だったようです。

 

(こっちの看板は・・・新しくはないですねぇ)

 

改めて読み返して・・・ふむふむ・・・。

 

マンセル:三箇所あった出撃場所の内の一つだったんだね。

 

グラハム:前原伊助の米屋、堀部安兵衛の道場、あと一つで

すねぇ〜・・・。どこなんだろう?

 

マンセル:とはいえ、表向き堀部安兵衛さんは剣術で目立っ

ちゃうけれども。ここは旧赤穂藩の浪士たちにとっては、

東の拠点として浪士達が集まっていた場所でもあるんだね。

 

グラハム:それを表向き見えないように、前原伊助があそこ

でスパイ活動をしていた。大高源五が吉良の動向を探るという

感じだったんだね。

 

(堀部安兵衛さん)

 

むむっ・・・!?

 

(ちょっと気になる記述が・・・)

 

マンセル:この杉野十平次と杉野九一右衞門の長屋が三箇所

目の出撃箇所かもしれませんね。

 

グラハム:また一つ謎が見えそうですねぇ。

 

(そっか・・・ここから行ったんだねぇ〜)

 

マンセル:堀部親子はここから、この討ち入りのスタイル

に着替えて行ったらしいね。

 

グラハム:ぼく達も親子ですが、まさかサンタクロースの

格好でここへ揃ってやってくるというのも・・・。

310年経っていたら、堀部親子も同じようにサンタク

ロースやったんでしょうかね?

 

マンセル:戦国から100年経っても平和になった?とは

言っても。義憤に駆られて親方の仇を討つというのもまた

あの時代の親子の姿なんだろうね・・・。

 

(さて、そろそろ行こうか?)

 

マンセル:久々に安兵衛公園に来たねぇ。

 

グラハム:ここの映像もあれにちょっと付け足しできるね。

 

(公園の向かい側)

 

グラハム:この向かい側?杉野十平次と杉野九一右衞門

の長屋があったらしいですね。

 

マンセル:という事は、やっぱり武器や他一式は、この首都

高速の下。小松川から船で運ばれていたんだろうね?

 

(小松川にかかる橋)

 

上は首都高速5号小松川線。からのぉ〜・・・。

 

(さてと・・・)

 

マンセル:ひとまず、出撃箇所を3箇所見つけたのと。

補足取材はこんな感じだね。

 

グラハム:お家に帰って、一気に10周年記念企画を書き

上げちゃいましょう!

 

マンセル:黒い幕さん、なんだかんだでここ数日。睡眠時間

は3時間くらいだもんね。早く書き上げちゃおうよ。

 

グラハム:堀部安兵衛さんの道場も出撃箇所だったというの

は案の定だったね。

 

マンセル:では、ここまで来たら。最寄駅は錦糸町だね。

帰りに馬券の当たり外れをチェックして帰ろうよ!

 

 

ナレーション対応

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実はこの後の調査で判明したのは、堀部安兵衛の公園

向かい側という記載もあったように。

あの場所が、杉野十平次と杉野九一右衞門の長屋。三箇所

目の出撃箇所とここでは報告しておりますが。

歴史資料的な地図によれば、実はそこではなく。

 

 

マンセルくんの写っている後ろ辺り。現在お稲荷様が

祀られている神社付近が杉野十平次と杉野九一右衞門

の長屋だったようでして。

あの歴史案内の看板も特にはなく、地図上の上で史跡と

いう格好でポイントが残されておりましたが。

現地へくるとそれと判るものは見当たりませんでした。

 

恐らくは?堀部安兵衛親子や、前原伊助の出撃箇所とは

違って。そんなに知る人も多くない人物故か?

歴史の谷間に埋もれてしまっているという事なのかもしれ

ませんね。

 

 

ひとまず、これで。忠臣蔵の取材は全て終了です!

長らくお付き合い頂きましてありがとうございました。