2016年6月くまろく←の部屋~8thシーズン~  | What aわんだふるワールド

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がむばるベアーズ:マンセル、グラハムくんの奮闘日記。

午後・・・12時30分を回りました・・・。


Dear.みなさん・・・お昼休みですが、いかがお過ごしでしょうか?


こんにちは!黒い幕こと、くまろく←です。


今月はこの後に、24時間連続更新祭りが始まるわけでして・・・。


通知設定などをされているみなさんには、ご迷惑をおかけいたしますが。


ご対応随時よろしくお願いします。



さて、毎年ですと・・・6月18日は例年ですと24時間連続更新で、この


くまろく←の部屋っていう誕生日日にお届けしてたのですが。


6月はお休みする格好だったのですけれども、どーしても今月は言いたい


事?というか、届けたい言葉が生まれたもんですから・・・。


それと何よりですね、スットクしているネタをもう少しだけでも熟成させて、


発酵でもさせてからお届けしようと思ってね・・・。


1日前倒しでこのくまろく←の部屋を17日にお届けしましょう。


今月はもうね、この記事1枚で収まるんだろうか?ってほど言いたい事が


山ほどあって・・・。


SHOWROOMでも2時間しゃべって喉を潰したってまだ足りないくらいな?


面持ちなんですよね・・・。


なので、ファンシー路線のがむばるベアーズは出ませんよ。キャラもブレ


まくるからねw。




ここのブログを開設した当初は、ある程度の夢見る夢男くんや、夢見る夢子

ちゃん的な要素はあったのは認めている。そこは全く否定もしない。


だが、ある頃合から。おや?って思う部分が出てきた・・・。


その夢が仮にかなったとしても、まだ先はある訳で。いやいや、待てよ!

坂の上の雲なんじゃないか?って思う事も出てきたり見えてきた。


坂の上に浮かんでいる雲を掴もうと思うから、少々キツい登り坂でもなんで

も歯を食いしばって昇ることはできる・・・。

しかし、昇れど昇れど雲を掴める訳でもない。

むしろいざ掴もうと手を伸ばすとその先は崖だったりする・・・。つまりは山は

昇るばかりじゃなく下りもあるんだという事・・・。


むしろ、下りで転んで怪我したり。時には取り返しのつかない結果に当たる事

だってあるはずだ・・・。

その夢を追ったが故に失敗へ繋がる事にもなる・・・。

だがそれでも、雲を掴めると誰もが思うから山を登ろうと思うしそれが理由でも

ある・・・。


タレント、モデル、役者、声優、アーティスト、裏方全般のお仕事・・・。

それだけじゃなく、一般職の人々などなど・・・。


一応長年見てきた中でも、数多の職業が世の中にはある。

そのどんな職業であれ、それぞれの人生であれ、日常であれ・・・。


常に何かしらの目標を立てて、こーしたい、あーしたい。こーなりたい、あーなり

たいというものがある。

ならばそこへ目指して、自分が今どうしらいいのか?その筋道を一生懸命探す

訳であって。そこへのプロセスを歩もうと考えて行動するものだろう。


だが、そこへ行けない理由を一杯探してしまう。逃げ道をどっかに一応確保して

おいてから。ダメだった理屈を用意しておいて、その時の為の伝家の宝刀にで

もしようとする。

だけれどももう、その時点で答えは出てるも同じで・・・。


結局ムリなんですよ。その人では叶わない夢だったんですって。


それでもなお、自分で他へ筋道さがすならまだ根性あるんでしょうが・・・。

今度は他人を嫉みだす訳ですね・・・。


”あの子は可愛いから、仕事に苦労しないだろう・・・”

”あの子は〇〇事務所にいるから、仕事に恵まれている”

”あの人はああいう趣味の人だから、こういう人は好きになる”

等など・・・。


思い込みが自分の中に芽生えて、それを増幅させて自分でもそーなんだと

思い込ませておいて。その上で、自分の不遇を慮って自分を自分で慰めて。

自分で自分をダメにしている、ダメスパイラルへ陥っているという。


他人は他人、自分は自分で己が道を進む為に何をしたらいいのか?

その道筋をどこのどんな人だって、毎日毎日地べた這い蹲り探している訳で。

”がんばっている”というのは、どの職業でもどんな人であっても。


当然!当たり前!


の事であるにも関わらず。”がんばっている”という言葉を貰った時点で、努力

へのベクトルを弱めてしまうという・・・。

じゃあ、がんばっていない人がいるんだろうか?がんばらないでいい職業が

この世にあるんだろうか?


がんばっているんだけれども、そのがんばっている姿を見せずに。さもそれが

当然でしょ!?当たり前でしょ!?何がそんなに特別なの!?

という位に、涼しい顔してやる・・・。


それが、それこそが、本物であって。プロなんじゃないの?


モーツァルトやヴェートーヴェンを毎日聞いていれば、耳は肥えてくる。

だからこそ、あの替え玉ふざけるな!って思うでしょーし。

美味しいものと不味い料理を食べたことがあれば、舌はどんどん肥えてきて

何が美味しいのかは分かる。

感動的な芝居をみれば、上手い役者と大根役者の見極めもつくし・・・。

どんどん見る目が養われる。

コーヒーだって飲み続ければ、どこの原産地か違いがわかるようになる・・・。


それだけ時間と手間隙かけて、同じ事を繰り返し繰り返す事で。それぞれに持つ

べきであろう。


”心眼”


というものが判断してくれる。

正真正銘これが本物だ!という判断を自分の中で線引きしてくれる。

例え個人的な価値観が歪んでいて、それを自分では本物と思えば本物に見え

るし。偽物であっても本物のように見えてしまうのはその為でもある。


だから、今目の前にある何らかの総合演出や、表現そのものを偽物or本物と

断定して決め付けている訳ではなく。それぞれが個々に持つ価値観からくる

偽物or本物を決めているのは、その人の人生経験から下される心眼による

判断がその偽物or本物を見比べているだけなのだから。

そこを間違えてはいけないのです。


日々自分が、他人が生きているであろう日常の中で。

経験して、見て聞いて・・・。その多くの経験や知識や体験から、それが何か?

何者か?偽物か?本物か?というものを見分けることができる。

それを世間では成長と言うのであって・・・。

その成長の結果として”心眼”がどんどん鋭くなってゆく・・・。


これを誰にも止められるようなものでもないし、それを批判されるものでもない。

であれば、自分等のとるべく道筋はどこにあるのか?

自分で自分の進むべく道を見つける事ができるはず?なのではないかと思う

訳ですよ・・・。