19時~22時の4時間に渡り、舞台:65年目の恋文(ラブレター)
をご覧頂きまして。
改めてありがとうございました。
この2年の間、様々な事があった中で。
作りあげてきたものとしては、まだまだ不完全な部分もありますが、
時々ぼく等の配信でも話していた一部がこの舞台作品の随所に
織り交ぜられたモノです。
ですので、本当に伝えるべきものを、シンプルに1つだけに的を
絞って。そのままの形でみなさんの心のどっかに届いてくれれば、
この作品と、2年あまりの時間の意味が形になってくれればと思
ここからは、少々クソ真面目な話w。
構想から製作と完成まで、足掛け3年。
その間には、大きな地震、震災があり・・・。私個人としては、
母親を亡くし。更には母親の兄2人(叔父さん)
が1年の間に3人も続けて他界。
残念ながら、喪が明ける事無く延長される事となり。
あの時、母親の葬式の時には叔父さんの寿命が1年を
切っていたと思うと。
もっと何かやってあげられる事があったのではないのか・・・?
なんともやるせない気持ちでいっぱいでした。
そして、その3人に共通する事は、晩年という事になると。
とうとう、”コトバ”を失った事でした・・・。
何をか伝えたいと思った事でしょう・・・、ですが、言葉を伝える手段を
失いながらも。50音のひらがな票を指差しながら叔父さんは。
”畑から野菜を持って行って食べろ”と伝えてくれました・・・。
声なき声に必死に耳を傾け、少しでも伝えたいであろう事に全身で
その”意思”を拾おうと思い。唇の動きをみたりと・・・。
それがわかるだけに、正確に家族、身内、親族に伝えるべき大役を
担う事となり。
”コトバ”って一体何なんだ!?
そんな疑問や、”コトバ”の尊さ、重さ、不思議に、これは真剣に向き合う
時だと思わされる日々でした。
今はブログやツイッター。ニコ生にUSTと・・・。
もちろん、ミクシーやフェイスブック等・・・。
今になって、今更になって、どんだけ自分と多くの人が、”コトバ”に
触れているんだろうか?って思うと。
改めてその”コトバ”に対して、まっ正面から向かい合ってみよう!と
見えない相手と、今もなお格闘しているような心境です。
まさか3年位前から、今日というこの日の心理、出来事にぶつかるとは
思っても見なかった訳で。
”がむばるベアーズ”というこのシロクマの2人は、自分のUST配信でも
何度も言いますが。
”彼等にコトバを与える事でもって、命を吹き込む作業をしている”
訳でして。
しかもこれらは、私一人が吹き込むだけじゃなく。
がむばるベアーズというシロクマを知る人、観た人がどう思うか?でもって
彼等にはまた違った命が与えられており。
多くの人の心の中でも彼等はまた私の知らない姿で生きている・・・。
そう思うくらいです。
”死んだように生きている人”より”生きてないにしても、生きているかの如く”
彼等はこの1年で、信じられない位の人達に知ってもらえましたし。
人の輪が生まれた事も確かで。彼等を連れて行かないと怒られる時も
あったくらいで、私はさしずめ”彼等をただ運ぶ人”になってしまいました。
それくらい、彼等のプライオリティが大きくなったものです。
場所によってはベアーズ2くまにそれぞれ入場料下さいとか。
入場人数+2くまとか、彼等は遂に、”個”としての存在を持つまでになりました。
他でもなく、そんな彼等に”コトバ”をもって、命を吹き込んで下さった
多くの皆様があっての事・・・。
何も、心臓が脈打ち。赤い血が体内を流れる事だけが命ではない!と、
私に教えて下さった、皆様のおかげでもあります。
私はその切っ掛けを少しだけ与え、残り半分を観ている人が注いでくれる
事でそこは完成すると思うのです。
現に、がむばるベアーズを見て。人それぞれに、マンセルくん、グラハム
くんの性格やタイプをいっぱい仕分けしてくれて。
個々にキャラを見出した上で、”この子はこんな感じの子!”っていう
話をよく聞かせてもらいます・・・。ありがたい話です。
”コトバ”を持たない彼等にコトバを持たせた事で、
コトバを知り、コトバを操り、コトバで癒され、コトバで覚悟を決め、
コトバで悟り、コトバで傷つけられ、コトバで励まされ・・・。
コトバが人の死した後にもその意思を繋ぐ道具となり、
コトバがある事で、それが何かを知る事ができたうえに。
コトバがそのものの命を揺さぶる事もあるのではないか?
ならば、もっともっとそのコトバを大事に扱い、コトバを研究して研鑽を
積む事で、違うものが先に見えてくるのだろうなと・・・。
その人が死した後にも、そのコトバが延々と繋がりをもたらせる
事となるのでしょう・・・。
私やがむばるベアーズから、どうやってこの感謝の気持ちを伝えるべきか?
そう思ったら、使える手段は本当にありません。
”歌が上手に歌える”でもない。
”人を感動させられる演技ができる”訳でもない。
”スタイルの良いグラビアのクマ”でもない。
”万民を爆笑できるだけの芸人”でもない。
”可愛いとか、カッコいい、イケメン”という訳でもない。
そう思えば、できる手段はもう限りなくゼロに等しく。
その中で唯一できそうなのが、”コトバ”を操る事だけ。
クリエイティブに何かを見つけて、作って、表現する位はできるんじゃいか?
下手クソですけどもw。
そこに僅かな突破口を見つけられればと思った位です。
プロでも、アマでも関係無く。
人間だけが達観したモノ言いでも、そのコトバを知る事で世界は、良くも悪くも
変わるのではなかろうか・・・?
そう思えて今は思い当たる適切な”コトバ”が見当たりません・・・。
“世界は言葉でできている”
まさしくその通りだと思います。
各幕においても、様々なアンチテーゼやこちらの意図も織り込んで
ありますが、それを見つけてくれた方のささやかなるご褒美だろうと思います。
またの機会に、少しは再編集を加えるかもしれませんが。
再掲載の暁にもまた、何度も読み直してくださると嬉しいです。
2012年12月26日
65年目の恋文(ラブレター)原作:くまろく←