今月のくまろく←の部屋は、最近思う事を少々書いてみようと
思うのですが・・・。
よくよく考えれば、毎月18日は私自身が自由に書ける場所。
を、コンセプトにしているので。今月も自由に書きますわ。
がむばるベアーズ;みんな!また逢おうね!!
今月は、”またね!”とは・・・?
前回の配信の時にも話したように。
友人と話した時にちょっと話題になった事だったんだけども・・・。
”もう二度と逢えないかもしれない人に対して、
またね!とか言って。次の約束を取り付けるのがおかしい!?”
というもの・・・。
実はこの記事が上がる前、母ちゃんの兄弟ですが長男の叔父さんが
他界したばかりです。
私は病院のICUに入っている叔父さんと、最後に交わした言葉は、
”○○(←住んでいる町の名前)で待っているから、元気になって
帰ってきてね!”
と、交わすと。”わかった!”と言って返してくれました。
しかし、残念ながら無言の帰宅となり。
図らずも叔父さんの帰宅を叔父さん宅で迎える事になってしまいました。
亡くなってしまった事ゆえ、本当に二度と逢えなくなってしまった人へ
”また逢いましょう!”はおかしいかもしれない・・・。
だが、死別する訳でもなく。ましてや、地球から出て行く訳でもないの
に。感情的にも対立や嫌悪感がある訳でもない。
むしろ、親しい人としばらくの間。不定期でかつ長期逢えない人との
別れであっても。”またね!”とか”どこどこに行ったら連絡してね!”
とか。今ある些細な切っ掛けがあって、それが無くなったとしても。
何らわだかまりがある訳でもない。
なのに、そこで永遠の別れを述べて決別する理由がどこにあるんだろうか?
と・・・。ちょっと友達の間で論争になった訳ですよ・・・。
ましてや、2点間での信頼や付き合いや感情面の心情から出る言葉なのに、
それを第三者が妨げる必要があるんだろうか???と・・・。
義理と人情って、肉体的な距離感ではなくて。
気持ちで繋がっているか否か?ではなかろうか・・・と?
もちろん、亡くなった叔父さんも叔母さんも、母ちゃんも。
自分の中で今も生きています。それは、生死観かもしれないけども、
自分の中にいると思う事で、万事に対して考えや思いを巡らせる事で
行動や心理状態も決まるでしょうし・・・。
生きている人とも、向うがどうであれ。今頃どうしているかな・・・と、
思い馳せる事は、誰も止められない自由な個人の意思であるべきでは
なかろうか?
配信中に色々とご意見いただきまして、ありがとうございました!
とっても参考になりました!