7月のお仕舞いの記事に、彼をもってきました。
芦毛の怪物:オグリキャップ。天に召されました。
競馬好きの人、あるいはそうでもない人でも、一度は聞いた事が
あるであろうオグリキャップ。
映画「学校」でも、ひらがなが書けない生徒が、オグリキャップだけ
は書ける、読める。そんな映画のセリフにもなった名馬でした。
私が競馬好きになった伝説のスーパーホースをざっくりとですが、
ご紹介します。
こちらの映像は2年前、久々に東京競馬場へ帰って来た時の映像。
歌は・・・オリジナルなのかな。
まずはこちらをご覧ください。
(※一部携帯電話からはご覧になれません。
パケット代が怪物となって襲われるます。
深夜のご自宅のPC等からしっとりご覧ください)
競馬には、中央競馬と地方競馬という2つの組織がある訳ですが。
オグリキャップはこの内、地方競馬。愛知県の笠松競馬場所属の競走馬
でした。地方は各競馬場単位で、各厩舎へ所属される訳ですが。
笠松競馬場では敵なしの連勝を重ね、中央競馬へ鳴り物入りで移籍。
その笠松時代の主戦騎手は、今中央で活躍している安藤勝己騎手。
彼もオグリキャップと共にこの時期戦っていた訳です。
残念ながら、オグリキャップはクラシックへの登録が無かった
為に、皐月賞、日本ダービー、へ挑戦する事ができません。
よって、4歳同期でクラシックへ行けない馬や、権利取りの同期や、
強豪古馬といきなり直接対決をせねばならず。
当時年齢表記、4歳馬(現在では3歳)にとっては、余程の力がないと
戦えないレベルです。
現在のレース体形ならば、NHKマイルC、皐月賞、日本ダービーは間違いなく
3つは獲れたかもしれません。海外のダートレース。特にケンタッキーダービー
だって夢ではなかったかもしれません。
さて、このオグリキャップ。
どんなレースを見ても、私は泣けるんです。
それは何故か?
心の弱い私には、彼のくれるメッセージが厳しく激しく優しいから。
”諦めない!”ってなんだろう!?
そんな疑問に答えを求めるならば、この3レースを観てください。
これが本当に諦めない!という、その答えですから・・・。
”負けられない南井克己、譲れない武豊”
オグリキャップVSバンブーメモリー
1989年11月19日 第6回マイルチャンピオンシップ
最後の直線で、1~2馬身は離れた距離をを1歩ずつ1歩ずつ、
差を詰めて。最後はハナ差交して1着でゴール!
絶望的な距離でも、絶対に負けられない!そう思うオグリキャップ
の闘争心は。私にも少しでもいいから分けて欲しいものです。
”がんばれ!オグリキャップ!”
世界レコードにたった一人で立ち向かったレース
実況も本来の公平さを求められる筈なのに、
思わず”オグリキャップがんばれ!”と絶叫してしまうこのレース。
終始4番手内ラチで追走していますが、既にオグリキャップにも
ギリギリの殺人的ハイペース。スーパークリーク以下には全く
出番も、言い訳すらできない、ガチンコの実力テスト大激戦。
結果は、2分22秒2。当時の2400m芝コースの世界記録。
日本馬オグリキャップは、たった一人で世界の強豪に立ち向かった訳です。
そして、もはや伝説となった引退レース。有馬記念です。
”信じていればこそ、諦めない”
オグリキャップ、最後の力比べが始まります・・・
強い馬は、時々忘れてしまうんです。
”何故自分が強いのか?”
惨敗した前の2レースは、直線で手前を変えるのを忘れていたから。
この手前とは、左回りのレースの時には脚を右手前にしてコーナー
を回り。直線で加速する時に左手前に変える訳です。
前映像の2レースではきちんと、手前を変えて加速しています。
直線の勝負所で一気に爆発させて加速する訳ですが、
オグリキャップは、それをすっかり忘れていたから。
しかし、武豊騎手が手前を変える調教を改めてし直して。
今度は右回りですから、今度は左手前から右手前へ変える調教を
積んだ成果とも言われています。
そんな彼が、私たちに残してくれた。この”諦めない!”という気持ちや。
”信じるんだよ”“待っていてね”
という気持ちは、しっかりとこのブログでも自分自身の中にも、
絶対に消さないように、これからも努めたいと思う7月の夜でした。
改めて、オグリキャップの冥福をお祈り申し上げます。
ありがとう!オグリキャップ。
くまろく←&がむばるベアーズ