自分の存在に責任をもつこと | メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

メルボルン ベビーシッター&子育て奮闘記

オーストラリア メルボルンにて、2009年2月生まれの娘ローズと、2013年8月生まれの息子ディー君の子育てに励む日々。

メルボルンでベビーシッターサービスを提供しています。

(今日はながーい独り言です。。。)

ちょっと前に、20代前半に病気をしたことをブログに書いて、ふと思い出したんだけど、
そのとき、お付き合いしている男性がいました。

でも、誠実な人ではなく、他にも女の人の影がちらほら。
いつも傷ついたり怒ったり、辛い恋愛でした。

病気になったとき、きちんとお見舞いは来てくれていたけど、
私が入院しているのをいいことに、他の女性と遊びまくりでした。
(目撃情報や、部屋の痕跡や、携帯を見ちゃったりもして、ぜんぶわかりました。)

でも、それを悲しいと思うのではなくて、ホッとしたことを覚えている。

ああ、この人は、私がいなくても大丈夫だって。わたしがいなくなっても、他の女の人がいる。
この人が悲しみのどん底に突き落とされることはないし、わたしが死んでしまっても、この人が困ることも苦しむこともないって。

よくドラマとかで見る、お前が死んだら、俺生きていけないよー!っていうの、
それまでは、そこまで愛されるなんて素敵だわ!って思っていたけれど、
実際に自分が病気になったときに、そういう相手がいると辛いなって思った。


自分が苦しいのはいいとして、それを見て苦しむ人がいるのは嫌だ。
自分がいなくなって、だれかが不幸になるのは嫌。
愛する人には、私がいなくても幸せでいてほしい。

そのときの身軽さに一種の心地よさを感じて、
それからわたしは、恋愛にどっぷりつかることがなくなった。


それから夫と会い、恋愛を経て結婚したけれど、
彼が自分の趣味をもち、自分の友人との時間を大切にしているところが気に入っていた。

わたしとは映画も音楽も好みが全く違うから、
映画もお互いひとりで行ったり、お互いの友達との時間に干渉することはなく、
あまり一緒に過ごす時間はなくて、それでお互い満足している、自立した関係が続いている。

私が子供だけつれて、1か月以上日本に里帰りしても、
彼は彼で、趣味や友達との時間を楽しみ、そこまで寂しいと思っていないようだし、
こうやって距離が持てる関係でありがたいと思っている。

私が急に死んでしまっても、彼は大丈夫って思えるから。
少しは悲しむだろうけど、優しくて社交的な彼だからきっといい人がすぐに見つかるだろうし、私がいなくても幸せに生きていけるって思うから。


両親はもちろん、わたしが死んでしまったら悲しいだろうけれど、
わたしと両親の関係は昔からすこし距離があって、
とにかくわたしは心配だけはかけないようにと思っていて、相談もあまりしないし、電話もめったにしない。

成人になってからほとんど頼ったことがなくて、出産のときも、来てもらっていない。

だから、両親は両親で、自分の趣味を持ち、自分の世界を生きてくれていて、
元気でいてくれているのでほっとしている。


とにかく、大切な人たちには、ずっと幸せでいてほしい。
わたしがいようがいまいが、変わらず幸せでいてほしい。

そのために、ある程度の距離をとりたい。
そんなふうに思っていました。

かなり変わり者だったと思いますあせる


ところがビックリマークビックリマーク

子供を産んで、世界で一番大切な存在ができたら、
この二人の人間は、びっくりするくらい、わたしのことを愛してくれているショック!ラブラブ

今わたしが死んだら、
この子たちはきっとすごく困るし、悲しむし、
それでも幸せになれる可能性もあるけど、保証はない。

衣食住、すべてにおいて私に頼っているし、
なにはさておき、ママがいないとだめ。
そして何より、私の愛情と存在そのものを求めてくれているラブラブ

ここまで私を必要とした人は、これまでの人生でいなかった。
何があっても死ねない!!と、はじめて思いました。


これまでは、他の人を助けるために自分の命を投げ出してもいいと思っていた。
それくらい、自分の人生に対する欲があまりなかった。

でも今は、他人をかき分けて、他人を犠牲にしてでも、生きたいと思ってしまう。
子供たちを残していけないから。

今のわたしは、これまでの人生の中で最も、
「生きて、そこにいること」に対する責任感を感じています。

ひたすら、子供たちのために、毎日元気で幸せでいたいと思います。


そして、それこそが自分の生きている目的だと思えば、

自分の時間がほとんどなくても、
毎日ひたすら家事と子育てに追われ、座る時間もなく、
空き時間でできる仕事をして、収入をすべて子供たちのために貯金して、
自分は子供たちの残したお弁当が夜ご飯で、10年前のヨレヨレの服をまだ着ていても、

そんな毎日でも、本当に幸せだと思えるのです。


起業して自分らしく働きたい、とか、綺麗になりたい、とか、
上を向いてキラキラ前進していた頃の自分はどこに行ったのかな、と思いながら、

これまでの人生でいちばん大きな責任感に燃えながら、毎日子育てに励んでいます。


このままだと、子供たちの手が離れたときにぽっかり穴があいて、
毎日何をしていいかわからなくなるかもしれない、とも思う。

でも、今は子育てで忙しすぎて、そんな先のために趣味や生きがいを準備しておく暇さえないのです。
結局、母親業を必死にするってことは、そういうことなんだと思う。

今は、これでいいんだ。
最近、そう思えるようになりました。


わたしも、同じように必死な他のママたちも、みんな、頑張れビックリマーク
そして、こんな生きがいを与えてくれた子供たちに、感謝ですドキドキ