Jリーグ第2節のアビスパ福岡戦、マリノスは1-1の引き分けでした。
ウルトラレフティー俊輔のフリーキックでなんとか追いつくことは出来ましたが・・・・
まだまだ悩み多き試合は続きそうです
と思ったら、ここにきてようやく新外国人選手加入の知らせ。
カイケ選手です
しかも完全移籍。
これで期待が一気に膨らみます
そんな本日は、久々のハワイ旅行の続きを。
って、久々どころじゃないからね、前回の記事は去年の8月だから
その記事で 夏休み中に終わらないわ とか言ってましたけど、年内にも終わってないし
で、今回は太平洋航空博物館パールハーバーのお話です。
戦艦ミズーリ記念館を後にし、またバスに乗車して向かいます。
まずは格納庫37へ。
この格納庫は1941年12月7日の日本軍による攻撃を受けた時は水上機格納庫だったそうです。
表の写真撮り忘れましたけど
まず最初に、古き良きアメリカを象徴するパンアメリカン航空の展示物が。
2011年にハワイへの民間航空旅客サービス75周年を記念して開催された時からの展示物のようです。
若大将はよくこのパンナムでいろんな国へ旅行してましたね
そして広いスペースに出ると、いきなり 零式艦上戦闘機21型 登場
しかも 12月7日未明、真珠湾へ向けて発艦せんとする航空母艦「飛龍」のデッキ上のセットだったりします。
日本男子としては気分が高揚しちゃいますが・・・
ここってハワイだよねパールハーバーだよね
この機体はソロモン諸島の戦闘でバラレ島の密林に墜落していた機体を回収し飛行状態まで修復された零戦です。
なので暫く飛んでいた事からエンジンは「栄」12型ではなくアメリカ製のエンジンが搭載されています。
しょうがないけど、ちょっと残念
攻撃を受けるフォード島の様子の壁画。
そして使用された攻撃機や爆弾・魚雷の解説。
エアロンカ 65TCモデル
日本の攻撃隊が奇襲した際に数機の民間機が遭遇していたそうです。
この飛行機もそんな風に展示されています。
たしか映画「トラ!トラ!トラ!」でもそんなシーンがありましたね。
こちらはP-40Eウォーホーク(レプリカ)
地上基地から迎撃に向けて出撃した機です。
成功を収めた真珠湾奇襲作戦ですが、ある悲しい出来事をここで知りました。
ニイハウ島事件。
戦闘被弾により緊急着陸地及び救出地点に定められていたニイハウ島に不時着した零戦搭乗員西開地一等飛行兵曹。
最初はハワイ住民に歓迎されたものの、奪われた書類と拳銃の返還を求めたが応じてもらえず、通訳として協力してくれた島民の日系アメリカ人原田氏と共に対立することになり二人は命を落とすことに・・・・
なんとかならなかったのか・・・・
なんともならないのが戦争なのか・・・・
不時着した場所の様子をジオラマ化しています。
展示されている物はニイハウ島にあった本物の零戦の残骸。
胴体は不時着後に西開地一等飛行兵曹によって燃やされているのでした。
こちらは1942年4月の日本本土空爆仕様に改造されたB-25Bミッチェル爆撃機 (Bモデルに類似するよう改造された Jモデルです。違いが分かりませんが)
セットは日本本土へ空襲に向かう母艦でしょうか。
本土を攻撃された日本は、ミッドウェイ作戦を実施。
その時に代表される飛行機がこちらの
SBD-2ドーントレス(レプリカ)です。
炎上している日本の航空母艦をバックに置かれています。
ミッドウェイ海戦でこのSBDドーントレス急降下爆撃機が日本の空母を急襲。
主力空母4隻が沈没することとなり、結果この戦いが天下分け目の一戦となってしまいました。
激戦地となったガダルカナル島基地のジオラマで展示されています。
と、ここまで見てみると、それぞれの飛行機の展示で開戦からの戦史を表しているんですね。
この建物には戦闘飛行シミュレーターがあり、6人までワイルドキャットか零戦を操縦してドッグファイトが出来ましたが、時間の関係でやりませんでした。
ただ、なんかねぇ~やりたい気持ちもありつつ、でも不謹慎な様な気持ちもありつつ、やるにしても複雑な心境かも
この後は一旦館外に出て、歩いて格納庫79へ向かいます
格納庫37を出ると正面に見えるこちらの建物と塔。
1941年に建設されたフォードアイランド管制塔施設です。
3階建ての気象センター、観測デッキが付いた2階建てのオペレーションビル、最上階に航空管制センター。
そして高さ約48メートルの貯水塔。
貯水塔の上にある管制塔は、第二次世界大戦中、真珠湾の海上活動にて重要な役割を果たしていた事から、こちらは船舶用の管制塔なのかも。
映画「トラ!トラ!トラ!」や「パールハーバー」でも出てくる有名な建物です。
で、次は格納庫79なんですが、長くなりましたので続きはまた次回という事で