真の映画人 | 黄金のパートナー

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ディズニー好きなママと日産が大好きパパとゲームに夢中の息子とディズニーが大好きなプリンセスの家族4人ファミリーブログです(^-^)/宜しくお願いします☆

会社での出来事。

健さんが亡くなったよ・・・・

突然の上司の言葉にショックを受けました。

ま、まさか・・・・

映画「あなたへ」でも、相変わらず健さんらしい演技をされていたのに・・・・

たしかに83歳と言えば老人の域ですが、でも映画を観る限り健さんは健さんでしたから。

いつもと変わらぬ語り口。

そんなことはありえないのに、なんか健さんならまだまだこれから先何年も変わらぬまま演技を、そして芝居をスクリーンで魅せてくれる気がしていました。

まさかそんな大病をしていたなんて・・・・

また一人、映画俳優、真の映画人がいなくなってしまいましたね。

本当に残念です。 


僕は若いころの健さんの映画を観ていません。

デビューが東映と言う事もあり、社風的にも作風的にも僕の好みとは合っていませんでしたから。

特にヤクザ映画はね。

ただ今思うと義理と人情の任侠映画はまた少し違うのかもしれませんが。


そんな僕が健さんをいいなぁ~と思った初めての映画が1977年の「八甲田山」でした。

青森歩兵第五連隊の神田大尉役 北大路欣也さんと弘前歩兵第三十一連隊の徳島大尉役 高倉健さん。

2人の友情、そして二つの部隊の対比を見事に演技で表していました。

加山雄三さんもなかなか良い役で出演してたしね ここだけの話

夏だけど、八甲田山まで行っちゃったぐらい心に残った映画の一つです。


そして僕の中でベストな健さんの映画は1981年の「駅STATION」かな。

全編健さんの魅力が詰まってたと思います。

僕にはちっともそんな要素はないけれど、男としてのひとつの理想形。

歳を重ねて今見ると、更に良さが分かってくるかも。

今度また観てみよう。


親父は東宝の撮影所で仕事をしていたため、三船さん、森繁さん、加山さん、植木さんなどの作品は多数やっているのですが、健さんの作品は1作品のみ。

それがこちらの作品ですパー

1982年の映画「海峡」。

主演は高倉健 三浦友和 森繁久弥 そして吉永小百合さん 

下の写真は、ロケ地青森の竜飛岬での完成記念写真。

作品タイトルの後ろに座っているのが向かって左から吉永さん、森繁さん、森谷四郎監督。

健さんは・・・・・

向かって右から3番目で腕を組んでいる方。

やっぱり立ってるし あせあせ

健さんらしい。

この「海峡」の撮影中、親父の親父、僕の御祖父さんですけど、病気で倒れて亡くなってしまうんです。

撮影現場のトンネルから出てきた時に親父は危篤の知らせを聞いたようですが、その時に健さんが、活動屋っていうのは因果な商売だなぁ~すぐに帰った方がいいよ と言ってくれたそうです。

そんな健さんも、その後映画「あ・うん」の撮影中にお母さんを亡くされてしまうんですが、健さんは葬儀からしばらくして帰られたようです。

自分がいなくなっては撮影がストッブしてみんなに迷惑がかかると・・・・

今、いろんな番組でいろんな話を聞くたびに凄い人だなぁ~と思う事ばかりです。


僕が撮影所にいたときは、ちょうど映画「居酒屋兆治」を撮られている時でした。

作品には付くことは無かったんですけど、一度だけ所内でお見かけしたことがあります。

正門入って直ぐのところで立っていらっしゃいました。

誰かを待っていたのか、見送るところだったのか忘れましたが、やっぱりず~っと立って待たれてましたね。

背筋をピーンと伸ばして。

たけしの話じゃないけど、健さんがず~っと立っているから、スーツ着ている偉そうな人など取り巻きの人が十人ぐらい横一列になってみんな立っていたのを今でも覚えています。

健さん背が高かったから目立ってたし。

映画人としてもだけど、人間としての素晴らしさを感じることが出来た貴重な瞬間でしたね。


上のサインは「海峡」の時に親父が息子にとお願いして書いてもらったものです。

当時、山のように積まれたサイン色紙を裏でせっせと書いているマネージャーの姿をいろんな作品で見ていただけに直接お願いしたようですね。

大事にしたいと思います。



心よりご冥福をお祈りいたします