「すみません・・・疎くて・・・」
智はぱっと俺の方に顔を向けると、顔を横に揺らす。
「ううん・・・気にしないで。そういう人の方がほっとするから・・・」
知らないと言われた方がほっとする・・・って、有名人も楽じゃないらしい。
確かにどこにいっても顔が知られている・・・となれば、どこにいても気が抜けないし、疲れるかも。
「本当にテレビ・・・全然見ないの?」
珍しいものでも見るように、興味津々と言った様子で首を傾げる智に苦笑する。
「・・・見ないですね」
昔はそうでもなかった。
智と別れてからだ。
あらゆるものに興味をなくしてしまった。
なにもかもがどうでもよくなったというか。
「まあ・・・こんなふうに知らないっていう人もいるんだから、まだまだだな」
からかうような松岡さんの言葉に、智は不満げに頬を膨らませ松岡さんを軽くにらむ。
「別に有名になりたいわけじゃないし。テレビの仕事も好きじゃない。松兄がやれっていうから・・・」
そういえば松岡さんは芸能関係の仕事をしているんだった。
それで智と・・・?
いや・・・でも、きっと仕事だけの関係じゃないんだろう。
すっかり不機嫌になった智をなだめるように、松岡さんは智の華奢な肩をだきよせる。
「まあまあ・・・そう言わない。この世界で名前と顔を売るのは大事なんだから・・・」
抵抗なく松岡さんの腕の中におさまった智は「しかたない・・・」とでもいうようにふうっと小さくため息をつく。
恵まれた容姿の持ち主の松岡さんと智は傍目から見てもお似合いだ。
智が俺に告げた別れの理由は「住む世界が違う」だった。
確かに智と俺では住む世界が違う。
最初から・・・住む世界が違っていたんだ。
「櫻井さん・・・でしたっけ?確か・・・医療関係のお仕事・・・」
ふいにこちらへ顔を向けた松岡さんが記憶を手繰り寄せる様に眉を寄せる。
「ええ・・・そうです。医者です」
「お医者様なんだ・・・!頭いいんだね」
感心したように目を丸くする智は、初めて会った時に医者の卵だと自己紹介したときと同じ反応で・・・
「いえ・・・そんなことも・・・」
首を横に振りつつ、既視感に苦笑するのは俺だけで・・・
俺との間にそういうやりとりがあったことも、智はすっかり忘れてしまっているらしい。
智にとって俺はその程度の人間だったということだ。
こうして偶然居合わせたことで、それがわかったのはよかったのかもしれない。
俺もいつまでも過去にとらわれず、あの桜の舞い散る土手から一歩を踏み出さないといけないんだろう。
「智君、実は俺も昔医者だったんだけど・・・」
「知ってるよ。長瀬さんも頭いいんだね」
ニコニコと応える智に長瀬さんは満足そうに微笑む。
俺のことなどすっかり忘れてしまったらしい美しい横顔を横目に・・・
桜色のカクテルを飲み干した。