指から滑り落ちたフォークがテーブルの上で小さな音をたてる。

唇が離れて・・・

「大野さん・・・」
いつもとは違う少し熱を含んだ声に呼ばれても・・・
どうしよう・・・どうしたらいいのかわからない。
こんな時どうすればいいかなんて・・・僕は知らない。
なんだか怖い。
目を開けることさえできなくて・・・
無意識にぎゅっと膝の上で握りしめた僕の手を櫻井さんの手がそっと包み込む。
「驚かせてしまってすみません。こういうことはちゃんと気持ちを伝えて、大野さんの気持ちを聞いてから・・・ですよね・・・」
「・・・気持ち?」
恐る恐る目をあけると・・・
いつもとはちょっと違う、やや緊張した面持ちの櫻井さんが僕を見つめる。
すっと姿勢を正した櫻井さんの、僕の手を包み込む手に力が少しこもる。
「大野さん・・・」
「・・・はい」
「好きです」
「・・・え?」
驚く僕に、櫻井さんも少し驚いたように目を瞠って・・・
それから少し力が抜けたようにふうっとため息をつくと、苦笑いを浮かべる。
「やっぱり・・・気づいてもらえてなかったんですね。僕としてはかなりアピールしているつもりだったんですが・・・」
「だって・・・そんな・・・」
「そんな・・・?」
櫻井さんが僕を好きだなんて・・・
「そんなこと・・・あるわけない・・・」
首を横に振ると
「では、なぜ僕がここに・・・大野さんに会いに来ていると・・・?」
櫻井さんは少し困ったように首を傾げる。
「それは・・・」
ずっと不思議だった。
なぜここにきてくれるんだろうって。
僕なんかと話をしても、楽しくも面白くもないだろうに・・・って。
「・・・それがわからなくて・・・不思議だなあ・・・って・・・」

答えに困って正直に答えると、一瞬きょとん・・・となった櫻井さんが、次の瞬間くすくすと笑いだす。

「あの・・・?」

「いえ・・・本当にかわいい人ですね」

「かわいい・・・?」

「ええ・・・とても・・・」

櫻井さんは笑うのをやめて、僕を見つめて頷く。

かわいい・・・って・・・

僕は男だし・・・

かわいいわけがない。

さっきから好きだとか・・・

かわいいとか・・・

「もしかして・・・僕のことからかってるんですか・・・?」

だから・・・笑ったの?

からかって・・・僕の反応を面白がってるの・・・?

櫻井さんが何を考えているのかわからなくなって・・・

なんだかまるで知らない人のようで・・・

悲しくて、泣きたい気持ちになる。

「からかってなんていません」

櫻井さんはびっくりしたように首を横に振る。

「でも・・・かわいいとか・・・好きとか・・・」

それに・・・さっきのキスも・・・

からかってるとしか・・・

そうじゃいなら・・・いったい何?

本当に涙がこぼれそうになって、慌ててうつむく。

櫻井さんが小さくため息をつく。

こどもみたいな態度をとって・・・

櫻井さん・・・呆れてる?

このまま嫌われてしまうんじゃないかって不安になって・・・

ますます泣きそうになる。

「からかうなんて・・・そんなことしませんから・・・」

ふいに引き寄せられて・・・

櫻井さんの胸に倒れこむ。

強く抱きしめられて・・・

さわやかな柑橘系の櫻井さんの香りに包まれる。

「本当に大野さんのことが好きです。あなたがここに招き入れてくれたあの時から・・・一目ぼれです」

・・・一目ぼれ?

そんなの・・・ますます信じられない。

でも・・・

櫻井さんは嘘をつくような人じゃない・・・と思う。

僕をからかったりも・・・しない・・・はず。
じゃあ・・・本当に・・・?
本当に僕のこと・・・
「信じてくれますか・・・?」
いつもと同じ優しい瞳が僕をのぞき込む。
まだ半信半疑ながらも・・・
小さく頷くと、櫻井さんはほっとしたように微笑んで・・・腕の力を少し緩める。

「・・・大野さんの気持ちを聞いてもいいですか?」

尋ねる櫻井さんの瞳が少し不安そうに揺れる。

「僕の・・・気持ち・・・?」
「・・・はい」

僕の・・・気持ち・・・

どうして櫻井さんに会いたいと思うのか・・・

会えると嬉しいのか・・・

会ったばかりなのにまたすぐ会いたくなるのか・・・

わからなかった。

ううん・・・わからないふりをしていた。

だって僕の手が届く人じゃないと思っていたから。

櫻井さんと僕では・・・何もかもが違う。

上質なスーツも、きれいに磨かれた革靴も・・・僕には縁のないもので・・・。

本当だったら・・・出会うはずもなくて・・・

例え袖が触れ合ったとしても・・・ただ通り過ぎていくだけの人。

だから・・・好きになったらダメだ・・・って・・・。

好きになっても傷つくだけ・・・って・・・心にブレーキをかけていた。

でも本当は・・・

僕も・・・

たぶん軒先で雨宿りする櫻井さんと目が合った・・・あの時から・・・

「僕も・・・櫻井さんのことが好きです・・・」
次の瞬間、再び強く抱きしめられて・・・
ほっとしたように息をはいた櫻井さんの胸にそっと顔を埋めた。