「じゃあ・・・僕はここで・・・」

僕の方へと向き直って小さく頭をさげる櫻井さんに小さく頷くように僕も頭を下げた。

このまま別れてしまうのがなんだか寂しくて・・・

櫻井さんの顔を見ることもできず、櫻井さんのきれいに磨かれた革靴に視線を落とした。

仕事帰りに偶然会っただけ。
きっともうこんな偶然はない。
ここで何も言わず別れたら・・・もう二度と会えない。
でも引き留める理由はない。
せめて何か言わなくちゃ・・・って思うのに・・・
何の言葉も出てこなくて、下唇をそっと噛む。
「大野さん・・・」
名前を呼ばれて反射的に顔をあげると、思いのほか近くに櫻井さんの顔があって・・・
大きな瞳にのぞき込まれて・・・鼓動が跳ね上がる。
身動きできないでいる僕の耳元に唇を寄せて
「また・・・お店にお伺いします」
囁いた櫻井さんにびっくりする。
「あの・・・」
いま・・・なんて・・・?
一瞬何を言われたのかわからなくて首を傾げると、櫻井さんはにっこりと微笑んで
「じゃあ・・・また・・・」
ゆっくりと後ろに一歩下がって・・・くるりと踵を返す。
じゃあ・・・また・・・って・・・
また・・・があるの・・・?
ううん・・・
きっと社交辞令だ。
でも・・・
櫻井さんの背中を目で追う。
櫻井さんの吐息がかかった耳が熱い。
そこから体中に熱が広がっていくようで・・・
そっと・・・その耳に手をやって、遠ざかっていく背中を見つめた。