ふわりと夏の雨の匂いを連れてきたその人は、珍しそうに店内を見回す。

仕立ての良いスーツ、センスの良いネクタイ。

高級そうな腕時計と革靴。

たまに客として訪れる以外は、僕とは縁のない世界の人だ。

「珍しいですか・・・?」

問いかけると、こちらへと目をよこして

「はい・・・」

少し恥ずかしそうにうなずく。

「花を買おうなんて思ったことがなくて・・・」

・・・正直な人だ。

申し訳なさそうに鼻の頭を指でかく仕草がなんだかかわいらしく見えて、

思わず頬が緩みそうになるのをこらえる。

「これ・・・どうぞ・・・」

タオルを差し出すと、少し戸惑うようにタオルと僕を交互に見て

「ありがとうございます」

素直にタオルを受け取った。

礼儀正しく、笑顔が優しいその人・・・櫻井さんは思った通り営業でこの辺りをまわっていたらしい。

営業職というだけあって、話が巧みで・・・

接客業にもかかわらず、話すのが苦手で普段お客さんと長話なんてしたことが僕も、時間が立つのを忘れて彼の話に耳を傾けた。

ずっと聴いていたくなるような優しい声。

ずっと・・・なんて・・・

なんでそんなこと思ったんだろう。

気が付くとさっきまでうるさいくらいだった雨の音が消えて・・・

窓の外はすっかり明るくなっていた。

「雨・・・上がったみたいですね・・・」
窓の外に目をやった櫻井さんがつぶやく。
「ええ・・・そうみたいですね・・・」
同じように外に目をやって、櫻井さんに応えた自分の声がどこか残念そうで・・・なんだか恥ずかしくなる。

もともと花屋なんて縁のない人だ。

ただ雨宿りに立ち寄っただけの人。
もう二度と会うこともないんだろう。
それなのに、なぜこんな・・・胸がきゅっと苦しくなるような・・・寂しい気持ちになるんだろう。
そんな僕の困惑など知る由もなく、櫻井さんはゆっくりと立ち上がると
「ありがとうございました。これ・・・洗濯してお返ししますね」

手にしたタオルを僕に見せる。

「そんな・・・お構いなく・・・」

慌ててタオルに伸ばした僕の手を櫻井さんの手がやんわりと制止する。

「洗濯してお返ししますから」

櫻井さんは「そこは譲れない」とでもいうように僕をのぞき込んでにっこり微笑むと

「今日は本当にありがとうございました」

丁寧にお辞儀をして、タオルを手にしたまま店の外へと消えていった。