「よかった・・・記憶が戻って・・・」

智君の記憶が戻ったことを単純に喜ぶ俺に、智君は複雑な表情を浮かべて

「でも・・・思い出さないほうがよかったかもね・・・」
独り言のようにつぶやいてため息をつく。
ずっと智君の記憶が戻ることを願ってきたけれど・・・
忘れたくて忘れた記憶だったのだとしたら、智君は記憶が戻ることなど望んでなかったのかもしれない。
智君にとっては忘れたままの方が幸せだったんだろうか。
「記憶・・・戻らないほうがよかったと思ってるの・・・?」
物憂げな横顔に問いかけると
「・・・そんなことないよ」
智君は俺の手を頬に押し当てたまま・・・軽く顔を横に揺らす。
「ずっと・・・大切なものをなくしてしまった気がして不安だったから、だから・・・記憶が戻ったことはよかったと思ってる」
智君の言葉に嘘は感じられなくて、少しほっとする。
俺のことも、なにもかも忘れたままの方がよかった・・・と言われたら、立ち直れそうにないから。
「でも・・・だったらなんで、思い出さないほうがよかったなんて・・・」
智君は伏せていた瞳をそっとあげると、俺をまっすぐに見つめる。
「翔君のためには・・・思い出さないほうがよかったのかな・・・って・・・」
「・・・俺のため?」
「そう・・・おいらの記憶が戻らなければ、翔君はおいらとのことなかったことにできたでしょ?」

「そんなこと・・・思ってない・・・」

驚いて首を横に振った。

なんで俺が智君とのことをなかったことにしたかったなんて思うんだろう。

俺とのことをなかったことにしたかったのは・・・智君の方なんじゃないの?

実際に記憶をなくすことで、俺とのことをなかったことにしたんだから。

俺は・・・

俺はなかったことになんてできなかった。

「ありがと・・・でも、わかってるから。わかってた。翔君がおいらとずっといっしょにいるつもりはないってこと。だからおいらとのこと誰にも知られないように隠してたことも。男とつきあってるなんて・・・翔君にとっては恥ずかしいことだもんね?」

「それは・・・」
言い当てられて・・・返す言葉を失う。
確かに以前は・・・そう考えていたんだと思う。
だから智君とつきあっていることを徹底して隠していた。
智君にも、自分自身にも、これはふたりのためだと言い聞かせて・・・。
「いいの、最初から分かってたから。いつか別れがくるってことも。別れてあげないといけない・・・っていつも思ってた。でもどんどん翔君を好きになって・・・別れるなんてできなくて・・・試すようなことを言って翔君を困らせて・・・」
瞬きした智君の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

「ごめんね・・・おいらがなにもかも忘れたままの方が翔君にとってはよかったよね?でも大丈夫だから。おいら誰にも言わないから。おいらと翔君のふたりだけの秘密は守るから。だから安心して・・・?」

いつもより饒舌な智君の頬を伝う涙が俺の手を濡らす。

「ただのメンバーなら一緒にご飯食べに行くこともできるでしょ?外でも気軽に会える。そのほうがいいなって・・・だから・・・」

だから・・・?

今度こそ別れようっていうつもり・・・?

俺のために別れようとしてるの・・・?

だったら・・・

「・・・ダメだよ」
そっと離れていこうとする智君の手を強く握って、引き寄せる。
あの時・・・最後に触れた指先・・・その手を握らなかったことをずっと後悔していた。

もう後悔はしない。