精神科医、岡田尊司さんの著書「母という病」を読みました本


とっても興味深かった。



私が参考になったのは、「理想の自分にとらわれない」という箇所でした。


「良い子」に未練があるのは、親に愛されたいから。


という言葉に、ドキッとしました。

良い子をやめられないだけでなく、私の多くの思いや行いの根っこに、この思いがあるのかもしれない…。

だから、未だに「親に愛されるために」理想の自分(良い子)を求め続け、そうなれなくて苦しくて、たとえ頑張って近づけたような気がしても何か空しかったのかもしれない。

母に愛されたくて良い子でいるうち、ありのままの自分を置いてきぼりにしてしまったから。



先日、久しぶりにセッションを受けた時、


「自分で自分の存在を、無条件に許可してください」


と言われました。

この本を読んで、私は小さな頃から、自分の存在を無条件に許可できていなかったんだと気づきました。

こころから思えなくても、そういうことにしたらいいんですよと言われ、少し苦しさを感じるたび「そのままの私で存在していい」と、こころのなかで自分に言うと楽になりますクローバー







私は、母から愛されていたと十分に分かっているのに、なぜ自分の愛着と向き合うことになったのだろうと思ったことがあります。

たとえそう分かっていたとしても、幼い頃の環境や、生まれ持った私の性質、さらに母が抱えていたであろう寂しさも関係しているのだろうと思いました。

母は、こどもの頃にたくさん苦労をしたから。

きっと誰にも言えない寂しさや、どうしていいか分からない悲しさを、母は一人で通って来たんだろうと思います。

それでも、今なお父や叔母や友人達から愛され続けているほど良好な人間関係を築き、亡くなる前には神様とも出会うことができ、母は母なりに自分のこころの傷と向き合っていたのかもしれません。



少し前の私は、母への想いと向き合うことになるなんて思いもよらず、それどころか自分がこんなこころの傷を負っているということにすら気づいていませんでした。

今は、無意識に感じてきた長年の生きづらさの理由が少しずつ解明され、そのたびに楽になっていけることがうれしいです。



岡田先生の愛着障害の著書に、こんな記述がありました。


愛着障害を克服した人は、特有のオーラや輝きを放っている。

その輝きは、悲しみを愛する喜びに変えてきたゆえの輝きであり強さに思える。

そこに至るまでは容易な道のりではないが、試みる価値の十分ある道のりなのである。


こころの傷を通して、愛とつながることができるのなら

悲しみや苦しみをも抱き締め、愛することができるようになるのなら

それは、やはり私が自分で選んだ道なのだと思いました。