先日の日曜礼拝では、台湾から来られた学生の方が証(あかし)をされました。
私も、クリスチャンとしてせっかくブログを書いているのだから、簡単に証をしようと思います
私のキリスト教との出会いは、母を通してでした。
今日は、その頃のことを書きます。
今から20年程前、母は乳ガンの再発が分かった後、星野富弘さんの詩画展へ行ったそうです。
そこで一つの詩と出会います
いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが 苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった
母は、クリスチャンのお友達に「いのちより大切なものって何?」と尋ねたそうです。
そのお友達は、「教会に来れば分かるよ」と言い、母は私達姉妹を連れて教会へ通うようになりました。
けれど振り返ると、それは母が亡くなる、たった一年程前の出来事でした。
母の信仰の深まりはすごかったと、私が大人になってから教会の方が教えてくださったことがありました。
たった一年だったけれど、母は神様ととても深い交わりの日々を過ごしたのだなと感じました。
母が亡くなった時、私は13歳で受洗はしていませんでした。
けれどホスピスで、呼吸もままならず、目も見えず意志疎通もできず、医師からはマラソンを走り続けているような苦しみだと言われたほどの肉体的苦痛のなかにいた母に、
牧師先生から促された私が
「イエス様を信じてるよ」
と一言伝えると、母の目から涙が一筋こぼれたことを、今でも鮮明に覚えています。
聴力が最後まで残るということを、大人になってから初めて知りました。
その時の私は、心からイエス様を信じているというよりも、牧師先生から促され、母を喜ばせたい気持ちからそう言ったような記憶があります。
それでも今となっては、そう言えて本当に良かったなと思っています。
その頃の私にとってのキリスト教とは、肉体的には苦しみを通っても、霊的には安らかに母に死を迎えさせてくれたものであり
私には、母と天国で会えるという希望を与えてくれたものでした。
この二つの意味合いは、子どもの頃の私にとっても、今の私にとっても、とても大きな救いです。
母が亡くなった後は、昇天者記念礼拝やクリスマスの時など、大きな行事の時だけ家族で教会へ通っていました。
受洗をしたのは、それから10年が経った大学生になってからだったけれど、自分でも気づかぬうちに、その頃母から信仰を受け継いでいたのだなと、最近感じるようになりました。
だから、私にとってのキリスト教とは、母が遺してくれた大切な心の財産でもあります。
信仰に関する母との思い出は、こちらの記事にも書いたので、もし良ければ見られてください。
受洗を決めた頃のことは、また次の記事に書こうと思います。