ニュースで時々見かけるサミットや宮中、ノーベル賞授賞式の晩餐会。
正式な席では、フランス料理が基本です。
和食はヘルシーですし、折角、日本にいらしたのだから和の文化を知って欲しいのに、と思いますよね
グローバルな場には「食卓外交」と言う言葉があります。
他国の大勢の方が揃う会食では、お箸が使えなかったり、食べ方が分からない方もいるかも知れません。
会議や長旅で疲れている所に、慣れないお箸を使っての食事では、緊張して和めませんね
例えばサミットの様に、会議で喧々轟々自国の権利を主張したままでは、喧嘩別れになってしまいますから、食事の席では和やかに。
会議は会議で意見を戦わせても、最後は皆で一緒に食卓を囲み、笑顔で終わりにしましょうと言う目的があります。
そこで、世界共通の基準として、料理はフランス料理が決まりなんです。
共通のモノがあれば、困る人はいませんものね。
その代り、デザートや食材で、主催国らしさを演出するんですよ
では、何故フランス料理なの?イタリアンでもいいじゃない、と思う方もいるかも知れませんね。
それは18世紀のフランスの文化が尤も洗練された最高の文化とされているからなんです
ヨーロッパ中の宮廷がフランスの文化に憧れて、どこの国の宮廷でもフランス語を話し、フランスの芸術様式を取り入れて真似をしたの。
そんなフランス文化の中でも、最高潮に達したのが18世紀と言われています。
確かに、日本の様なアジア諸国にとってはフェアじゃないかも知れないけれど、フランス料理が基準となる背景には、この様な歴史があるんですよ。
さて、中世の頃の食卓外交はどの様な形だったのでしょう。
昔は、まさに豪華絢爛
映画等で見る、権力を見せつける様な豪華な食卓だった様です。
そもそも食卓外交が出来たのは、敵から攻められない為。
贅の限りを尽くして相手をもてなす事で、相手の心を掴み、無用な戦いを避ける目的があったんです。
同様に、なるべく豪華にして国力を見せつける事で、戦意を喪失させていたのね。
他には、王族は神格化されていたから、食べきれない位の食事を食卓に出す事で、貴族と王族の間に目には見えない壁を作ったんです。
その為、当時の料理は前菜だけでも、10種類前後の肉料理や魚料理が供され、数種類のスープにサラダ、同様にメインも多種類の魚料理と肉料理が出され、王様達はその中から好きな物を選んで食べると言った具合でした。
盛付も、例えば、鶏の羽をむしって丸焼きにした鶏に、再び取り除いた羽を付け、まるで生きていたかの様な形に戻して出すと言った凝りようだったんです
今ではセンターピースと言うと燭台やお花ですが、当時は、食べ物が食卓の飾りの役割を果たしていたんですね。
その為、食べ切れず残った食事は、一般の市民に分け与えられたんです
中には、商魂たくましい市民がいるもので、王宮の払い下げを売る人も多かったんです。
こう言った人達が「王室の払い下げ」として総菜屋を出して、結構繁盛したんですって。
この様に、王様が食べる食事は、無駄が無いように、ちゃんとリサイクルされていたんですよ
勿論、ハプスブルク家治下のウィーンにも、王宮のキッチンで作られた料理を売るお店がありました。
折角作った料理の殆どがテーブルを埋めるだけの飾りなんて勿体ないですよね?
女性とは目の付け所が同じの様で、マリア・テレジアも食べ物を飾るだけで、殆ど手を付けられずに処分されるなんて勿体無い!と思ったんですって。
だって、市民に払い下げられる料理に幾らかかっているかと思うと、王宮の食費も馬鹿になりませんからね。
女王様だって、家計を預かる主婦なんです
そこで、本物の料理に交えて、砂糖細工に色を付け本物の料理そっくりに作った置物を置く様にしたんです。
その方が安く上がるし、2度、3度と使えるので経済的ですから。
そのフェイク料理が時代を下る内に、フィギュリンと呼ばれる磁器の人形や花へと変化して現代の形になっていったんです。
尤も、昔は、砂糖細工に染色する際、身体に有害な色粉も使われていたので、偽物と知らずに口に入れてしまった人は中毒を起こしたり、時には死んでしまう人もいたのだとか
さて、家計が苦しくなると節約をするのは、庶民も王様も一緒の様。
マリア・テレジアも節約をしましたしが、その御子息ヨーゼフは更なる節約を断行したんです。
料理の品数を減らすのは当然の事。
当時は、王子や王女は夫々独立したキッチンを持つのが普通だったのですが、それも取り上げてしまったのだとか。
当然、妹たちからは「お兄ちゃん酷い!」と不平不満が上がったとか。
ヨーゼフは新興国だったプロイセンのフリードリヒを崇拝していたんです。
このプロイセンと言う国は、軍隊を叩上げて成り上がった国だったから、雅やかな王族風の気質といより、どちらかと言うと軍曹の様な性格
ヨーゼフは赤ちゃんの頃から、母親が軍隊の作戦を練る傍らで、玩具の兵隊やら軍馬で遊んでいる様な子だったので、軍隊式に簡素なモノでも気にならなかったんでしょうね。
そんなだから、女の子の気持ちなんて、まーったく分からない
時代は啓蒙思想の時代に入って「君主とは国民の僕である」として「贅沢禁止!」と言われても、女子にとっては「えーっ、私朝は⚪︎⚪︎じゃなきゃイヤ!」とか「デザートに○○は絶対に外せないわよ」なんて具合になったのでしょうね。
フランスでは革命によって王室のキッチンにいたスタッフや貴族のお屋敷で働いてた料理人達が次々と失業した為、彼らはお屋敷で作っていた料理をブルジョワ層に向けて作る様になったのがレストランの始まり。
ウィーンでは20世紀の頭まで王室が残ったけれど、腕の良いシェフ達の中には、王室のキッチンで修行をした後、自分のお店を持つ人も多かった様です
何しろ、一流の技術を身に着けて独立するのですから、きっと人気も高かった事でしょう。
19世紀のフランツ・ヨーゼフの時代になると、王宮のキッチンにあるデザート部門もよりも、ウィーン市内のコンディトライを使う事も多くなったんです
特に、お菓子好きで有名なエリザベート皇妃は、コンディトライに行ってお喋りをしながら、自由に自分の好きなお菓子を買うのが好きだった様ですし、皇妃がいない宮廷では必要な分だけ外部から購入する方が理に適っていたのでしょうね。
因みに、現在の様に1人1人にサーヴィスされる様になったのは、ロシア式と言って19世紀の頃から始まりました。
最後まで王朝が残った国は幾つかありますが、中でもロシアとオーストリアが2大巨頭。
日が沈む様に傾きかけたオーストリアに対して、ロシアの勢力は強かった事がヨーロッパの宮廷の様式にも影響を与えたのでしょうね。
ニュースや歴史モノのドラマの中で何気なく見ている王家の食卓ですが、単に贅沢をしていた訳では無く、ちゃんとリサイクルがされ、無駄が出ない様に工夫されていたんですね。