予約で満席の貞鏡さんの真打昇進披露興行 講談協会定席初日。現日本橋亭では貞鏡さんの御披露目がラストですね。
貞鏡大先生!おめでとうございます!
 
ねこクッキー一龍斎貞司/講談 (講談協会 前座)
「三方ヶ原軍記」
満員のお客様に人当たりしたかボロボロで···
うさぎクッキー一龍斎貞弥/講談 (講談協会 真打)
「大坂相撲 お坊主稲川 夫婦相撲」*
ねこクッキー田辺南北/講談 (講談協会 真打)
「天保水滸伝 笹川繁蔵の生い立ち」
うさぎクッキー桃川鶴女/講談 (講談協会 真打)
「柳澤昇進録 桂昌院とさめ お歌合わせ」
ねこクッキー宝井琴調/講談 (講談協会 真打)
「大岡政談 人情匙加減」
お仲入り
口上
鶴女(司会)/南北/貞鏡/貞花/琴調
十年後の貞山襲名を祈念して達磨に目入れ。
(右目を入れたけど、向かって右側だったような?)
ねこクッキー一龍斎貞花/講談 (講談協会 真打)
「寛永三馬術 曲垣平九郎 愛宕山梅花の誉れ」
うさぎクッキー一龍斎貞鏡/講談 (講談協会 真打)
「柳生二蓋笠」
貞山先生に初めて稽古を付けて貰った話を初日に!前座の頃の高座を思い出しながら胸が熱くなりました。招木が高座中に倒れて舞台を客席に向かって滑り···「師匠が来ている♪」と大先生爆笑
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

*夫婦相撲(講談るうむ より)
 
江戸時代の話。相撲の本場はやはり江戸である。江戸には本場所があり大坂には大坂相撲がある。「黒雲」という力士は肥後・熊本の出身で大坂に来て、湊由良右衛門(みなとゆらえもん)の元でうんと修行をし、その後江戸へ出て来た。そして肥後の細川家の召し抱えとなって不知火諾右衛門(しらぬいだくえもん)となる。これが八代目の横綱となる。上背があって力があって相撲が上手という名横綱である。大坂相撲への恩義は忘れず、毎年大坂で開かれる本場所には、力士たちを連れて行って相撲を取る。さすがは横綱で大坂ではただの一度も負けたことがない。当時、大坂相撲の大関は綾川豊吉(あやがわとよきち)といって、元は江戸の十両の力士であった。大坂相撲には横綱がないので大関が最高位である。贔屓にしてくれるのが、北堀江の伊勢屋忠兵衛という大坂一の藍玉(あいだま)問屋の主人。
綾川は3日間勝ちっぱなしである。勝負が終わって伊勢屋の奥座敷へ入ると、忠兵衛が綾川をほめる。年を尋ねると綾川は37歳だという。もう長く相撲は取れない。あと1~2場所で引退しようと考えている。忠兵衛は引退したらどうするのかを問う。綾川は湊の親方と相談して、相撲年寄りの株が空いていたら頭取になるが、なければどうするか考えなければならないと言う。忠兵衛は話す。河内屋という酒屋が奉公人8人付いて売りに出しており、手付を打ってある。この酒屋を綾川に譲ろうと思っている。ただし条件がある。江戸から来た不知火は大坂でまだ一遍も負けていない。なんとも悔しいので、今場所一番、不知火に勝ってもらえないか。これを聞いて綾川は勝つ見込みはとてもないと言って話を断る。
 綾川は表に出る。無理なことを要求する忠兵衛が腹に立つ。家へ戻ると待っていたのが女房のお春である。綾川は伊勢屋での出来事をお春に語る。とても不知火には勝てないと言うが、お春は勝てるという。お春は江戸の立行司の娘である。綾川が江戸へ出向いた際、恋仲になって夫婦になりお春は大坂へ来たのである。お春は語る。去年母親が病気になり暇をもらって江戸へ帰った。幸いに母親の病気はすぐに良くなった。その際、父親と母親が酒を飲みながら話しているのを聞いた。不知火関には左の足に痛みがある、上手に隠しているが行司である自分には分かる、決して他言してはならぬぞ、と父親は言う。親の情けでわざとお春に分かるよう話してくれたのだ。
お春は話を続ける。不知火との対戦では右足を取りなさい、すると不知火は痛みのある左足だけでは耐えきれない、こうすれば勝てます。しかし綾川は足を取るという技を使ったことがない、どうすれば良いか。お春は自分が技を教えるという。綾川は裸になる。お春は飛び込んで、いきなり綾川の足を取る。綾川はドシンと尻餅をつく。これからお春はみっちり足取りの技を教える。
 翌日、取り組みを終えた綾川は伊勢屋へ行き、酒屋の件は承知したと言う。忠兵衛は「勝ってみせます」という綾川の言葉が聞きたかったと喜ぶ。
 7日目、不知火と綾川が対戦することになる。綾川は今日勝ったら相撲は引退するという。両力士が土俵に上がる。両者じっくりと仕切る。はっけよい、両力士が立ち上がる。綾川はバッと飛び込むと、いきなり不知火の右足を取る。不知火は左の足で踏ん張ろうとするが、力が入らない。よろよろとして、ドンと倒れる。勝負あった、綾川の勝ち。見物席からドッと歓声が上がる。
宿に戻った不知火は考え込む。江戸では知られなかった左足の痛みが、遠く離れた大坂で知られてしまった。すぐに他の力士にも分かってしまうことであろう。自分もあと1~2場所で引退しなければならないか。そこへ綾川が入ってくる。綾川は卑怯な手を使ったことを詫びるが、不知火は相撲四十八手にもある「足取り」という技で何も問題はないと語る。綾川は正直に話し、もう今日限り相撲は取らないと言って、髷(まげ)をプツッと切る。「酒屋の旦那になっても大坂相撲のために働いてください」。不知火は自分が預かっている「稲川」という名を譲るという。こうして髷を切った綾川は「お坊主稲川」と呼ばれるようになった。江戸に戻った不知火は次の場所で引退をする。それから大坂へ来て「湊由良右衛門」の名を継ぐ。稲川は酒屋を女房のお春に任せて、2人で大坂相撲のために尽くしたという。