幕府の後継者争いが発端となり、乱れる京。朝廷の象徴である内裏が焼け落ちると、後鳥羽上皇(尾上松也)は再建費用を日本中の武士から取り立てることを決める。しかし、北条義時(小栗旬)は政子(小池栄子)と大江広元(栗原英雄)の支持を得て、要求を先送りにすることを決断。泰時(坂口健太郎)をはじめ御家人たちが後鳥羽上皇との関係悪化を心配する中、三浦義村(山本耕史)は京で大番役を務める弟・胤義(岸田タツヤ)に……
 
『前代未聞!大内裏の焼失
 
 
承久元年(1219)6月25日、摂関家・九条兼実のひ孫・三寅が迎えの御家人たちとともに京・六波羅を出発し、3週間余りをかけて7月19日に鎌倉に下着しました。これにより、次期将軍予定者の三寅のもと、政子が「尼将軍」として幕府を代表し、「執権」である北条義時が政務全体を取り仕切る新体制が整います。
 
 
しかしこの間、後鳥羽上皇の住まう京では、大事件が起きていました。源頼政の孫・頼茂が、三寅の鎌倉下向を不満に思い謀反を起こしたのです。7月13日、追討の院宣を下された頼茂は、代々守護を務めてきた大内裏に籠もって追討軍と戦い、火を放って自害。この際に仁寿殿じじゅうでんだけではなく、所蔵されていた累代の宝物などが焼失します。兵火によって大内裏の殿舎が焼け落ちるのは前代未聞であり、後鳥羽上皇はショックのあまり、1か月以上も床に臥ふしてしまいました。
 
後鳥羽上皇は「三種の神器」なくして践祚せんそし、壇ノ浦の戦いで宝剣を失ったことにコンプレックスを抱えており、治天の君としての正当性を示し続けてきました。幕府の内紛によって何ら関係のない大内裏が焼け落ちたことに、さぞや強い憤りを感じたことでしょう。その思いが、幕府を取り仕切る北条義時との確執を、さらに大きなものにしていきます。