驕れる平家は久しからず・・・・・牛若丸、もっと美少年ぽい方が良いなあ


日々是好日


後白河法皇と宋人との面会を成功させた清盛は、宋船を福原に直接、入港させようと考える。

そのため、大型船が入れるように大輪田泊の改修工事を兎丸に急がせる。そのためには波よけの堤防が必要だったが、兎丸はその工法が分からず、試行錯誤を繰りかえしていた。


京では、清盛から「都でつとめを果たしてくれ」といわれた時忠が、「禿(かむろ)」と呼ばれる身寄りのない子を密偵として町中に放ち、清盛の国づくりに異を唱える者を容赦なく断罪した。

その手荒なやり口を見て、時子は、このままでは平家が憎まれものになってしまうと心配する。


一方、伊豆では、政子が、頼朝が涙ながらにつぶやいた

「わが身は滅びても、源氏の魂は断じて滅びぬ」

という言葉を忘れられずにいた。

彼女が真剣なまなざしで父・時政にその意味を問うと、頼朝の悲しい生い立ちを語り始める。

源氏の御曹司である頼朝は父・義朝とともに戦った平治の乱で平清盛に敗れ、伊豆に流されたこと。

その後、伊東祐親の娘、八重姫と恋仲になり、赤子が生まれたが、清盛の怒りを恐れた祐親がその赤子を殺してしまったことを政子は聞かされる。

初めて知った平清盛という大きな存在に政子は恐れおののくのだった。


福原では兎丸が、大輪田泊に堤防をつくる手立てを考えつく。

古い船に大量の石を積んで沈め、それらを積み上げるという方法だった。

そんな折、時子が病との知らせが入り、清盛は京にある時子の館へかけつける。

にわかに回復していた時子は、清盛の来訪を喜び、久しぶりにふたりは語り合う。

時子は清盛に京へ帰るよう訴え、病の重盛や、時忠の強引なやり口など平家の不安要素をならべるが、清盛には届かない。

それどころか清盛は、さらなる野望の実現にまい進していた。

清盛は平家一門を集め、娘・徳子を高倉天皇に入内させたいと打ち明ける。

大それた野望に一門は、驚きあわてふためくのだった。

清盛は高倉天皇の母であり、清盛の義理の妹・滋子に徳子の入内を打ち明けると、滋子は賛成した。

しかし、最大の障壁は後白河法皇だということは清盛も滋子も分かっていた。

そこで滋子は後白河法皇が今凝っている謎かけ遊びを伝えた。

それは、どれだけ大きなものを食べたかを競うというもので、後白河法皇は嘘でもいいという条件で、誰かれかまわず仕掛けるが、誰も法皇に勝つことができないという。

もし清盛が勝てば、変わり者の法皇なら、徳子入内を認めるかもしれなかった。

清盛は貢ぎ物として宋から取り寄せた羊を携えて後白河を訪ね、徳子の入内を願いでた。

後白河法皇はそれには答えず、例の遊びを清盛に持ちかける。

清盛は次に会うまで答えを考えさせてほしいと言い、とりあえずその場は引き下がる。

清盛が娘を入内させたいと考えていることは宮中に知れわたり、藤原摂関家など公卿たちの多くはあわてふためく。

後白河法皇の子でありながら、冷遇されている以仁とその養母・八条院暲子(あきこ)は、清盛の野望を邪魔しようと策を練った。

ほどなくして、疫病が都を襲った。

その疫病は清盛が法皇に贈った羊の病だといううわさがひろまる。

法皇の側近・西光は、うわさは宮中の不満のあらわれと考え、入内を見送るべきだと法皇に進言する。

成親はそれでは公卿方の思うつぼだと反論した。

清盛は誤解を解くため、後白河法皇や滋子を福原に招待した。

福原を気に入った様子の滋子と後白河に清盛は、福原を法皇の所領として献上すると申し出る。

後白河法皇は、そこまでするお前の野心とはどのくらい大きいものかと聞くと、清盛は海のごとく果てしないものだと告げ、この野心こそが自分が食べたものだと、前に宿題になっていた答えを伝える。

すると後白河は、そんな清盛を食べると告げる。

誰がどんな大きなものを食べても、その相手を食べてしまうという答え、これこそがどんな相手に対しても、絶対に負けなかった後白河法皇の解答だった。

しかし、それを聞いた清盛は自分を食べたとしても、すぐに法皇様のおなかを破って出てくると切り返す。

これには見事な返答だと後白河法皇も認めざるを得ず、清盛の娘・徳子入内は聞き入れられることになった。

徳子が高倉天皇の妃となる儀式が盛大に行われ、平家は一層の栄華を極めることとなった。

しかし八条院暲子など反発する人々も少なくない。

時忠は禿を使い、平家に反発する者を厳しく取り締まった。

これを見かねた兎丸は時忠をいさめるが、時忠はこう言うだけだった。

「平家にあらずんば人にあらず」

一方、鞍馬寺で修行している遮那王(のちの義経)はある日、僧都の使いで都に行った。

その途中、五条大橋で遮那王の前に立ちふさがる巨大な男がいた。

武蔵坊弁慶だった。



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