はいさい
今日はイメージデザブレを載せるよ
一本目は沖縄に派遣された広島日赤の第百十一救護班
鯉城部隊をイメージしたブレス!
12時と6時にホワイトオニキス・アルマンディンガーネット・ホワイトオニキスで赤十字をイメージ
3時と9時にアイリススモーキーで暗い壕内をイメージ
6時の赤十字の両脇にハウライトで救護班の強い意思や支えをイメージ
空いてる3時と9時の隣のスペースにマニカラン水晶を入れて、上側は壕外で下側は壕内の空気をイメージ
南風原黄金森の灯
二本目は日赤救護班でひめゆり学徒隊を指導していた大谷さんと南風原陸軍病院壕の第一外科の上原婦長をイメージしたブレス!
12時と6時にハウライトで大谷さんと上原婦長の凛とした姿をイメージ
3時と9時にローズクォーツで慈愛の精神をイメージ
上半分はマニカラン水晶をホワイトオニキスで挟んで明るいエリアをイメージ
下半分はスモーキークォーツをマニカラン水晶で挟んで南風原陸軍病院壕の過酷な現実をイメージ
5月25日、南風原から南部に撤退準備の最中に24号壕の入口で大谷さんが被弾‥動揺する学徒隊に持ち場に戻るように言い、数時間後に同僚らに「お先に失礼します。皆さんはどうぞご無事で生きて広島へ帰ってください」。
資料によっては「お先に逝きます。みなさんはどうぞお大事に、生きて故郷へ帰ってください」などの表現で記録されてるそうだ。
南部へ移動する前に、同僚や学徒隊は大谷さんの遺体を24号壕の入口付近に埋めた。が、その後の移動中に広島日赤救護班の半数が亡くなってしまった。。
戦後、学徒隊の生存者が24号壕の入口付近で大谷さんの遺骨収集をして、私たちにとって看護実習から大変お世話になった先生だから、ひめゆりの塔に納骨させてほしいと願い、遺族も生徒さんたちからこんなに愛されていたのならと承諾をして、ひめゆりの塔の納骨堂に納められた。
このブレスの名前について
大谷さんの故郷広島の広島城は別名鯉城
広島日赤救護班は鯉城部隊の名で沖縄に派遣されたので
そこからの鯉の一文字
大谷婦長は沖縄の県立第一高等女学校出身
ひめゆり学徒隊の先輩にあたる
一高女の校章は百合の花なのでそこからの百合の二文字
当初は黄金森の灯と黄金森の鯉百合にしようとしたんだけど、黄金森という場所が南風原の他に数か所あることに気付いた。南風原陸軍病院壕があった黄金森じゃないとこのブレスの意味合いがね‥
それで両方とも南風原の地名をつけて命名!
2週連続でパワーストーン専門店喜石に行って
石を選び直したりしてギリギリ間に合ったよ
南風原黄金森の鯉百合

