警護の緩みに腹が立つ | 日記「ウクライナ人の戦い」 Masanori Yamato

日記「ウクライナ人の戦い」 Masanori Yamato

「ウクライナ戦争」を描くことで、プーチンとは何者なのかを書きたい。

 ニュースで、過去の政治家に対するテロ行為の数々を紹介していた。その数が以外に多いことを知った。ほとんどが銃によるものである。政治家はメディアにしょっちゅう顔をさらすので目立つし、人の記憶に強く刻まれている。だから、護衛が欠かせないのであるが、安倍晋三はその政治的発言において人を激怒させるような政治家ではなかったと思う。

 殺害の動機については警察の発表を待つ以外ないが、今でも政界に影響力をもつ政治家であり、自由民主党のかじ取りに指導力を発揮している人物であった。その政治家を亡き者にしようと考えての銃撃であれば、そこにはそれ相応の政治的思想と価値観があってのことあったろうと思う。

 しかし、犯人がわれわれを納得させるほどの犯行の動機をことばで表現できるかというと難しいのではないか。それは、殺人の動機が多くは「恨み」であろうし、恨みという感情の元はおそらく一つや二つの諍いが原因ではない。なにしろ「恨み」という感情は時間と共に成長する。増幅する。しかも、時間の経過とともに、あれもこれもと「恨み」の種が次々に芽生えてくる。その成長した恨みが報復の決意を迫るのである。

 今回の安倍元総理銃撃は現役の主要な政治家への報復である。「恨み」は政治的であるはずだ。過去の発言に犯人の政治的信念に合致しないものがあったのではないかと推測するのが順当であろう。

 選挙運動期間中は特にそうだが、多数の聴衆の中に、かかる「恨み」を抱えている者が紛れ込んでいるかもしれないと考えなければならない。高いところに立って演説するようなときは格好の標的になる。それゆえ、聴衆の動向には万全の監視を怠ってはならない。最新の注意を持って見張らなければならない。

 今回の悲劇は奈良県警と警視庁の失態である。警護の緩みが腹立たしくて仕方ない。