泡盛 | 勝負師の戦い

泡盛


「泡盛」といえば、沖縄県特産の米焼酎だ。しかし、名前に反して容器についでも、泡がビールのように立つことはない。
泡盛は米で造る蒸留酒だが、かつては粟でも造られていたそうで、江戸時代の文献には粟で焼酎を造ったので「あわもり(粟盛り)」といい、それが泡盛の名のもとになったと記されている。これは「粟」説とでもいおうか。
一方、蒸留の際に泡がさかんに盛りあがる様子から、泡盛となったとする説がある。さらに、「泡」説には、もう一つ、信憑性の高い説がある。
昔の泡盛は、器に注ぐと泡が盛りあがり、その泡の立ち方で品質が決定されていたというものだ。アルコール度数計がない昔は、酒屋が泡盛の度数を見るのに、蒸留後の酒を茶碗から茶碗に移したり、酒をひしゃくですくい取って上からカメにこぼしたりして、その泡立ち具合からアルコール分の強さを計った。度数が高いほど泡が長く持ち、消えにくい。この「泡を盛って見る」計り方が転じて泡盛となったという。
さらに、「薩摩命名説」も捨てがたい。薩摩の島津氏による琉球侵攻後、琉球から薩摩を通して特産物が献上された。当時の江戸では、しだいに酒粕で造った焼酎が知られるようになっていたので、薩摩藩は琉球の焼酎を強調し、商品価値を高めるため、泡盛と命名したというものだ。一六七一(寛文一一)年、琉球王国の尚貞王から将軍徳川家綱への献上品目録に、はじめて泡盛の名が登場する。しかし、目録はすべて島津藩が修正したものなので、尚貞王が最初、どのように命名していたのかは定かではない。
インドの言葉が定着したとは考えにくいが、インド説もある。これは、インドのある地方で酒のことを「アワムリ」とか「アカマリ」と呼んでいたことに由来するというものだ。