先日、こんな事があった。

 

子どもたちにテストを受けてもらった。

 

いわゆる学力テストの類いだ。

 

テストの最中、一人の生徒が手を挙げたので、その子のところへ行くと、

 

「ここ、習ってないんですけど。」

 

と言われた。

 

その子曰く

 

学校ではその単元を飛ばして先に進んだらしい。

 

その子はその科目を塾では受講していない。

 

「何とか頑張りなさい。」と言うしかなかった。

 

そんな最中、

 

その科目を塾で指導を受けている子は、何も言わずに解いている。

 

 

 

子どもたちが見えている世界はとても小さい。

 

公立の中学校へ通う子なら

 

自分の家からほんの数キロの範囲に住む同年代の子どもたちとともに

 

学校という1000人に満たない模擬社会集団での事が全てだ。

 

小学生であればさらに狭い。

 

先程の生徒も学校での勉強がその子の世界の全てだ。

 

だから先程のような言葉が出てくる。

 

 

しかし、その子が知らない世界はどうか?

 

他の公立の中学校に通う子は学校で習ったかもしれない。

 

名門私立中学に通う同学年の子は

 

その子が現在学んでいることをすでに1年前に学び

 

その子が1年後に学ぶ内容を現在学んでいるかもしれない。

 

名門中学の生徒しか入会できない鉄緑会という塾に通う同学年の子は

 

例えば中学2年生で一部高校の内容をすでに学習している。

 

 

「習ってないから、できない。

学校で教えないのだから、知らなくてもいい。」

 

という考えでも、学校の成績は良いものが取れるかもしれない。

 

当たり前だが、学校だって教えてないことをテストに出題はしないからだ。

 

 

しかしその子は高校受験で

 

他の公立中学に通うその単元を学校で学んだ子と競わなければならないし、

 

大学受験で

 

名門私立に通う子、そして中学2年ですでに高校の内容を学習している子たちと

 

競わなければならない。

 

そんな時、

 

「学校で教わってないから、学校が悪いんです。オマケして合格にしてください。」

 

と言えるはずがない。

 

 

子どもたちはまさに井の中の蛙だ。

 

特に公立の小・中学校に通う子たちが住む『井』はさらに小さい。

 

しかし彼らはいつか大海に出なければならない。

 

私たちのような公立の小・中学生に通ってきてもらっている塾は

 

塾生に大海を教えてあげることも大切なことだと思っている。