いま、自分のこころを大きく支配していることがあり、書いて気持ちの整理をしておこうと思います。
先週末、高校時代の同級生だった友人の訃報が相次いで届きました。
友人たちと軽井沢で過ごしている折のこと。
衝撃。
ひとりはラグビー部の華、スタンドオフで、有名大学でも活躍しその後もラグビー人生を送った男性。
もうひとりは、大人になって交流が活発になり、一時期は当社を手伝っていただいたことも。想いの中心はこの友人についてです。
10年前、彼女が当社に参加した当時。やることが山積し、やってもやっても終わらない毎日。
「病にはストレスが一番ダメ」と、彼女はすぐに去ることになり、ちょっと険悪な感じに。しかし月日の経過とともに、それらの感情も薄れてたまに連絡を取り合うようになりました。
彼女からは、会社や私の健康を気遣っていただく手紙や差し入れをいただいたこともありました。
彼女は自らの闘病の様子や日常をブログに書いてました。あるきっかけでそのブログを見つけ、事あるごとにそれを覗いてました。
そのブログを広く知られることを望んでいない様子であり、もちろん私はそのことを当人にお伝えしてませんでした。
元々ライターだった彼女は、その知識の豊富さと文才を遺憾なくブログ内で発揮していました。医師との交流、最先端の治療法の論文について、美味しい食べ物、リハビリの様子…。
その中には、先行きへの不安、痛み、苦しさを赤裸々に綴ったものも含まれています。
余命についての戸惑いやお母様との関係や葛藤についても。
気になってそのブログをチェックし、明るい様子にほっとしたり、陰鬱な文面にやるせなくなったり。でも私がそのブログを知っていることを伝え、励ましてみたところで、彼女の自尊心を傷つけてしまうだけだったことでしょう。
だから黙って読んでました。
7月1日のブログタイトルは「誕生日」。
お母様の誕生日を行きつけの割烹でお祝いし、美味しい食事をたくさんいただき、外出もままならない彼女が3時間も滞在し、おしゃべりを楽しんだ様子が明るく記述されてました。
お母様の米寿である五年後に、お互いの趣味であるマーチングバンドをイギリスまで見に行こう、生きていれば、願い続けていれば、ゆめはきっと叶う、と、力強く結ばれていたブログ。それが最後となってしまいました。
亡くなる前日までコメントに丁寧に返信し、お互いを励ましていた様子に胸が痛みます。
彼女が望んでいた自宅で、大好きなお母様との楽しい夕餉、希望に満ちたブログを最後に、彼女は逝っていましました。
あまりにも早すぎる人生の幕に、彼女を襲った数々の病に対し、本当にやるせない想いです。
うまの、あのときはありがとうね。
私とてつのこと、止まったらしんじゃうマグロ、と評したよね。私はすかさず、「サメと言って」と突っ込んだことを覚えてます。
ブログのこと、知ってて黙っててごめんなさい。でもそのほうがうまのもよかったよね。
ブログ、人気だったね。
今頃、ぼち君とも「あらー!」とか再会してるかな。高校時代のあの制服で、華やかな感じでね。
うまの、苦しみから解放されてよかったね。
ありがとうね。
心から御冥福をお祈り申し上げます。