今年の大河ドラマは「光る君へ」で紫式部の生涯と平安貴族の権力闘争を描くという。

ということで、初めて大河ドラマに興味を持ちました。

そして久々ブログを開いたわけです。

 

書初めです。今年はかな文字書道がブレイクするかな?

 

 

現代の感覚で言えば「道長は紫式部の雇い主、上司でしょ。そりゃ昔だからセクハラまがいのことはあったとしても、愛人だったとか、妾だったとかは無理筋ではないの!」というのが大方の意見のように見受けられます。

しかし、今の感覚で千年前の人間関係を理解しようとするのは限界があります。

第一話で道兼がまひろこと後の紫式部の母親を惨殺して返り血を浴びる場面に関しては、「鎌倉殿」やら「織田信長」の価値観で「平安時代はつまらなそう」と思っていた視聴者には「バイオレンスもありで、平安時代に興味を持った」という意見もありますが、平安時代の専門家のなかには「平安貴族は血の穢れを禁忌としていたので、ありえない展開だ。あまりに歴史を無視すると今後の物語の展開に破綻をきたす」と警告している大学教授もいました。

 

ドラマでは、道長と紫式部の関係は「ソウルメイトとして描いてゆく意図だ」と言っています。

私は、その試みをたいへん高く評価しています。男女間に愛人関係あるいは恋人関係しか描かれていないように思われるのは、日本文芸の貧しさだと思っているからです。

 

しかし、私は以下の三点から、紫式部は短期間ではあるけれども、道長の愛人だったと考えています。

根拠①女性の最古の職業は巫女と売春婦だと言われています。これは、別人の生業だったわけではありません。古代オリエント、古代ギリシャ、あるいは古代日本でも神殿の巫女と交わることは神の力をおすそ分けしてもらう意味がありました。ですから、参拝の男性は当初はけっこうまじめな気持ちで関係していたのでしょう。そうした風紀の乱れや偶像崇拝を糾弾して登場したのが、オリエントではユダヤ教でした。

奈良時代の宮廷歌人額田王を天智天武両天皇が妻としたのは「彼女の歌の才能を支配する」あるいは「おこぼれに預かる」という目的だったでしょう。壬申の乱は額田王をめぐっての天武天智天皇の取り合いだったとロマンチックに考える人もいましたが、彼女の宮廷内での地位はそれほど高くもなく、無理な原因です。

平安時代にも才能ある女性と交わる目的にはそうした意図の残滓があったかもしれないと思っています。少なくとも、現代人のある種の男性が文学好きな女性を好むといった志向以上の付加価値があったと考えられます。

咲き誇る藤の花

 

根拠②道長の父親兼家も「蜻蛉日記(かげろうにっき)」の著者、道綱の母を妻にしています。結局、時子が正妻の地位を仕留めるわけだけれど、時子が多産で、娘を天皇に嫁がせたこと、政治人間である兼家には「蜻蛉日記」の著者は文学おばさんで面倒臭くなって縁は途切れたと考えられます。それでも美貌で和歌の才能のある女性は魅力的でした。

 

根拠③紫式部は日記のなかで、夜、蔀戸を叩く者がいて知らんふりをしていた、と記述があります。それが道長だったらしいのですが、その時は引き下がりました。しかし、紫式部が蔀戸を開けなかったくらいで道長は諦めるような人でしょうか。光源氏も相当強引なやり方で数々の女性と関係を結んでいます。女性が望まなかったとしても、あとから悲劇的な結果になろうと相手の事情など考慮せずに征服してしまいます。藤壺の女御などはその典型です。

 

以上の点から、道長と紫式部の間には、雇用主と従業員以上の関係が一時期にはあったと推察します。証拠はなにもありませんから、すべて状況証拠に過ぎませんが。

源氏物語は、栄華を極めた光源氏が長年連れ添った紫の上の心を踏みにじるように内親王三の宮と正式な婚姻関係を結ぶものの、自分が父親を裏切った因果なのか、今度は裏切られる立場となります。私は、源氏物語はここからが面白いと思っています。紫式部の筆も自由になってきます。栄華の頂点から崩れ落ちて行く様を道長に遠慮せずに書いているようです。この自由さは、身を許した引き換えに奪い取ったようにさえ思えるのです。

 

ドラマでは若い道長を善人に描いて視聴者の共感を得ようとしています。ボーっとした人の好い若者➡思いがけず転がり込んだ権力から、権力者の風貌と内面を身に着けていく➡望月の和歌を頂点に(その時すでに糖尿病で失明していて月など見ることができなかった説あり)惨めな姿をさらしながら晩年を追える。

と道長像を変化させながら一年続けるのだろうと、とても楽しみにしています。