隕石落下 | Monkey Monograph

隕石落下

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 脳は何故大きくなったのか。これに関しては途方もない推測があるにはあるが、それを公表までして敢えて自分の評判を落とす者はいないようだ。だが、この話はよく出来ているので、話さないのは読者に対して犯罪行為になる。それに私の評判と言えば、季節が来ればブナの木が葉を落とすように、いずれ落ちるのは目に見えているのだから、それを「人間を宇宙的偶発事件」とみるアードレイ説として、ここに示そうと思う。しかし私はこのことばをそのまま信じているわけではない。
 七〇万年前、この地球は直径三〇〇メートルぐらいの天体によって物凄い衝撃を受けた。これは私の作り話ではない。その天体は恐らく小惑星で、地球の大気中に不明の経路から入って来たのだが、オーストラリアの西のどこかに衝突した。その時の高熱でガラス状になった断片は日本からマダガスカルまでの広い範囲に散らばって見つかっている。地質学者はそれをテクタイトと呼んでいるが、その散らばった範囲は、縦六千四百、横九千六百キロメートル、面積にしておよそ六千二百万平方キロに及んだ。その時、同時に地球の極は反転した。七〇万年前まで羅針盤は南を指していたはずだが、それ以後は北を指すようになったのである。
 地球の磁場の反転は地質学者が過去に遡って調べた限り、不規則な間隔で過去に何度か起こっている。それらの反転がどうして起こったかは判らない。反転が注目され出したのはここ数年前からのことだから、まだ究明が進んでいないのである。しかし、海底をドリルで掘削して得られた円筒形のコアの資料から、地球には約五千年の間、全く磁場のない時代のあったことがわかった。宇宙からやって来る宇宙線から地球を守るのはこの磁場なのである。
 磁場の研究が始まった頃の一九六三年、カナダの国防研究委員会のロバート・ウッフェン委員長が仮説を発表した。生命が宇宙線に曝される磁場反転の間は、突然変異が急激に多発する時代であり、新種が出現し、古い種は絶滅するというものである。多くの、そのような説明不能の時代が、進化の記録に存在する。たとえば、白亜紀末に多くの爬虫類が突然姿を消したことに満足のいく説明はこれまでなかった。中新世中期はヒト科の出現と一致するが、この時代は地球的な規模で、軟体動物やサンゴ虫のような長期間生き続けてきた動物にさえ影響を及ぼすような激しい種の変化があったのである。
 古代の磁場反転と生物学的変化との関係を解明するには、まだ時間が足りない。だが、コロンビア大学のラマント天文台のJ・D・ヘイズとN・D・アプダイクが率いる地質学者のグループは、独自の着想を持っていた。彼らの専門は海の底に降り積もった放散虫という顕微鏡的な生物遺骸の研究だった。南極の深海底から採取したコア資料には過去五百万年の生物学的記録が含まれていた。その中に放散虫を標識層とする四つの異なる動物層が地球磁場の反転と一致した。七〇万年前の最後の反転以後は現世種がほとんどを占めていた。七〇万年前という目印は明瞭であった。
 磁場反転の仮説に対する物理学者側の反論も考慮する必要がある。反論の一つは、磁場の消失は宇宙線をそれほど劇的に増加させなかっただろうというもので、また別の反論によれば、宇宙線は突然変異率に影響を及ぼすほどのものではなかったというのである。地球磁場の保護域を越えた宇宙空間で活躍する最近の宇宙飛行士を見れば、物理学者の言い分のほうが正しいように見えるが、宇宙飛行士にしてもまだ数は少なく、しかも宇宙空間に五千年間も滞在したわけではない。だから宇宙線問題はアードレイ説にとって、まだ決定的な反論ではない。
 ベリコフスキーの『衝突する世界』がちらと頭をかすめるが、七〇万年前に起こったことは、疑いなくわが地球の衝突、それも重大な出来事だったのである。その時、磁場の反転が起こったのは、確率は圧倒的に小さいとしても偶然の一致だったのかもしれない。議論の余地がないのは衝突それ自体と、その時発生した熱である。
 これと比較しうる事件で過去に記録が残っているのは一九〇八年のある朝、シベリアのトゥングースカの森林地帯に落ちた隕石である。その隕石の大きさは多分、浴室の一つか二つ分だったろう。これもまた地球の大気中に破砕片をばら撒き、直径四〇キロメートルの地域にわたって森を焼いた。周辺にいたトナカイも死んだ。この時、放出されたエネルギーは一八八三年のクラカトア島噴火と同じぐらいだったと推定されている。破壊されたシベリアの森全体に同様の小さなタクタイトが見つかった。ラマント・グループのグラスとヒーゼンは七〇万年前に地球を訪れた小惑星は二億五千万トンの重さがあり、その破砕片は四〇キロメートル四方のシベリアの森どころでなく、実に四千万平方キロに及ぶ地球表面に散らばったと計算した。
 核戦争の結果を予測するのは、考えられないことを考えるに等しいといわれるが、インド洋上のどこかで起こった大激変は、まさに考えられないことが起こったのである。シベリアの天災で放出されたエネルギーがカラカトアの噴火と比較されるのなら、二億五千万トンの怪物が衝突した際に放出されたエネルギーは一体、どんなものだったのか。そんな劫火の試練の結果がもたらした地球の温度上昇は一体、どんなものだったのだろうか。
 四半世紀ほど前、レ-モンド・カウルスは異常な温度が男性の生殖細胞に及ぼす影響を調べた。低温は一時的に精子形成を抑制する。突然の寒さで陰嚢が縮むのは、体温で精巣を暖めて保護しようとするのがその理由である。しかし、異常な高温は――ショウジョウバエ、スズメ、人間などで調べたのだが――精子に二重の影響を及ぼすことがわかった。高温は精子を減少させると同時に、精子の異型(変異体)を増やすのであった。ホールデンは『進化の原因』の中で、大抵の卵は熱で死ぬ傾向があるが、生き残った卵も高い突然変異率を引き起こすと述べている。オスの精子の異型急増と、メスの卵の突然変異過多、つまり放射線の影響を無視しても、これが七〇万年前、小惑星による劫火の日の結果だったのではないだろうか。
 人間の脳は偶然の出来事だったのだろうか。新興勢力として台頭して来たヒト科に、そんな大きな変化が起きたのであれば、他の動物にも何らかの過激な変化があってもよさそうである。だが、南極の海の放散虫に起きたラマント・グループの記録を除けば、その時同時に起こった地球規模の観察はない。ところがケニアに、ずっと気に懸かっていた問題があったのである。地球磁場の反転とほぼ同じ時代に突然、多くの動物種を巨大化現象が襲ったという事実である。ナイロビのコリンドン博物館に行くと、キリンの脚部の大きな化石に驚かされる。その化石から想像すると、現代のキリンはダチョウぐらいの大きさになる。また、そこには当時のダチョウの化石もあり、それを見ると現代のダチョウもコウノトリぐらいに小さく見える。ブラルカス・アロクという巨大な牛は巨大な角を広げているが、まるでハイウェイの二車線を見るようで、現代の牛と比較していつまでも見飽きる事がない。ペロロビス・オルドヴァイエンシスというヒツジは、広げた角の幅がメリノ羊の四倍もある。このヒツジはオルドヴァイ遺跡のBKⅡ層から出土したもので、時代もヒト科と同時代である。時間があれば、その時代のゾウの牙として分類されていた化石を見学するとよい。なんと、それは絶滅したイボイノシシの牙だったことが、後になって判ったのである。
 これらの巨大化石はすべて、長い人類進化の舞台であった東アフリカから出土したものである。一九五七年リーキーが初めてこれらの奇怪な動物コレクションを見せてくれて以来、ずっと私は東アフリカの何か地域的な状況、たとえば火山活動のようなことが急激な仕方で、そのような突然の巨大化現象を引き起こしたのではないか、という考えを抱えていた。そして、人間の脳の拡大化もその一つではないか、と。しかし、うまい説明は見つかりそうになかった。火山を考えて見ても、東アフリカではわれわれの先祖がそのあたりにいた時代、ずっと定期的な噴火を繰り返していた。ところが今、少しばかり突飛な説明ではあるが、その説明がつくかもしれない。それは東アフリカである。そこはインド洋に近く、例の天から降って来た大天災の場所にも近い。海抜が高いことは熱に対する大気の防壁にも弱いに違いない。そして東アフリカから出発したホモ・サピエンスは、ヨーロッパや他の地域で変容を受けた機会があったとしても、最古のハンガリー人だったベルテスチェルレス人は、やはり紛れもないアフリカ型の武器を持っていた。また、それより少し後にたどり着いた最古のイギリス人だったスワンスコム人もそうであった。
 人間の脳の拡大と小惑星の衝突との関係は余りに複雑なので、可能な証拠でそれを証明する事は難しい。まだ脳の小さかったヒト科最後の人と、大きな脳を持ったヒト科最初の人との中間に、その小惑星の落下がなければならないが、その時がいつかは見当もつかない。われわれ人間は偶然の結果なのか。もっと納得のいく説明はないのだろうか。
 人間の脳については、これまで機能的説明が多くの人を納得させてきたし、フォート・ターナン遺跡でラマピテクスの肉食の証拠を見るまでは、私もそれで納得していた。しかし何故、千五百万年の間、狩りがおこなわれたのか。よい脳を持つためには、協力する狩りをすることが理屈に合うのか。また、大きな脳が急に進化の速度を速めたのは何故だろうか。狩りをすることによって、よい脳を獲得するという選択的利益はあってもよい。でたらめに起こる突然変異を認めてもよい。そして変化が現れるまで待つのもよい。しかし、われわれが待ったのは、恐ろしいほどの長い時間だったのである。そして遂に大きな脳が出現した時、それは何故か突風のように現われ、空っぽのごみバケツ(脳)を持って、真夜中にガチャンガチャンとやかましい音を立てながら長い木の階段を(ぎこちない足取りで)下りていく者になろうとは・・・・。
 機能からこの問題を説明する事に私は幻滅を感じた。確かに、武器や道具を作るために、手と心の協力が必要なことは認められてよい。また、狩りの生活を続けることが、記憶を蓄える場所を広くし、中でも小さな脳しか持たなかったヒト科に出来なかったコミュニケーションのための中枢神経をつくるのに役だったことも認められてよい。だが大きな脳を持った時、何も起きなかったのでは機能の向上から見て理屈に合わない。つまり、人間に支配的立場をもたらしたこの大きな器官の出現が、われわれの生活様式に、オフィスでの公平な賃上げ要求程度のことにしか役立たなかったとすれば、この面目ない機能の論理は考え直さなければならない。
 突然変異によってそれまでの脳に付け加わったものが、われわれに優れた選択的価値を与えてくれたとすれば、その後五〇万年にもわたってそれらしい価値を何も見せないまま終わった事になる。つまり、大きな脳は、自然淘汰が個人に働きかけるまでは単に安物の資源だった。これが私の仮説である。ここでわれわれは進化について本末転倒の問題に直面する。つまりガソリンが発明されないうちに、われわれはロールスロイスを手に入れたのである。
 大きな脳は心からの贈り物として更新世からわれわれに手渡されたロールスロイスだった。それは確かに素晴らしいプレゼントである。その輝くばかりの外見や重厚な車内調度や装飾をわれわれは楽しんだ。それが動くかどうか、坐ってあれこれ押してみたりした。しかし個人という燃料が発明されるまでは、そのロールスロイスが何のためにあるかを理解したり、驚きを体験したりすることは出来ないままだった。
 何故大きな脳なのか。それは、優れた性質を持つ者は、その優れた性質の直接の働きにより、劣った先行者よりも多くの者を生き残らせる自然淘汰の理論には合わない。更新世の時代に大きな脳がわれわれに有利に働いた痕跡は残っていないのである。変化の価値が後代にならなければ判らない前適応という考え方がある。しかし、このように変化が非常に大きいと、進化の概念はアードレイの宇宙的偶然説のような、体系から逸れたものにならざるを得ない。だが、もっと定評のある進化の概念が、優れた遺伝学者スーアル・ライトから出されている。ライトは鮮新世にあったような遠く隔てられた交配集団は、それぞれの地域に適応した遺伝子プールを独自に発展させると考えた。そこで、もし環境に何らかの変化が起きて、長期間隔てられていたこれらの集団の間に交配が成立すれば、その結果、遺伝的に大きな変化が起きるだろう。このような状況は更新世になって、雨という環境の変化が人間集団に移動をもたらし、それまで長い間閉じ込められていた鮮新世の人間集団と接触する時が、まさに遺伝的に大きな変化の現われる時である。ライトの考え方からすれば、結果に何が起きてもよいのである。 賢明な賭けをしようと思うならライトに賭けるべきである。だが競馬に熱狂するように、当てずっぽうに賭けるならアードレイの宇宙的偶然説に賭けて、未知の遺伝子を持つ、素性の知れない相続人に期待するのがよい。それを信じるわけではないが、そういった所が、われわれの感覚にピッタリの表現である。       (つづく)