ブログを始めて、来月で1年になるようです
試験のためお休みしてた期間もありますが、いつもたどたどしいブログを読んでくださり、本当にありがとうございます
自己紹介①と②はありますが、今日はより私のことを深く知ってもらえるような自己紹介を書いてみます
つまみ細工と出会うまでに、ダークな歴史もあるので引かれるかもしれませんが、のありのままです
なかなか長いので、ぜひお時間のある時にどうぞ。笑
生まれた時から「ブサイク」と言われ
いきなりヘビー!笑
神奈川県で、先祖代々専業農家の家の、長女として産まれました。
当時の家族構成は、曾祖母、祖父、祖母、父、母、叔母、雑種の犬🐕🏠
祝福されて生まれてきたとは思いますが、4000g近くあった私。
そんなポチャポチャな赤ちゃんを見て、祖母は
「すごいのが産まれてきちゃったよ〜!!」と言ったとか。今でも言います。笑
もちろん、赤ちゃんの頃の記憶はないですが、心に残っているんでしょうね。
あまりにも祖母が繰り返し言うので、「私はデブのブス」とずっと思い込んでいました。
「美咲」という名前も、今では好きですが、なんでこんなプレッシャーかかる名前にしたんやと思っていました。笑
なぜか、その反動か、小さーく細く育ちました。ずっと容姿のコンプレックスを抱きながら。
父は、農家のおぼっちゃま。仕事は農業一本で、サッカーが好き。
他には何が好きで、何をしたかったのか知りませんが、何かずっと我慢してきたんだろうなと、最近思っています。
母は、元看護師で、東京から嫁に来ました。
家族のために、自分は二の次三の次で、気を配って動く人。
なんでも意地で頑張る人。
私が宝塚の沼に落としてから、少しだけ息抜きできるようになりました。笑
祖母はパリピ。
よく言えば社交性に長けており、お喋りとカラオケが大好きな陽キャ。家事が苦手。
祖父は正反対で、寡黙で、農業一筋。堅い人でした。
家族みんなが毎日5時頃から働き、「休みの日」というのは、ほぼない家庭でした。
それが当たり前なので、趣味を楽しんだり、大人が友達と出かけることなんてないものだと思っていました。
みんな毎日忙しそうでしたが、いつも誰かしら家の敷地内にいるし、安心感には包まれて過ごしました。
3年後には弟が生まれ、現在は実家の農業を継いでくれています。
パリピの祖母は4姉妹の長女なので、年始やお彼岸などで、親戚が集まる機会が度々ありました。
これが、、、ほんっとに、嫌い
「あそこの〇〇ちゃんは〇〇高校に行ってすごいわねぇ」
「〇〇さんとこの子は本当に気立てがよくて」
etc.....
田舎あるあるだと思いますが、基本的に人の話しばっかり。
あることないことベラベラ喋り倒している様は、幼少の頃から違和感がありました。
そして生まれつきHSP気質(繊細すぎる人)で、人見知りな私は、会話に楽しく加わることはほぼありませんでした。
「私もおばさんたちの話題に上がるのはイヤだけど避けられないだろう。何かすごいことをしなきゃバカにされる。」
幼いながらも、陰から見てこう思い、
負けず嫌い精神から、「他人にすごいと思われたい」私になっていきました。
「承認欲求」というやつですね。
認められたいがために、自分のやりたいことより、人が認めてくれることを軸に選ぶ。
今後、これをガソリンにして、生きるようになります
ほんとは絵を描くのが好きなのに…?
小学生の時は、習字やピアノを習っていて、趣味は絵を描くことでした。
スポーツは興味ゼロの、完全インドア派でした。
世間的に良しとされる、活発で明るい子と比べられてしまい、「あいつは大人しくて、どうしようもない」みたいな声も、ちらほら家族から聞こえるようになります。
主に祖父。
絵を描くの楽しい!漫画家になりたいなー!と思っていたら、絵が上手すぎる子が転校してきて、小6の時に、ものすごい敗北感を味わいました。
そこから、絵を描くことの楽しさが半減して、ぶりっこしたり、悪口を言いまくるクソガキになっていきましたね。笑
交換ノートや、お手紙交換に、本当にろくなことを書いてなかったのでは。
中学では心を入れ替え、清く正しく生きようと誓います。笑
大人しくて根暗なのはよくないと思い(祖父に指摘されていたので)、明るく元気になりたくて、演劇部に入りました。
滑舌悪いのに
1年生の頃は意識高く頑張っていましたが、だんだんやる気は分散していきました。
反抗期もあって、苦手な理数系の勉強を放棄するようになってきました。
「このままでは、いい高校に行けない。親戚一同の中ですごい人になれない」と気付き、
音楽を極めようと思い立ちます
「クラシック音楽を本格的にしている人は、周りにいないから。きっとすごいと言ってもらえる」
ベンツに軽油入れるレベルの間違いを犯し、ここから音楽の道を暴走しはじめたのでした。
「絵描くの楽しい」という、
自分のほんとの声を無視しながら。
井の中の蛙はどんどん毒され…
才能がないと知りつつ、ピアノやソルフェージュを本格的に習いました。
なんとかギリギリで入れたのは、県立高校の音楽コースのピアノ専攻。
ここで、撃沈
みんな上手すぎる。そして、楽しそう。
音楽が心から好きで、高めたくて練習しているのが伝わってきました。
私はというと、
クラシック音楽は好きでしたが、譜読みが遅い、そもそも練習が苦痛。
実技試験も平均より下で、無価値感を毎日実感していました
そして気配を消してたので、友達もすぐにできず…
なかなかツラい日々。通学の小田急線で痴漢に合うし。
歌に興味はあったので、合唱部に入りました。
声楽を習い始め、専攻をピアノから声楽に変えました。
だんだん楽しくなってきたけど、上を見たらキリがない。
未熟な私は、合唱部で部長になって頑張って、まわりに認められようと思い立ちました。
人をまとめたり、前に立つなんて、全然むいていないのはわかってるのに、
またもや承認欲求の暴走が始まりました
そして、高校3年の時は、常に疲れていました。
こんなに疲弊してるJKいる?ってくらい、先生からの着信に怯え、目は死んでました。
「〇〇を叶えたいから、そのためにこの部分は苦手だけどがんばるぞ!」
っていう努力だったら、踏ん張った先にいい結果が付いてくると思いますが、
私は
「部長という役目で、関東大会に導いたりして家族にすごいと思われたい!」
という、間違った努力で進んでいました。
そりゃ毎日疲弊し、楽しくないでしょう。
全国大会とかに行けましたが、心から楽しい!やり切った!感覚ではありませんでした。
先生や部活の子達にも迷惑をたくさんかけてしまったと思います。
自分のせいでヘトヘトになっている毎日でしたが、友達に救われることがたくさんありました。
最終的に、特に仲良かった3人の友達のおかげで、高校生活は楽しいと思えるようになりました。
海外研修で、ヨーロッパに行くこともできました
生で見たウィーンの街並みがとても美しくて、「こんなに綺麗なものが世界にあるんだなぁ。絶対また見たい!」と思いました。
それから、ヨーロピアンな美しいものが、私の生きる糧となります。
暴走しながら得た、華の女子大生
推薦で入学した、女子大の音楽学部演奏学科。
ミッション系の、華やかな大学です。
(女優の桐〇美〇さんが同じ学年にいました。お顔が、こぶしくらいの小ささでした)
もともと好きだったキリスト教に触れられるのは楽しく、聖歌隊にも入りました。
あと、直感で外部の合唱サークルにも入り、充実した日々を送りました。
充実はしてるけど、「自分が何が好き、嫌いで、何を望んでいる」かはよくわからない毎日。
「神様の導き」を都合よく解釈して、ふわふわと生きていた面があります。意図をすっ飛ばして、委ねすぎてた感じ。
学費がとてつもなく高いと親から聞いていたので、元を取ろうと真面目に勉強はしていました。笑
そんな中で、クラシックの中で「古楽」(主に、音楽の父バッハよりも更に古い時代の音楽)に出会いました。
一日中聴いたり歌ったりしていたいような好きな音楽が見つかり、練習が楽しくなりました
自分にも合っていたのか、古楽の研究を夢中でしていたら、成績がみるみる上がって、最後の演奏会の出演者に選抜していただくことができました。
私は声も小さいし、豪華なオペラ歌手タイプではないことを引け目に感じていましたが、これまでの努力を見ててくれた人がいたんだー!!と、発表を見て嬉し泣きしました
大学は眩しいキラキラハイブランド女子ばかりで、友達少なかったですが笑、
合唱サークルの方ではたくさん楽しい思い出を作れました。
サークルは自分を開放できてた、貴重な場所だったと思います。みんな優しかったからか、物怖じせず色んなことをしていました。
大学は華々しく卒業!
したものの…
私はずーっと遊んでただけの悪い子?
就活をせず音楽に打ち込んでいたので、卒業後は、
・細々と音楽活動(たまにコンサートやレコーディング)、勉強
・結婚式の聖歌隊の仕事
・お年寄りの合唱指導の仕事
これらで生きていくことになりました。
プロの合唱団のオーディションを受けましたが、とても狭き門で、落ちました。
音楽の世界では、大学卒業=幼稚園卒くらいよ ということを大学の先生から聞いていたので、「これから大変だけど、仕事しつつ、こつこつと古楽を極めていこう」と自分なりに決意はしておりました。
スケジュールはそれなりに埋まります。毎日家を出る時間が違うので、忙しい実感もあります。
でも、だんだんと、暗雲が…
我が家では、初任給で、家族に何か買ってあげる習わしがあったそうですが(バブル期に就職した叔母がしていた)、私は初任給らしい初任給はないし、社会的身分は、ダブルワークのフリーター。
わずかな賃金で、家族に何かプレゼントを渡しましたが、
なんか惨めで、情けなくて、何を買ったか覚えていません。
そして、
卒業後しばらくして、地元の文化団体主催のコンサートに出ることになりました。
親戚一同が聴きに来てくれたのですが、かけてくれた言葉は、
「よかったわよ〜👏
で、これからどうするの??」
消えたくなりました。
この前か後か定かではないですが、家で練習していた時に、祖母から言われた、
「音楽は遊びだからねぇ。これから頑張らなきゃね!」
こちらも心臓をナイフでえぐられる思いでした。
「私は一応、誇りを持って音楽を勉強してきたんだけど…
遊んでると思われてたんだ。」
「ずーっと遊び呆けてる子として、みんなの間で話されるのか。」
ショックで、こんなことをぼんやり考えていたと思います。
でも、自分の本音を無視してきたので自尊心は低く、他の人が正しい と思い込み、
誰にも相談できませんでした。
家族の雰囲気を悪くしたくなくて、飲み込みました。
周りの友達は、有名な企業に就職して、とても充実してそうだったので、私は虫けらのように思えてきました。
この頃、飲み会やお茶に誘われても、ダメージを和らげるためにひたすら飲みまくっていたか、全然本音を言わずに上辺だけの会話になってしまっていたと思います。
声楽の先生には話したかもしれませんが、音楽は先生がゴールを用意してくれるものではないし、何をするのも自分次第。
何もしてくれない先生を恨んだこともありますが、結局、決めるのも望むのも全部自分。
恋愛も散々で、自分を大切にしないから、同じようなヤバい人を引き寄せました。笑
情けないから、家にも帰りたくない、でも稼げるお金は少ないので、帰らざるを得ない状況でした。
思いがけないところで、夫と出会う
意地で続けていた音楽。
合唱指導をイヤイヤしてたらクビになったり、次に就職したコンサートホールは休業中で、脳みそが溶けそうなくらいヒマでした。
音楽活動は、ごくまれにコンサートやオーディションがあるくらい。そして高いレッスンに通う、自転車操業の日々。
仕事していてかっこいい友達や、社員さんを見ていて、「お金も稼ぎたいし、音楽に関係のある会社に就職しようかな」と思い、求人を漁りました。
たまたま働いてたコンサートホールで、最近
演奏会を開催した、ある楽器メーカーに就職することになりました。
勤務地は憧れの、青山の一等地
正社員で働けることに嬉々として伺ったのですが、楽器よりも「自分」を売りたい会長、週1しかない休み、場所はいいのに全然お客様の来ない日々…
「これでは、音楽もできないし、自分も成長できないし、絶対良くない」と思って、早々に退職したい旨を伝えます。
(社会不適合者もいいとこですね笑)
承諾をいただき、次の社員が決まるまではアルバイトすることになりました。
この会社で、兵庫の本店で働いてたのが、今の夫です。笑
少し先輩だったので、電話では、頼れるおにいさんでした。
実際に会うのは、しばらく後です。
青山でアルバイトをしていたら、同僚にとてもキレイな50代の方がいました。
あまりに年齢より若くてイキイキしてるので、色々話を聞いていたのですが、ネットワークビジネスを紹介されましたww
怪しい!と思いつつ、自分を虫けらだと思っていた私は、ホイホイ話を聞いてしまい、その方が尊敬するヒーラーのおばちゃんにまで会うことになりました笑
どこか、心の拠り所がほしかったのです。
結局、ネットワークのシステムも、ヒーラーのおばちゃんも違和感だらけだったので、夫の協力もあって脱することができました
その後、音楽の仕事でレコーディングしたものが神戸の植物園で流れるとのことだったので、友達と聴きに行くことにしました
ここで、夫とも初めて会う約束をしました。
電話の声が低めだったので、勝手に大柄な人を想像していたら、豆柴のような男の子が現れてびっくりしました笑
一緒にいて自然体でいられるし、動物やクラシックが好きで意気投合したので、数ヵ月後にお付き合いを始めることになりました。
自分が心からときめく、美しいものに触れた日
楽器メーカーを退職し、次の就職まで間があったので、フランスに10日間一人旅しました。
死ぬまでに絶対行きたかったので。
スリが多いので、緊張はしてましたが、どこを見ても美しく洗練された光景に、魅了された日々でした。
特に、ベルサイユ宮殿には開館から閉館まで入り浸り、完璧なロココスタイルを目の当たりにし、幸せを感じていました。
隅から隅まで目に焼き付けていました
魂が、底から喜んでいる感じを、味わいました
ちょうどその頃、フランスの宮廷歌曲を勉強していたので、楽譜も買えたりして楽しかったです。
帰国し、インテリアの販売職を始めます。
好きなレースに囲まれて働けるのは嬉しく、ラッピングやディスプレイの楽しさも知ることができました。
ここでは契約社員だったので、音楽は続けており、古楽の専門の先生に習う機会をいただきました。
憧れの先生に指導してもらえて幸せで、もう一花咲かせたいと思うようになり…
また承認欲求の暴走族、
なんと国立の大学院の受験を目指します
自分でも驚くほど、きっぱり辞める
古楽科を受験するために、必死でその様式の勉強をし始めました。
楽しいし、やりがいもあるのですが、未熟さを痛感する日々。
がむしゃらに動きましたが、承認欲求による車は、燃費が悪すぎるのです。
未熟すぎる自分に嫌気がさすようになり、モチベーションは急降下。
受験の直前に伴奏をしてくれる方と合わせる時は「受からない」という自信満々で臨みました。笑
大学院を仮に受かってからのイメージより、人と比べて未熟すぎる自分ばかりイメージしてしまっていました。
国立の狭き門、もちろん敗れました。
合格発表の翌日、抜け殻のようになっていたら、母がお小遣いをくれて、リフレッシュしてきなさいと言ってくれました。
惨めではありますが、もう惨めな自分に慣れてきていたので、横浜で1人マシュマロパンケーキを爆食いして、気分転換しました。笑
これが、2014年の9月。
これを機に、きっぱりと音楽の勉強を辞めました。
もう、やりきったし、これからは人生をもっと楽しみたい とどこかで思い始めました。
夫と遠距離恋愛だったので、毎月関西か関東で会うのが、純粋に楽しかったです。
契約社員の仕事を増やし、少しずつ貯金できるようになりました。
ぽっかりと空いた音楽の穴で、医療事務や、簿記の勉強を始めました。
数字は、苦手です。
ここでもまだ「苦手なことをして頑張ってる自分」を感じたかった。
承認欲求は、健在でした
神戸への嫁入りと、ハンドメイドの楽しさ開花
年末に夫がプロポーズしてくれて、結婚することになりました。
友達の結婚式に参加して、幸せそうだなぁ〜と思ったので、嬉しかったです。
ゼクシィを読んで、花嫁DIYについて知り、こんなんみんな作ってるのか〜、となんとなく自分も作り始めました。
ラッピング講師をしている叔母に、ウェルカムボードや席札を習ったりするうちに、
「これ大変だけど、めっちゃ楽しい!!!!」
と感じます。
テーマカラーも決められるし、アイテム次第で雰囲気も作れるし、ゲストそれぞれにおもてなしの気持ちも込められるし、、
私には花嫁DIYが合っていました。
ロゼット、ペン、招待状、プチギフト、ギフトバッグなどなど、式場の営業をことごとく無視し、作れるものを作りまくりました。笑
夫も作業に巻き込んで、自分たちらしいグッズを揃えました
そして迎えた結婚式は、ベルサイユ宮殿の観光並にw楽しく、幸せな時間となりました。
ヒマと孤独と宝塚
神奈川から神戸に引っ越してからも、以前のレース販売の会社で働いていました。
神戸の某百貨店の7階にいましたが、とにかくお客様が来ない。このテナントだけみんなから見えてない?ってくらい、寄ってくれないw
ヒマすぎて何かしたくなり、求人を漁り始めました。
夫と休みが合わないこともあったので、土日休みの安定した仕事を探すことにしました。
そしてこの頃、平日に1人で宝塚を見ました。
高校の時に1回オペラ座の怪人を見たのですが…もったいないことに、全然記憶がないのです。(疲れてたJKだったからね)
なんとなく、また見てみたいと思って、星組の当日券をゲットしました。
住みやすい神戸で、ハッピーな新婚生活を送ってましたが、やっぱりどこか寂しかったのでしょう…
宝塚にめちゃくちゃ癒されて帰ってきました笑
舞台のすみっこでも笑顔全開な若い子とかに、元気をもらいました。
夫の友達とは仲良くさせてもらってたけど、自分の友達はいない時だったので、いい感じの趣味ができました。
地獄の始まり
百貨店がヒマすぎて脳が溶けた私、またもや暴走を始めます(何回目よ)。
充実感やがんばってる実感がほしかったのと、もうほっといたらいいのに、親戚や祖母からの承認欲求が再発し、
ジュエリー会社の、経理の仕事に応募します
算数は大嫌い、高校の数学で2点とか取った実績があるのに、この選択をしました。
中身めちゃくちゃな会社だったので、社長は私の履歴書の字の綺麗さで内定をくれました
ちなみに、社長はゴルフや接待にばかり行っていて、日中会社で働いてる姿はほぼ見かけたことがありません。
経理の前任者はすでに退職し、誰にも聞けない環境でした。
他部署の先輩は、めちゃくちゃ愛想がなかったり、決して雰囲気のよくない環境。
1人だけ女神のような先輩がいて、その方だけには本音を伝えていました。
入社後に、ボーナスが無いことを知ったり、
さらに展示会で自分で集客、高額なジュエリーの販売をしなければいけないことを聞かされました
展示会は7月と12月。
世間ではボーナスの時期ですが、自分らには何も還元されず、10連勤をするのは苦痛でしかありませんでした。
友達いないから、呼ぶ人もいないし。笑
「もう二度とこんな苦しい思いはしない」と誓って、また転職活動をしました。
誓ったはずなのに??
福祉施設の経理、総務事務に転職しました。
こちらも苦手な数字ですが、人間、続けてると少しずつ慣れてくるもんですね。
数字に対する嫌悪感は薄れて、簡単な仕事はできるようになりました。
この頃、結婚式のハンドメイドの楽しさをもう一度味わいたくて、色々トライしていました。
・レジン、羊毛フェルト、フェイクスイーツ、レース編み、友禅染め、靴作り、DTPデザイン などなど
習ったり、独学で試したりしました。
レジンのアクセサリー作りは手軽で楽しかったので、たくさん作って、実家の野菜を卸してる販売所に委託販売させてもらうようになりました
再び、何か極めたい欲が、ふつふつと湧き上がってきました。
結局、音楽に次いで夢中になれることを、4.5年探し続けていました。
と同時に、仕事に関することを極めた方がいいんじゃないか?と思う自分もいて、
事務関係の難しい資格を取るために、講座を申し込みました
「もう二度と大変な思いはしない」と誓った半年後くらいです。笑
結婚してから、仕事も家事もぜんぶ自分でがんばることに拍車がかかっていた私、
毎日20:30くらいまで資格の勉強をしてから帰っていました。
夫は置いてけぼりで淋しがっていましたが、無視して休日も図書館にこもる日々。
それどころか、夫に「あなたはなんで向上心がないの?」とか言ったこともありました。
暴走している上に、この発言、イヤな奴すぎる。笑
難関資格なので、とにかく勉強勉強勉強の日々でした
母が元看護師で、「国家試験の時は、人生で1番勉強したわ〜」と言っていたのですが、
なんとなく、それに憧れてました。
私も人生で、本気出して何かに注いでみたいと思ってました。
(もう充分音楽に注いだのに、すぐ忘れるんですよね)
そして、謎の腸炎を発症して倒れ、入院。
もう笑うしかない。笑
「すごいと思われたい」をやっと手放す
入院して、勉強もしばらくできなくなり(でもテキスト持ち込んでた。ヤバいな。)、受けたけどあっけなく散った資格試験でした。
夫は、ひどいことも言ったにも関わらず、何も責めず毎日病院に来てくれました優男。
音楽を手放してからの、再びの挫折。
疲れ果てていました。
なんでこんなに頑張ってたんだろ?と入院中に振り返りました。
祖母や親戚とは離れられたけど、ラスボスのように、夫のおばあちゃんが現れました。
夫はおばあちゃんにめちゃくちゃ可愛がられており、何をしても、存在してるだけで「大好き」の嵐。
私はそんな風に、愛情をわかりやすく受けたことがないので、生きてるだけで認められてる夫がうらやましいと思いました。
私は家族に容姿をけなされてばかりだったので、夫が「まゆげが凛々しいわァ」とか褒め称えられるのを見て、呆気にとられていました。笑
そして、「私もおばあちゃんに認められたい」と思い始めます。
試験を受けた動機も、そこに結びつきます。
この頃は、いい嫁キャンペーンをしてましたしね。笑
でも、
さすがに心身疲れ果て、懲りたので、勉強は一時中断。
夫と話して、増税前に住宅を購入する話になりました
お城を手に入れ、家族が増える
神戸のはじっこの、山の上。
建売だけど、中が白くてキレイなお家に決めました。
インテリアや整理整頓についての本を読み漁り、理想のお部屋を作り始めました。
壁紙や家具を色々なところで探すのは、結婚式の準備に共通する点があって、楽しかったです。
少しずつ家具をそろえ、自分の部屋も整えて、小さいながらもときめく空間にしていきました
やっぱりロココ調のものが好きだと再確認。
掃除や片付けができないと思い込んでいましたが、自分の城は掃除も苦ではないと気づきました。
そして、、
2018年に妊娠、2019年に娘を出産しました
大切なことを、娘に気付かされる
初めての出産と育児、夜寝ないし離乳食食べないし、色々と大変でした。
でも、我が子は想像を遥かに超えたかわいさで、
「この子には絶対幸せになってほしい」
「たくさん愛情のある言葉をかけてあげよう」
「好きなものがたくさん見つかるように、準備してあげよう」
と、毎日思っていました。
そしたら、娘の散歩中にふと、
「私は幸せ?」
「ママみたいに生きてね。人生楽しいよ!って子どもに言える?」
と、浮かんできました。
住む家も仕事もあるし、家族もいて不自由ない生活で、「幸せ」ではある。
でも、娘に見習ってほしい生き方かと聞かれたら…
ちがうと気づきました。
そして、「自分がまず幸せにならなきゃ」と思って行動しはじめます。
読んだことのない本を読む
それから、育休中に色々な本を読みます。
例えば、キャッチーなタイトルの、宮本佳実さんの本「可愛いままで年収1000万」では、
「自分の好き、わくわくに従って生きよう」とか、「まずは自分を満たして、溢れた分で人を幸せにしよう」と書かれていて、衝撃でした。
人を大切にと、聞いて育ってきたので、
自分に優しくしていいの!?と。笑
「ザ・シークレット」を始め、引き寄せの法則関連や、
ネットワークビジネスの界隈で飛び交ってたために嫌悪感があった「マインド」に関する本など、とにかくタイトルに惹かれたものを読みまくりました。
新鮮な文章を読んでいたら、人と比べて卑屈になる思考回路が、ちょっとずつ柔らかくなっていきました。
夢中になれるもの探し、ついに完結
その頃のハンドメイドは…
娘を産む前から、ミシンでスタイや肌着などを作って、販売していたこともありました。
レジンアクセサリーは、材料が多かったり、細かいパーツを落としたら危険なので、産後はお休みしました。
そして、
娘の初節句で、和服に合わせるものを探していた時に出会ったのが、つまみ細工です。
百均で布を買って、ネットで作り方を見ながら作ってみました。
お恥ずかしい出来栄えですが、
布を折りたたんで花びらができた♥️と嬉しくなったのを覚えています。
糊と布で、こんなにかわいいものが作れるんだ〜!とときめき、
しかも、日本の伝統工芸なんだ!
と、嬉しくなりました。
私は1から新しいものを作ったり、
流行によって変化が著しいものを作ったりするより、
長く愛されている、本物の文化や工芸を追求、継承したいという思いが、強くありました。
なので、友禅染めや靴作りを学んだこともあります。
つまみ細工は200年の歴史がある伝統工芸。
アートのような、美しいかんざし。
そして、自分の好みのアレンジもできたりするので、
これは、ぜひとも極めたい と思ったわけです。
まだつまみ細工について、1ミリも知らなかったのに
セルフコーチングで、骨董品の山を整理する
色々な本を読む中で、「コーチング」というものがあることを知りました。
目に見えないけど、内面を整えたい、自分の人生、納得いく生き方をしたい。
これは、1人で解決するのは難しいだろうなと思ったので、サポートしてくれる方を探します。
メンタルコーチ、〇〇スタイリスト、セラピスト などなど、たくさんいらっしゃる中で、叶羽時
さんのもとで、学ばせていただこうと決めました。
好きな宝塚歌劇団で活躍され、努力家で、
真摯にお仕事に向き合ってるのがビシビシ伝わってきたので、勇気を出して申し込みました。
そして、3ヶ月みっちり、自分と向き合いました。
自分の好きなこと、嫌いなこと、大切にしたいもの、理想のスケジュールなどを書き出したら、ボロボロと本音が出てきて、それがこれまでの行動と相反するものでした。
過去を振り返って、昇華させたり、
未来の年表を書いたりしました。
神様の導きを、深く理解せずに成り行きで生きていた私にとって、理想を描くという行動は、とても新鮮でした。
スクールの卒業後は、
30年間、本音を無視し続けてごめんね、という気持ちと、頑張って生きてくれてありがとう という気持ちが溢れてきて、これからは絶対に納得いく人生を歩もうと 決めました。
たくさん考えて、自分と対話して決めた人生のテーマは
「にこやかに、しなやかに、美しく」
です
ちょっと全然違うじゃん!って行動をしていたら、教えてくださいね。笑
どう生きるか=どう働くか
コーチングの中で、違和感が最も出てきたのは「仕事」に関することでした。
入院して、承認欲求の呪いから解き放たれた後は、
正社員で安定していることこそ正義。と思い込んでいました。
育休に入る前、職場の理事長に挨拶に行くと
「母ニナッテモ、夢モッテクダサイネ。
ニホンジン、夢ナサスギ!!」
と言われました。(韓国人の方です)
正直、ハァ?あなたの法人でずっと事務のおばちゃんするだけですけど?
と、当時は思っていました。
仕事は我慢。給料は我慢料 と、完全に刷り込まれていました。
ですが、理想の生活を書き出したら全然現実とは違うことが出てきました。
・本当に好きなものを作って売ったり、教えたりして働くことができたら、幸せだろうな。
・仕事は我慢なんて、子供に伝えたくない。
楽しく働く姿を見せたい。
・なるべく家の近くで働いて、「おかえり」と言える生活をしたい。
ちょっとずつ作っては娘に着けていたつまみ細工を、本格的に学び、いつか仕事にしたいと思うようになりました。
そして、今に至ります
もう、「親戚にすごいと思われたい」と思う私は、いません。
自分がしたいからする。そして、好きなことを極めて、人も幸せにしたい。そんなガソリンを入れて、やっと動き始めました
ただ、自分の納得いく人生を歩みたい一心で、日々ゆっくりですが、進んでいます
本当に長くなりましたが、赤裸々に書いてみました
美しい花を作るために、美しい心でありたいです。
これからも、内面を豊かにし続け、つまみ細工の技術も向上したいと思います。
今後とも、よろしくお願いします
教室の準備を進めています!
現在も、つまみ細工コーディネート協会の基礎講座や、フリーレッスンは受付中です
𝕝𝕟𝕤𝕥𝕒𝕘𝕣𝕒𝕞