何年ぶりですかね。

おはようございます。

 

ご無沙汰な間にいろいろなことがありました。

基本的には大問題ではないのですが。

いずれの問題も寛解してるのでまあ良しとしましょう。

 

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今日は忘年会です。

忘年会の前にお仕事しなきゃですけどね。

予定が苦手というか。

期日が決められてる行事が煩わしいので

早く終わらないかなーっと思って今日にいたる。

 

飲むのは毎日飲み歩いているし、だれかと飲むのも苦ではないのだけど。

「予定が嫌」ってだけ。

気分で変更できないし、天災とか天気とかでそれどこじゃないときのこと

考えたりとかすると面倒だ―となります。

 

そういう理由で、

ここ何年か美術館(要予約)に行ってないのです。

早く予約しなくていい日がこないかなー

 

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ことしの冬はなんか暖かい。

電車は毎日激混みで、ドアが開くと涼しくて気持いいです。

着ていくものが難しいですね。

 

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そろそろお仕事スタートしますかね。

 

大和郡山藩本多家墓所

写真を整理してて気になったので調べて見ました。


本多忠烈にて無嗣断絶したためこんな感じにあれちゃってますが。
墓所全景


一番左
慈雲院殿(池田光政女)

 元禄十丁丑年
慈雲院殿梵音性海尼大姉
 十二月十一日

 順淑大夫人池田氏之墓
 元禄十一年戊寅孟春
 本多能登守藤原忠常為
 亡母立
慈雲院殿墓の側面


※大和郡山藩主本多忠常の母
 岡山藩主池田光政の娘 奈阿姫さま


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真ん中
桂岳院殿(本多忠烈)


 享保八癸卯年
桂岳院殿清貞自香大居士
 十一月廿六日

大和郡山藩五代藩主 本多忠列
兄(忠村)の死去により7歳で藩主となるが、
翌年死去。継嗣がなく本多家は断絶改易となる。

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右側
玉巌院殿(本多忠村)

 享保七壬寅年
玉巌院殿霊光智照大童子
 九月三十日

大和郡山藩四代藩主本多忠村
父の死去により7歳で藩主となる。12歳で死去。

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明信院墓所の写真。

まずは確実なところから。
これは文昭院奥ノ院下と書かれた手彩色古写真。

左側の銅塀の奥に宝塔の笠だけ見えます(笑)

昨日の写真は南から撮っていますが、この写真は東から撮っています。
昨日の写真でいうと右側からみたものです。


琥翔さんが指摘された銅灯籠が塀の手前に並んでいますね。
文昭院の廟前灯籠になります。


さて、明信院の宝塔ですが
屋根だけですので、どんなのか分からなかったのですが、

こんなんだったわけですな。

 
 笠石:四角、宝珠
 塔身:八角、正面と側面は花燈曲線で彫り込み一段。
 基台:蓮華+返花座の組み合わせ、外形は四角。
 台石:四角

てなとこでしょうか。
それと写真はこの山から撮ったものと思われます。
地図で見てみましょう。



昨日、琥翔さんがコメントしてくれた写真、この下にありますでしょうか??
(私も『鹿鳴館~』は持ってるので、帰ったら見てみますが、まずは手持ちの関連資料から^^)
増上寺の古写真で紀州家所縁と思われるものです。

その1(写真番号7231)
これらはおそらく紀州家の夫人のお墓の形式ですね。
胴の形は丸のようにも八角のようにも見えますね。
それ以外は明信院殿の宝塔と仕様的に合います。

もう少し絞った写真があればよかったのですが。。


もうひとつ似たようなもの
その2(写真番号7299)

笠石:四角
胴:八角、正面に扉、斜め位置に三つ葉葵紋
基台:蓮華+返花座の組み合わせ、外形は四角。
台石:四角、2重
これはあきらかに意匠がことなるので、ちょっと違うかなー。


とすると、こちらが俊岳院殿(紀州徳川家に養子で入った)かな???


ですなぁ~。