【暮らしの中の仏教語】自業自得(じごうじとく)その2 | 吹田・関大前☆タロットリーディング@静心庵◆叶 淨華◆           

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おはようございます
吹田・関大前 古民家サロン「静心庵(せいしんあん)」主宰
・タロットセッション 僧侶の叶淨華です♡




普段生活の中で何気なく使っている言葉
これって、大いに仏教から来ている言葉が多いのです。

このシリーズでは、間違えて使っている仏教本来の言葉を知るために
綴っていこうかと思います。


第二回は「自業自得」その2
   ✿
「自業自得」その1はコチラ

さて、前回の「自業自得」その1では、
人間の根本的な願いはその業の束縛からの自由、
決め込まれてしまう自分からの自由だと言いましたね!

仏教の歴史的な課題もそこにあったのだと!


仏教で明らかにされる業(ごう)の業たる意義は、
意識にのぼる表層的な業だけではなく
その奥底にずっと働き続けている、意識下の深層の業にあります。

深層の業は、いかに反省しても日頃の心では気づきません。

だから、納得できずに暗くなってしまうのです。

そこに、仏の教えに出会う大切さがあるのです。
 
「自力諸善(じりきしょぜん)のひとはみな
 仏智
(ぶっちの不思議をうたがえば
 自業自得
(じごうじとく)の道理にて
 七宝(しっぽう)の獄にぞいりにける」(正像末和讃)


自分を過信する人は、仏の智慧を疑い、広大なお育てをまったく
受け容れていないので(自業)
孤独の牢獄に苦しんでいるのです(自得)。
これこそが、自業自得の道理なのです。
と、ほとけさまは呼びかけて下さっています。

そしてその呼びかけに、わが身の深層が呼び覚まされる時
その道理に納得して我が境遇を生きる身になるのです。


自業自得とは、反省を要求するような、狭い言葉ではなく
より深く仏さまのお心に気付かなかった自分に気が付く。
そしてその自然の道理のままに、おおらかに自分の境遇を
引き受けて生きる智慧だったのです。


※少し説明が難しかったでしょうか?
何気なく、使っていた「自業自得」という言葉は
決してネガティブなものではないのです。

よいのも悪いのも、自分に現れる結果のすべては、
「自業自得」、自分の行いによって生み出されたものですよ
と、
お釈迦さまは、教えられているのです。




今日も、仏像の画像でお楽しみ下さい!

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