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吹田・関大前「静心庵」・僧侶の淨華です
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そろそろ学校は夏休みに入りますね
数年前になりますが、「夏休みこども相談室」というラジオ番組での質疑応答です。
「悲しい時、なぜ涙が出るのですか?」
小学校1年生 女子
この質問に対して、ラジオの向こう側では5人の先生方が、答えを譲り合っていました。
そして最終的に出た答えは・・・
「目の上に涙を溜めておく袋があって、そこが収縮すると涙が出るんだよ」
というものでした。
それを聞いた女の子は「ふ~ん、ありがとうございました」と言って電話を切りました。
さて、皆さまはどう思われますか?
解剖学や生理学を学んでいる学生に答えるのなら、しかたないとしても
「悲しいこと」があった女の子に言う答えではないと思います。
まず、女の子は「悲しい」体験をしたのでしょう。
そして、涙した。
しかし単に涙しただけではなく、涙した自分に驚いたのでしょう。
当たり前の事としないで、一つ一つを不思議と思える純粋性は
子供の特権です。
歳を取るにつれて、どんどん鈍感になっていく自分が恥ずかしくなります。
しかし、鈍感な大人でも涙します。
と、いうことは実は「涙」は純粋性の象徴ではないでしょうか
「涙の数だけ悲しみを知っている」ということです。
「悲しみを知る」ということは、人の優しさのもとになるのではないでしょうか
「優しさ」とは、にんべんに「憂」と書き、人の憂(悲しみ)に寄り添えることが
「優」という字の意味なのです。
悲しみをしっているから寄り添える・・・それが優しさです。
だとしたら
「悲しい時、なぜ涙が出るのですか?」という問いに
「悲しい時、涙が出るのは、あなたが優しいからです」
と、答えてみたらどうでしょう
女の子は「ふ~ん」というかもしれませんが、
少し、気になってくれるかもしれません。
悲しみを知るということは、道を求め未来を作る力になります。
悲しみと向き合うことは難しいことですが、
女の子の純粋な問いは、大人たちに残るわずかな純粋性への期待が
込められているように思いました。
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