【仏教のお話】盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ | 吹田・関大前☆タロットリーディング@静心庵◆叶 淨華◆           

吹田・関大前☆タロットリーディング@静心庵◆叶 淨華◆           

関大前駅すぐの昭和レトロな隠れ家サロン「静心庵」でタロットリーディングをしています。
お悩みをスッキリ解消して、癒されに来られませんか?
また「寺子屋塾@静心庵」と名付けて講座・セミナー・WSを開催しています。

おはようございます
吹田・関大前「静心庵」・僧侶の叶淨華です



涅槃経と言うお経の中にあるお釈迦さまのたとえ話です。


海の底に目の見えない亀が住んでいました

IMG_20160627_223108744.jpg

その亀が100年に一度海の上に浮かんで顔を出します。

広い広い海の真ん中に、穴の開いた流木が一本浮かんでいます。

「亀が浮き上がってくる時、その流木の穴にちょうど顔を出すことがあるだろうか?」


IMG_20160627_223128682.jpg


と、お釈迦さまはお弟子に問われたといいます。

すると、お弟子は「そのようなことはほとんど有り得ないでしょう」と
答えました。

お釈迦さまは、「本当に難しいことだが、まったく無いとは言えないだろう」
と答えられました。

いかに確立が低く難しいことである。

人として生まれるということは、それと同じくらい難しいことである。
たとえ「生」を受けてもいつか死ぬことが約束されているのに

今、こうして生命があることは、とてつもなく有難いことである。
驚くべきことなのである。

それゆえ、今ある命は給わった命であって、一日たりともおろそかに
出来ないはずです。


そのことを
「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」というお話でもって
説かれました。


このお話を今月の法話の中で話すつもりです。
また、この絵は自分で描いたのですが、イメージ伝わるでしょうか?

スマホの写真でキレイな色が出ませんでした
汗