木曽路

最大の難所

国道19号に今では考えられない難所があったという事実。

今や木曽高速の異名をとる長野県塩尻市と岐阜県中津川市の区間。しかし、それは目まぐるしい改良の積み重ねによってできた努力の結晶である。

今回は、最大の難所と言われた塩尻市と木祖村に股がる2つのトンネルと険しい峠道を訪問。


当日2022年4月10日は、午""3時入り。

国道19号と県道493号の分岐付近にある駐車帯に車を停め、少々仮眠。でっかい「P」が書かれた看板が、木曽高速本線すぐ真横のスペースに、ちょっとした安心感をもたらしている。

5時30分、探索開始。
しかし、最初から甘く進むわけではないことを実は承知していた。それは分岐点すぐの「奈良井新橋」に関するある情報を得ていたからだ。
日々車で走るなかで、無意識的に状況が気になってしまうのが新旧分岐点だったりする。この場所を何度か通過していて、その際に気になる表示を目にしていたのだ。
全面通行止め
って言うね。

こうなると大変困った事態である。
ここから先県道439号へ向かうためには、国道を1kmほど、更に上り勾配の山道(塩尻市道川上東線)を歩かなければならない。

橋梁劣化で通行止め
理由が理由だけに、「もし自分が通行中に…(その先はカット)」と考えると怖くなる。確率的には極めて低いだろうが、強行突破はやめておこう。
でも、
こいつ
面白いヤツだぞ

車両総重量16tまでとあり、竣工年は昭和33年。
国土交通省飯田国道事務所のHPによると、昭和32年から改良が始まっていたようだ。
昭和32年 一次改築事業 着手
昭和34年 一次改築事業 完了
     二次改築事業 着手
昭和47年 福島バイパス 供用開始
昭和48年 本山バイパス 供用開始
昭和53年 鳥居バイパス 供用開始
新鳥居トンネルを含む鳥居バイパスの開通が昭和53年、恐らく一次改築事業の際に奈良井新橋が建設されたのではないか。そうなると、20年あまりで国道の座を降りたことになる。

車両総重量が20tを超える、いわゆる増トン車が認められている現在においては改良が必要だと言わざるを得ない。
しかし、その反面これが旧道のいい味を出しているとも言える。

新鳥居トンネルの塩尻側坑口付近にある仮眠スペースに車を置き、木曽の新鮮な空気を吸いながらのウォーキングを始めることとする。
でも実は、今まで徒歩でこちら側の坑口に近づいたことがないのである。

楢川村は、2005年に塩尻市と合併した。
命の明暗を分けるベルト
私風に表現してみたが、決して大袈裟ではないと思う。トンネルを出てすぐ信号という箇所が多いこの道路では、スピード違反や一瞬の目のくらみ、カーブ前の予告灯見落としなど追突事故が起こりやすい。

若くても20年選手のこの看板、道路風景と褪せ具合がいい感じ出してる。

この先に控えている新鳥居トンネルは、鳥居峠直下を1.7kmの直線で貫いている。トンネルに近づくだけで感じる殺気だった雰囲気の中に、とてもではないが生身で立ち入る勇気はない。
しかし、彼の正体を間近でみるというのも今回の調査には欠かせないことである。
ここは、一応一般道
デス。

あれ?
偶然、見つけてしまった。
鳥居峠を貫く道路トンネルは現道に1本(こいつ)、旧道に2つ(栃窪&○○)の計3つと聞いていたが…。
写真右に映るトンネル、旧道の線形を辿ってもこの位置には来ないのである。
もしかして、
鉄道⁉️
トンネル掘りすぎでしょ
なんて思う、いや思ってしまっていた。
因みに正体は、中央西線の旧鳥居トンネルであり単線規格である。

相当な苦労の痕跡、ここにアリである。
"木曽路最大の難所"というのは道路だけではなく、鉄道もであったというのか。

上を通るのが旧国道19号、そして中央西線旧線はその下のトンネルを通っていた。
道路と同じく、列車も本数増加や高速化の要請で改良が重ねられてきた。東海道は新幹線、木曽路は「しなの」というような感じで、曲線の多い線形で効果を大きく発揮する「振り子式機構」によって颯爽と走り抜ける。


蓋はなされておらず、また道路からそこまで離れておらず雪も溶けきっていたので近付けそう。
朝の木曽路、
いいぞ
って、最初から上り坂かよ
と思いつつ、新鮮な空気を吸いながらウォーキングを始めることにした。朝6時30分、夜勤中は寝ている早朝段階からこうして運動をするのは久しぶり。

結構距離があるが、大自然が織り成す美味しい空気に包まれながら漸くここまで。塩尻市道9049号「川入東線」と県道493号の合流地点である。
この橋を渡れば、旧道入口はもうすぐであるはず。

見えた
ワイヤーロープに石のガードレールのようなもの(名前が分かりません)、完全に旧国道の姿である。

段々と標高が下がっていて、もうすぐ県道との分岐点に差し掛かる。なんだか、ワクワクしてきた。

きたぁー
いよいよご対面。
幅員がちょっと不自然だが、右に分岐してバリケードの奥には木祖村へ渡る鳥居峠旧道が待ち受けているのである。
開かぬなら開くまで待とう…
開かぬなら跨いでしまおう…
待っていても永遠に開くわけがない。
強引が好きではない私(豊臣秀吉)に、織田信長を供用する伝説の旧道。
よし、
やっちまえ❗
という訳で、柵の先の世界に足を踏み入れるのだった。

Vol.2へ つづく