ガードレールの奥にあるものは最高の発見だった。

最近は改良事業の対象となった道路を中心に見てきたが今日は久しぶりに、幹線国道の旧道を訪問。

こいつがすごい


山の上に現れる高規格道路2本。
国道361号と国道19号の重複区間が終わる、長野県木曽町の神谷入口交差点。
国道361号は姥神・権兵衛トンネルの開通で、伊那市街地へのアクセスが格段に向上。神谷入口ランプは、三遠南信自動車道の喬木ICと似たような幻想的な光景を見ることができる。

木曽地域は災害などで孤立する危険があるため、高規格道路やトンネルで険しい地形を貫くことで交通の安定性を確保している。
現在進められている国道19号改良もそれ。

奥にトンネルが控え、手前に分岐点。
この感覚は間違えなく旧道だろうが、簡単には出入りできないことはこの位置から確認することができた。

山の旧道とはこう言うものである。
木々は道路の1車線分を占領するまでに育ち、アスファルトの割れ目からは雑草が顔を出す。
落石崩壊等危険なため
立入禁止
管理者 日義村
2段重ねのガードレールに、注意書が貼られた金網扉。右側には人一人が容易にに出入りできる

スペースがあったが、ここでは2人の重圧に負けてしまった。

それに"日義村"という地名、気になる。


トンネル名は山吹トンネルと言い、長さは3,340m。
長いトンネルがある場所は、旧道が難所である可能性が大きい。

トンネルを越えると木祖村に突入。
「木曽」ではなく「木祖」であるのは、この地が木曽川の源流の地で、最初という意味を持つ"祖"という漢字が当てられているらしい。
因みに、名古屋側坑口を出れば木曽町に入る。

ここが木祖村側の旧道入口である筈。
逆側に立入禁止とありながら、こちらはガードレールが門番代わりに設置されているだけ。

流石嘗ての幹線国道である。
旧道降格からもうすぐ40年が経とうとしているにしては、センターラインが意外にはっきり残っているし、アスファルトはそこまで荒れていない。
木曽町側とは大違いで、どこで状況が変化していくのか。


あったぁぁー
旧道で見るカントリーサイン。
ここまで綺麗な保存状態?は廃道にしては上出来である。そして、両方とも落下せずに残されていた。
日義村
2005年10月末まで長野県木曽郡日義村という地名で、合併により木曽町に編入された。

旧1級国道、現在の直轄国道の管理者である国土交通省。その前身省庁である建設省の文字があった。

中央西線の直ぐ真横に出た。
昼間の最長超特急
そんな異名をとった特急「しなの」。道路が木曽高速で、鉄道も似た者同士。嘗ては長野・大阪往復便が1日1便あったが、数年前のダイヤ改正で廃止された。
やっぱり、東京に出ずに木曽ルートを辿ったほうが距離は短いのは鉄道も道路も一緒なのである。

清流・木曽川が流れる。
昔ながらの国道の味を出す調味料のひとつ、ワイヤーロープは茶色く錆びきっていて、背も低い。おまけに下は断崖絶壁である。
道路の幅員も現在に比べたら狭いため、カーブの連続と合わせて考えるとやっぱりこの名が似合う。
難所
この2文字、相当強いパワーを持つ。

愕然
雪崩が…
そう言うことである。
落石に雪崩という悪条件は、災害に弱い事実を物語る。線形不良に加えてこれでは、とても国道19号の役割を担える状況ではなかったのは明らか。
現在進む改良事業のテーマには「災害に強く、異常気象時の通行規制区間解消」があり、昨年11月完成の桜沢改良、現在建設中の藪原改良もそうである。

あぁ‼️
生で見たのはこれが初めて、感動した。
40高中
ここが国道であった頃は、現在とはことなり「高速車」、「中速車」そして「低速車」という3つの分類があった。
高速車の法廷速度は60km、中速車は50km、低速車は30kmとなっていた。主な分類分けはこう。
高速車=大型バス、普通乗用車、排気量250cc以上の自動二輪車
中速車=トラック、排気量250cc以下の自動二輪車
低速車=原付
1992年の道交法改正で、原付意外一律制限60kmに引き上げられて現在に至る。

現在の木曽高速区間は50km制限で、線形もよく実態の平均速度は60kmを越えるスピードで流れている。

この先も発見の連続。
画像の枚数の関係(15枚まで)で、次の記事にて。

つづく