国道19号の重要性は、今年(2021年)8月の豪雨災害で身をもって体感した。

中津川市と木曽地域で路肩崩落が発生し、通行止めになった。更に、中央自動車道も土砂崩れの為に飯田山本ICと中津川IC間で通行止めとなり、愛知や岐阜方面から長野県東信地方に抜ける主要ルートが完全に寸断された。


唯一残る豊田市から南信地方を経由して塩尻市に出る国道153号は、中央道や国道19号の交通が迂回してきて大渋滞。バイパスの整備が進んできてはいるものの、市街地を通る未整備区間は信号も多く幅員も狭いために何かがあれば大渋滞が起こる。


通過交通が多くを占め、北は北海道、南は鹿児島まで多くの他県ナンバーを見てきた。その多くが大型車である。

中央道を岡谷ICから中津川ICまで乗ると普通車でも片道3,000円以上するから、規格も十分高く真っ直ぐ長野県と愛知県を横断できる最短ルートとして需要は極めて大きい。


今月(12月)に開通した桜沢バイパスは、線形不良箇所の改良として、更には現道が険しい山間部を走っているために災害などで通行止めになる可能性が高いことでの代替として建設された。

長野県から愛知県まで最短で抜ける国道は19号一本しかないために、通行止めになった場合の影響が大きい。かつては宿場町や集落内を通っていたが、増える自動車交通を捌ききるためにバイパス建設によって機能を強化してきた歴史がある。


2021年12月5日、愛知県春日井市にある内津峠簡易PA。トイレと自販機だけのガチで簡易的なPAだが、"本線"と書かれた青看板や道路の作りを見るとまるで高速道路にいるかのよう。

前日の18時過ぎに群馬を出てから7時間、到着したのは日付が明けた深夜1時。目的地は車で数分の場所だが、日が出てきて明るくなってから活動するために車内で仮眠。

8時に行動を開始。
国道19号「内津バイパス」を多治見方面へ少し走ったところにある小さなランプから流出する。バイパスは自動車専用道ではないために決まり上は歩行者でも自転車でも通行可能だが、信号のない区間が続く高規格バイパスのため、ドライバー目線に立ってそれは止めておいた。

流出した先は、バイパスの真下。
写真に写るトンネルは北山トンネルといい、次に控える内津トンネルで県境越えとなる。

多治見方面ランプ、つまり私がついさっき流出してきた方を指す看板。シールの場合、色褪せても凸凹があるために看板として機能するのがメリットである。

突き当たりの止まれを右折すると、もうひとつのトンネルが現れた。実はこちらも先ほどと同様の北山トンネルで、バイパスとしては上下線別の構造となっているのだ。
信号も少なく上下分離という規格は、自動車専用道を彷彿させる。1日を通して制限速度(60km)をはるかに上回る速度で流れているのだから、見合った造りである。

その先は旧道に向かうために狭い川沿いの道を走る。狭い割には交通量が多いので要注意である。

内々神社
これは「うちうち」ではなく「うつつ」と読む。
ここでぶつかる道が、愛知・岐阜県道508号「内津勝川線」である。内津バイパスの旧道に当たる道である。

旧道は県境に向けて標高をあげる。黄色いセンターラインで区切られている区間は終わりを告げ、写真の交差点を右折すると内津峠へ入る。

旧道からバイパスを見下ろす。
北山トンネルの多治見側坑口付近、ここから塩尻方面に向かって急な下り坂が続く。部分的にグルービング工法が施されていて安定性や凍結防止には強いが、速度が上がりやすい道路規格のため注意が必要である。


ポンポンポン
孤独のグルメの井ノ頭五郎が店探しに向かうときのシーンのように、写真を撮ってみた。それは何故かと言えば、2種類の愛知県が存在していたからである。
1級国道の管理者は旧建設省だから、これの設置主である愛知県は県道降格後のものであるのは間違えない。しかし、書体が新旧2種類ある。

幅員としては片側1車線分は確保できる。

センターラインの痕跡が現れた。アスファルトの割れが酷いせいでライン痕がくっきり浮かび上がっているわけではないが、何とか白点線なのが伺える。
そして、県境を越える峠の主役が現れる。

先の写真を拡大してみると、バイパスの県境がある。
岐阜県
多治見市
つまり旧道における県境もこの近くにあるのではないか。そして、旧道の県境と言えば白看板であってほしい。

よーくみると、左にスリップ注意ともう一つあるようだが…。それを確認していると、ここが県境であるという証拠を見つけることができた。

スリップ注意ともう一つは「右背向屈曲あり」の標識だった。教習所で標識も覚えるが、言いたい意味は分かっても正式な言い方が思い出せないことは意外とあったりする。
名前は国交省のHP に一覧表がある。

そして、見つけた。
多治
木々に覆われていて、それ以上の判読はできないが明らかに県境であることを示している。
上部が曲がっているこの形のポールは、錆びきっているが、国道4号の岩手・青森県境の旧道に設置されているこのポールと同じ形である。
しかし年式の分かるものが今回見ることができなかった。

岐阜県
多治見市
ネット上で見かけた画像では、木々に覆われていない頃の状況を見ることができたが、今現在は看板としての機能を果たしてはいない。
裏面は何も書かれていない。
岐阜県側があったと言うことは、愛知県もあるのではないかと考えたが、発見はできなかった。

多治見市に入ると、大分開けてきた。
このアングルだとバイパスの高規格性をはっきり見渡せるが、それより気になるのがバイパスができる前はどういった地形だったのか。
現在は内津と北山の2トンネルで道路を繋いでいるから、山を切り開く工事だったはず。この道が県境を越える国道19号であった時代は山の切通を通っていたと思われる。

先に進むと、見慣れない標識が。
先程の国交省のリストで探してみたが、掲載されていない。ただ、道路を走ってみた感覚だと、「つづら折り」を示していると思われる。
急勾配で急カーブと道路条件としては最悪な中で、事故も多発したのだろう。

それにしてもデカい。

かんかん照りだが、気温は寒い。
旧道を下っていくと、バイパスに突き当たる。信号がないから、交通量も多く流れも早い道路へ進入するのは少々怖い。

そう言えば、朝食を食べていなかった。
バイパスを下っていくと確かすき家があったな、ということで私は旧道とはお別れすることに。
交通量がある程度あるとは言え、バイパスと旧道では雲泥の差がある。

中々途切れない、
まだか…
よし、今だ。
私は朝食、そして帰路へと旅立ったのである。