7月4日に初めて訪問してから早くも4ヶ月が経過しようとしている。国道19号最大の難所と言われた鳥居峠の木祖村側旧道である。
嘗ては高速道路もない中で大幹線道路として多くの交通を捌いたが、新道が完成し旧道に降格してからというもの管理は最低限度しか行われていない。旧トンネルに向かう途中にある小さな集落の人々が利用するにとどまり、完全な生活道路である。
前回7月に撮影した写真。訪問から 5日後の9日に投稿した記事に掲載している。
それから色々な場所に訪問を重ねること4ヶ月、最初の頃に気がつかなかった点などを踏まえた調査をしたいと思い、再訪することにした。
2021年10月30日、国道142号の一の橋と和田峠を訪れたそのままの足で国道19号へ。
塩尻市側からトンネルを抜けてすぐ、木祖村の看板がある。頻繁に利用する私にとっては見慣れた光景だが、今回は単なる走行ではなくこの道路の先代の姿を見る企画である。
自転車はトンネル内では歩道を通行してください。
国土交通省
木曽警察署
内山、笠取、和田と3つの峠を越えて岡谷ICから高速道路という車の多い。国道19号は道の駅が多い上に宿場町がそのまま国道に昇格した経緯から、旧道の宿場町へのアクセス路としての需要もある程度ある。その為昼は交通量が多く流れはそこまで早くはないが、夜中になれば状況は一変する。
片側1車線の山道でありながら、規格は高く平均速度は70km以上にもなる。
木曽高速
こんな異名をとる道路であり、中央道と競い会える位のルートであるため私もこちらを利用する。斜字にしたのはこちらの方が早い印象があるということ。
1.7kmの直線トンネルで貫く鳥居峠という、木曽路最大の難所は一体どの様な場所か。
これは名古屋から152kmと900mということ。新しく取り付けられたキロポストの横にひっそりと「9」と書かれた小さいキロポストがある。
木祖村の案内看板のすぐ先のT字路を右折すると、写真の場所に着く。右にそれれば旧鳥居トンネルに向かう鳥居峠の旧道が始まる。
標識で必ず見なければならないのは、設置者を指すポールに書かれた名称。よく見ると、白地に黒字で3文字書かれている。
建設省は北海道開発庁、国土庁、運輸省の3つの省庁と合併して国土交通省となった。現在の直轄国道の管理者は国土交通省だが、その前は建設省であった。つまりこれだけでもここが嘗ての19号であったことの証拠となる。
このは153キロ地点、新道でいうと152kmと900m地点。正確に同じ地点かは分からないが、大体で見ると誤差は100mという感じか。
あれから4ヶ月、このキロポストは現存しているのか。
以前より雑草に深く埋もれてしまっていたが、物自体はそのまま残されていた。
木曽路最大の難所はどんなものか。
センターラインは続いているが、塩尻方面の車線幅員が広くなっているような気がするのは気のせいではない。
よく見ると、白い太い点線がうっすらと残る。これも7月の調査の際に発見したときと同じ状態である。
恐らく登坂車線だと思われ、ずっと先まで延びているようだ。
前回来たときはチェーンの先にある砂山が非常に高かったが、今回は低くなっていてスペースも出来ていた。何らかの作業に利用されているということだと思われる。
自動車交通、特に大型車の増加によって道路改良やバイパス建設が求められるようになっていった。その結果誕生したのが、現在の木曽高速。
木祖村側を見たら今度は塩尻側も訪問してみたい。
しかし、残念なのは塩尻側も途中からゲートで塞がれてしまっている為に木祖村、塩尻どちら側からもトンネル迄たどり着けないという事実。
時代の流れとはいえ、道路の世代交代は場所によって明暗が別れることにちょっと悲しさを感じた。