凍てつく寒さの長野県軽井沢町。

真夏の時期には全国有数の避暑地として人気なくらいだから、冬になれば極寒の世界になる。


2022年12月11日、アイツに会いに行こうと決めた。「道路マニア」としての趣味活動というより、一種の研究活動として。

旅行もツアーは苦手、自らで想像の旅世界を展開して造り上げた計画を実行に移すのが醍醐味だと思う。それが高じて北は北海道、南は九州まで走り回って走行距離は3年間平均で6万km。


行く方面は"拘り"と"偏り"があって、西が多い。

理由としては「近く感じる」から。群馬県から愛知、三重、大阪など県境を最低2つ以上跨がないといけない場所であっても、道路の規格がそれなりのものであれば実際の距離数と感じ方は異なる。


私は年がら年中お世話になっている道路のルーツを探るため、車を走らせた。このご時世、色々な種類の観光地のなかでダントツで空いているある場所。

"舐めんじゃねーよ"
早速、冬の軽井沢にお仕置きを受けた。
下はカーゴパンツ、上は長袖インナー&半袖Tシャツにジャンパー。上は合格点だが、下がダメらしい。
歩くのに軽い素材でないと体力が奪われるし、歩けば体も暖まると甘い考えだった。

国道18号の起点は、17号と354号が交わる高崎市の「並榎JCT」。
高崎市から45kmという近さで県境越えルートとして注目していたが、何せ岡谷方面への接続が悪い。
立科や望月方面の国道142号へは中部横断道の無料区間で一気に抜けられるが、土休日は軽井沢バイパスの渋滞の酷さで佐久市の「佐久北IC」に行くまでに、"他の道探すかな?"という気になる。

碓氷バイパスは150mmの雨で通行止になります
山間部を抜ける区間に多く設置されている、所謂「雨量通行規制」の予告看板である。大雨による災害が発生しやすい区間であり、実際に通行止めになれば交通は完全に麻痺する場合が多い。

実際に一昨年国道19号の木曽路区間と中央道が同時に通行止になり、国道153号経由で通常の倍以上の時間を要した。
プールに溺れてもがき苦しんでいる状況そのもので、発生場所も運が悪く木曽との連絡路となる国道256号も361号もダメになり、渋滞や洗い越し状態の道路を抜けながら塩尻市に辿り着いた。

そんな実体験があるから、真剣に情報を仕入れておくという意味で来ているのだとしたら大したリスクマネジメントだが…。
でも正直、そんなことを気にしてはいなかった。
トラウマになるより次に生かそう的な強靭なメンタルを持ち合わせていることは否定しないが、この日の私は違う意味で真剣だった。

有料道路時代の灯火が消えていなかったからだ。
"道路代なんて払いたくないというそこのあなた、利便性に+αで価値を求めて見ませんか"
マルチの勧誘みたいだが、道路の風景というのは有限で、つい先週まであったのが今日消えているというのはザラにある。
貴重な遺産を私は目撃していた。

もう、新品は登場しない「公団ゴシック」と「緑看板」のダブルコンビである。

碓氷バイパス料金所とPA
(神奈川工科大学電気通信部ブログより 引用 
碓氷バイパスが開通したのは1971年11月。
写真をみると、料金所のレーン数は4で横にはお店が
並んでいるのがわかる。奥には登坂車線が見えるから、通行可の青が点灯している一番左のレーンまでが現在のチェーンスペースである。
そして残りの進入不可の赤が点灯している3レーンで現在の直進と右左折レーンとなっている。

日本道路公団によって建設、管理されて開通から30年間の償還期間を経て、2001年に無料化された。
料金所跡を下った先にあった看板の正体は、嘗ての有料時代の貴重な痕跡、いや遺産である。

しかし、碓氷バイパス「しかない」時代も既に過去の話。昭和から平成に変わる激動の時代、数字的には14倍以上格が落ちる3桁国道に冠を奪われた。「酷道」から一気に幹線国道の座にのしあがったあの道である。

相手のことをよく知るには、書類より直接あって話した方がいいのだ。そのために、企業の採用試験には100%面接がある。
と言うわけで、"峠越え三桁国道"254号に会うことにした。"こく"道の漢字を「酷」ではなく「国」にしたけど、それでも「峠越え+三桁国道」という2言があれば充分ヤバイ道感は出ている。

次回はこの画像が語る旧道の現役時代を紐解いていく。

つづく