たまご亭のジャンボオムライス 
(2022年11月5日 撮影)
念願のジャンボオムライスを食することができた。
でも、到着したのはお昼時。
目的地からはそんなに離れていないとは言え、美味しいものを食べてからなどと言う甘いことを考えてしまっていた。
その後、巨大な難関からの仕打ちを受けることとなるとは…。

三重県亀山市と滋賀県甲賀市の境界に聳える鈴鹿峠には、何だか静かな空気が漂っていた。

一線を退いたレジェンド

需要がないと言えば全く嘘になるし、昼夜問わず車がひっきりなしに行き交うわけでもない。揺るがない事実は、その道路が国道1号であることだけ。

甲賀方面(下り)車線に立つ国道標識
(2022年11月5日 撮影)
国道番号の"1"が記されたおにぎりは、空を見上げるようにして立っていた。例えとしては酷だが、国道の座を降りて旧道化した区間に残されているような様子。

私の身近にも似たような境遇を辿ってきた道路がある。伝説の旧碓氷峠180ヶ所のカーブを迂回する目的で建設された、国道18号の碓氷バイパス。
国道18号碓氷バイパス 県境地点
(2022年2月7日 撮影)
嘗ては日本道路公団の有料道路で、上信越道や国道254号の内山峠道路が建設されるまでは群馬・長野県境を越えるメインルートだった。
しかし、1978年に国道142号新和田トンネルが開通、1988年に中央道と長野道が岡谷JCTでつながるようになった。更には同じ県境を越える国(酷)道254号の内山峠道路が全通し「内山峠(254号)→新和田トンネル(142号)→中央道(岡谷IC)」と北関東・中京圏を最短で結ぶルートが確立された。
それにトドメを刺すように、1993年に上信越道の藤岡IC~佐久ICが開通したことで通行量は減少。

同じバイパス道路の運命
鈴鹿峠も同じく、酷道のバイパスと2本の高速道路の開通というダブルパンチを受けた道路だった。
なら、東名と新東名がある一国の静岡県区間の需要が減らない理由は「高い高速料金」と距離的ロスがないことだと思う。
三重→奈良→大阪」と東西をほぼストレートに結ぶ名阪国道と、「三重→大津→京都→大阪」と一旦琵琶湖に北上して遠回りする一国。それにその4県の移動は名神に新名神がある。

鈴鹿峠バイパス 「沓掛」交差点
(2022年11月5日 撮影)
路面異常ありの地点は県境の鈴鹿峠トンネル手前、左車線の規制。

亀山側の広場は既に閉鎖されている
(2022年11月5日 撮影)
車を停める位置に悩んだ。
車載動画で記録する方法は勿論あるが、折角間近まで接近できるチャンスを得ている以上、徒歩で触れてみたい。
嘗ては国道脇に広場があってそこに駐車できたというが、今回訪れたときには既に閉鎖されていた。
下り線側の駐車帯
(2022年11月5日 撮影)
消えかけている434キロポストと上り線の側道
(2022年11月5日 撮影)
と言うことで、見学を短時間に抑える事にして国道脇に置かせていただいた。

下り線トンネル 亀山側坑口
(2022年11月5日 撮影)
下り線トンネル 甲賀側坑口
(2022年11月5日 撮影)
鈴鹿峠バイパスの第1期工事は昭和48年に着工。
下り線トンネルはそこで建設され、1978年11月30日に供用開始。その5年後の1983年1月20日、第2工区として三重県側麓の沓掛地区からトンネルまでの道路が供用開始されている。

上り線トンネル拡幅事業は1990年に竣工した
(2022年11月5日 撮影)
上り線トンネル 甲賀側坑口
(2022年11月5日 撮影)
上り線トンネル 亀山側坑口
(2022年11月5日 撮影)
上り線トンネルの拡幅は第3工区として、鈴鹿峠バイパス最後の工事となった。事実上の下り線全線開通となる1983年から旧道改良(第3工区)供用開始の1991年までの8年間は現在の下り線が暫定2車線となっていたのか。

そして、すごいのは改良方法である。
改良前の鈴鹿峠トンネル 多分亀山側坑口
(国土交通省資料より)
改良工事が施されると嘗ての形を留めていないことも多々あるが、両坑口共に克明に再現されている。
甲賀側の旧篇額
(2022年11月5日 撮影)
亀山側の旧篇額
(2022年11月5日 撮影)
「○○トンネル」という表現は大正時代には使用されていないこと、更に国交省の資料をよく見ると縁が太く文字数は4文字。
拡幅後に新しい篇額が取り付けられているが、昔の遺産を消さないように旧篇額が残されているのだ。
甲賀側、亀山側両方の壁に埋め込まれていて、手で触れることもできるのだ。(←今更だけど、三国の篇額も同じ様に保存して欲しい…)

調べてみると、現在のバイパスの所々に改良前の旧道が残されていると聞く。バイパス建設中にどういった往き来がなされていたのかを紐解くためには、上り線側の旧道を徹底調査する必要があった。
坂下集落への旧道入口(甲賀側から)
40高中のペイントが消えかけている
(2022年11月5日 撮影)
坂下集落の旧道
(2022年11月5日 撮影)
もう相当な稀少種となった高中速車40km制限、「40高中」のペイントが坂下集落に向かう旧道入口に残されていると聞いたが、残念ながら判読不能。
道路にも想いがあって、「自分はもう1号じゃないよ」という代替わりの気持ちや、「有名になりたくない」という時代の先を読まれていたのか。

上り線トンネル視察後に一国中央に立った
(2022年11月5日 撮影)
交通量の少なさに驚くが、でもある意味本来の道路の姿を取り戻しているのか。
「一国としての交通量」はライバルに奪われたまま戻ってこないが、2車線化が功を奏して急かされることなく、難所の色を感じながら峠越えができる道路。
名阪国道と新名神の喧騒が聞こえてくる程静かだが、"mr.イッコク"のプライドは今でも健在だった。

名阪国道上柘植IC 西日本フリートのshell
(2022年11月5日)
今ではすっかり過去の物になりつつある、貝殻マーク。正真正銘の最高峰ハイオクブランド「Shell v-power」が給油できる時代も残りあと僅か。
帰路に着く前に満タンにしておくか…。

しかし、この段階で調査し残した事が1つあったのを思い出した。
"上り線の改良前の旧道を見たい"

自分の足で歩いてこい
旧道達にそう言われているような気がした。
次のオムライスとV-powerはその後だ❗
車で峠を上り、
必死に駐車スペースを探し、
遠ければ徒歩で歩き(←確実)
旧道を制覇する
そんな難関を突破した後のV-powerとオムライスは美味しすぎるのかもしれない。
内山、笠取、和田、塩尻、木曽路と幾つもの峠を越え、最後に鈴鹿峠。それを何十回繰り返してきたのに、更に頑張って貰わなければ。

だから、V-powerを欲しちゃうじゃないですか❗
西日本フリートの一番大きいセールスマンに、私は再び挑むのであった。


一旦、完結(笑)