また、大雪~もう、やめて。辛すぎるから・編~ | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 あちゃー、また大雪でんな。


  ウチの周辺は先週より積もりはしなかったけど、


 各地でまた記録を出してまんな……。


  ホント、地球はどうなっていくのか。


  偏西風の蛇行で寒気が入り、ブロッキング高気圧で寒気が抜けない。


 詳しい事は知らないけど、アメリカの寒波、イギリスの大雨とも


 連動している現象であるとの事。



 地球温暖化で大気に含んでいる水分が


    多いことも大雪の原因でもあるという。



  あっしと言えば、また雪かきで身体がオ―ノ―の状態。


  近所には、御歳を召した女所帯の御宅とか、ご病人を抱えた御宅とか、


 あって、別に頼まれもしないけど、結局放っておくことができないから、


 自分のところだけじゃ済まないんだよな、これが。



   若くて体力がある時はいいけど、アラ50&デブの身体には堪える。


 何が堪えるって、そりゃ「回復力」の事。


  首、腰、腕の痛みが残って、先週もろくにトレーニングにならなかった。


 今週もかよ、と今またシビレた腕と指先を使って、キーを打ち、ブログを


 書きながら頭を抱えているんでゲス。


 

   若い時は、それでも「いやー、人の為にいいことしたなあ」、


 と爽快な気分が立ち直りの早い筋肉痛をむしろ、


 「喜ばしい痛み」に変えることもしばしなんだが、


   身体のジジイ化が、例えそれが「善意の行為ゆえのもの」


であっても、「痛み」がしばし「不快感」を継続させるから要注意なんだな。



    具体的にいうと、


  「余計な事」をしなきゃよかったという後悔に繋がる恐れがあるんどす。




   これじゃいけない、と気持ちを強くする為には、


 やはり「若い肉体」のキープが命題になるのか、と思うと、


  今さらながらに、ジジイになるというのは、


 トレーニングを続けるのも「苦しい」なら、


 トレーニングをしないで、


 人さまの役に立てない自分を受け止めるのも「苦しい」事に気づいて


 愕然とするわけ。



   おいおい、どっちに転んでも苦しいのかよ、と嘆いてばかり


 でもしょうがない。


   やはり、どっちも苦しいのなら、出来るうちは


 トレーニングを続けて「若い肉体」をキープしたいと思うのが人情、と。


   先週に引き続き、空に向かって、


 「これ以上雪降ったらただじゃおかねえぞ」と中指突きたてながら


 悪態をつきつつ、


   次の瞬間、「もう止めて。身体が持たないから」と涙の懇願を


 心の中で空に向かってしつつ、


   最後にはトレーニングはやっぱりせにゃあかん、と自分を叱咤するしかない。


  ホント辛いどす。


  ではでは、またまた愚痴にて失礼。