さて、私が引っ越しという機会に見事ゲットしたのは、
ブリジストンのドレミ7(セブン)という自転車。
昭和40年代後半、子供たちに大人気だった仮面ライダーシリーズ。
その中で少年ライダー隊が乗っていた自転車がブリジストンのドレミシリーズ。
仮面ライダーの乗るバイク、サイクロンそのまんま、というわけにはいかないが、フロントにはサイクロンと仮面ライダーのマスクを意識したデザインのカウルがついていて、色は黒を基調とした、それまで出ていた「ドレミ」よりも一段大きな子供用仕様になっていたドレミ7。
記憶がうる覚えであるが、確か仮面ライダーV3の時にこの自転車が登場したと思う。
ご多分にもれず仮面ライダー熱中していた私は、もう一発で「もって行かれちゃって」、その自転車を見て以来ずっと欲しいと思ってたのだ。
その間約一年……で、この一年が後々効いてくることは当時は知らず。
引っ越ししたのは3月、4月から小学校3年の新学年が始まるその時。
私は新居に家族が浮かれる中、新居よりもドレミ7を手にして有頂天だった。
その3月の春休みにそれまで一緒だった小学校2年の時の同級生達を何人か新居に遊びに招いたのだが、その際その友達たちが新品ピッカピッカのドレミ7を見て、一様に羨望の声を上げたので益々喜びに拍車がかかっていた。
ところが、このドレミ7、18インチで小学校3年生には、ギリギリのサイズ。つまり本来なら成長を見越せば、小学校3年生の子供に買え与えるシロモノじゃなかったのだ。例えば、いま私が親として、子供にギリギリのサイズのものを買うかと言えば、当然買わない。おそらく店の人も今なら、「そんなアドバイス」をしたと思う。
実際今年私が息子の自転車を新調した時は、店の店員さんから自転車の大きさについて詳細なアドバイスを頂いたりもしている。
つまりドレミ7を買うのが、実は体格的に「一年遅かった」のだ。
成長期の一年は大きい、「後々効いてくる」とはまさに「サイズが合わない不便さ」の事だった。
しかし、それは体格だけの問題じゃなかった。
グローバルで情報過多の今の時代、東京とその周辺近県の文化的差異はほとんどないと確信を持って言えると思うが、昭和40代から50年代当時は、都内に通勤通学1時間以内で行き来できる近隣県とは、「確実に差」があったと思う。
「差」という言葉が問題なら、単に「違い」である。
例えば、私が東京の港区から引っ越してきて、まずこちらの学校で驚いたのが、校庭の広さと校庭が土でできている事。
今までの学校は校庭はアスファルト系だし、広さも3分の1もなかったと思う。
こんな環境では実際子供の運動能力も違ってくると思われる。実際にそれには差があって、数年前にひょんなことで私の通っていた東京港区の小学校と引っ越し先の小学校での50メートル走や100メートル走のタイムの違いが確認できたが、1~2秒も差があった。
別に運動能力の差が都内と近隣県の文化差に何の関係があるのかと思われるかもしれないが、
子供の文化とはすなわち「遊び」の事。
体力差が違えば、そこには当然「遊び」の差がある。
東京の小学校で私達の遊びと言えば、公園や神社の境内で仮面ライダーごっこやウルトラマンごっこがメイン。
カブトムシやクワガタなんて縁日で売り出されているものしか拝めない。
でもこちらは違った。学校中子供たち放課後野球ばっかやっているのだ。
そして雑木林を走り回り、時に木に上り、時に木を蹴って、じかに東京では見たこともない大きさのカブトムシやらクワガタを取ってくる。
東京では、幼稚園から小2まで常にクラスで一番足が速く、リレーの選手で運動会では花形だった私が、こちらでは足の速さでクラスで中の上、野球なんざろくにやったこともないから補欠扱い、おまけに皆よくプロ野球の事知ってて、話題の中心は、やれ長嶋がどうの、王がどうの、田淵がどうの、という具合で、
転向当初はカルチャーショックで倒れそうだった。
そしてとどめが「ドレミ7」だった。
東京の友達から羨望された我がドレミ7は、こっちでは散々な評価を受ける。
自転車が「マイナー」な東京と違って、こらでは、家族一人に一台が常識の街。買い物含めて移動の手段がほぼ自転車が当時100%だったのではないか。
そういう環境では、自転車の選択にデザインより機能性が重視されるのは、今から思えばよくわかるが、それにしてもドレミ7に対する「口撃」は皆凄まじかった。曰く、
「ガキみてえ」、「格好悪い」、「恥ずかしい」……等々。
「ガキみたい」というのは、言ってる本人もガキに癖によく言うが、当時の「ませガキ」の私にはかなり堪えた。
そして彼らは、私が「田舎初体験」でまごついたりすると何かにつけて「東京ッ子はヨエーナー」とくる。
カルチャーショック、運動能力順位の没落、転校生の孤独、それに愛車のドレミ7に対する侮辱……小学校3年にして人生のどん底を味わっている気分だった。
でも、やっぱり子供なんだね、周囲から屈辱を感じさせられても、
姉気が「こんなところ冗談じゃない。高校は東京の学校に進学して、早く東京に復帰したい」と叫ぼうが、
懸命にこちらに順応し、自分の座席を確保しようとするわけ。
あんなにせがんで買ってもらったドレミ7を今さら「皆がバカするから」と言って、買え変えを親に要求するわけにもいかず、
それでも初めは頑張って、「晒しモノ」に甘んじていたが、とうとうある日自分でドレミ7のあの仮面ライダーのマスクをデザインの基調としたカウルをドライバーで外し、野球の道具を入れる為に荷台の横にカゴをつけてもらって、改造をした。
身長が伸びれば、目いっぱいサドルを上げて……何だかんだで小学校5年の始めまで乗っていたと思う。
カオルを外したところで元が「ドレミ7」であることは、そのデザインから一目瞭然。
乗るたびに「誰かが自分をバカにしているのでは」という「恥ずかしさ」で一杯だった。
こんな、私みたいな「悲惨な気持ち」でドレミ7に乗っていた者が当時の日本で一体何人いただろうか。
絶対にいなかったに違いない。なんか、そう断言できる気がする。
今から思えば、子供とはいえ、当時の私を「叱ってやりたい」気持ちもある。
「オマエ、それじゃ、ドレミ7に、もとい仮面ライダーにすまないだろ」と。
正にその通りの筈だ。ドレミ7は、ただの自転車じゃなかったのだから。
あの自転車は、子供と仮面ライダーの夢の二つを乗せて走る自転車だった筈。
そう考えると、ホントに苦い思い出ある。
ソーリー・マイ・ドレミ7!!! である。
それはそうと、いつだったか数年前、当時の同級生にひょんな機会に尋ねた事があった。
「オマエさ、俺が引っ越してきた小3の時さ、ドレミ7乗っていたらよくバカにしてくれたよな、覚えている?」
「え? そうだった? ドレミ7って、あの仮面ライダーの? オマエ買って貰っ
てたんだ。羨ましい。やっぱオマエ、お坊ちゃんだったんだな、うん」
一瞬ぶん殴ってやろうかと思った次第。
また前置きだけ終わってしまった。
ではでは。